パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

雑念1

2021年02月05日 | Weblog
2月5日(金)晴れ

コロナ禍での、お通夜から葬式。
家族だけでの見送りになると思っていた。
いや、まぢで!言い訳じゃなくて・・・

父はケチな癖に見栄っ張りな人で、うちで宴会する時など「酒も料理もドンドン持ってこ〜い。」と言いたいから
めっちゃ多め多めで用意させていた。
その血は受け継いでいるつもり。

真夜中に、お父さんとはお別れできたという気持ちですっかり落ち着いているワタクシと、
もともと親への愛が薄い兄、長年に渡り献身的な介護をしてきたという自負のある老母(やりきった感があるので泣き悲しむこともなく)の三人と、葬祭場のAさんと打ち合わせ開始。
色々決めていく中、お通夜での食事の話になる。
普通だったらお通夜には「通夜振る舞い」としてお酒やお寿司、オードブルなどが出されるのだが、このコロナ禍により仕出し弁当のみとのこと。
父は8人兄弟の長男で、存命なのはそのうち5人。
うち県外在住1人。
初めは家族(老母、兄、ワタクシ、夫)と家族同然の従姉kemiちゃんの5人と、父の弟妹達で来られそうな人を見積もって10個くらいにしておこうとしていたのだが、
老母が、兄弟の取りまとめ役と思われるAおじちゃんに電話した後「お葬式に4人行く」と言ったと言うので、
お通夜のお弁当は家族分の5個にした。
はっきりわかってるのに5個も余らせる意味はないよねと。
コロナ禍だからしょうがないよ。家族のみでのお見送りになるのは、と。
で、葬祭場と自宅を行ったり来たりしてるうちに夕方になり、控え室で準備をしていると・・・
え?え?え?
父の妹Kおばちゃん夫婦だ。
ひっ!お弁当どうしようと思う間も無く、Kおばちゃんが言うことにゃ「Hがこっちに向かってる」
Hとは四国在住のおじちゃんだ。
明日のお葬式に出てくれるってことかと思いきや「いや、今日飛んでる。」
kemiちゃんも来てくれて、お通夜の法要が始まる。
もう、ワタクシの頭の中はお弁当をどうしたものかでいっぱいだ。
お経を心穏やかに聞くどころではない。
お焼香が始まり、あっという間に7人の焼香が終わったと思いきや、ハードな長旅(四国から福岡に飛び、福岡から鹿児島へ飛んだらしい)で疲れ切ったようなHおぢちゃんがお焼香。
ひゃあ!四国からよく間に合ったねえというありがたさよりも、「なぜこのコロナ禍に!」という気持ちの方が大きいのはお弁当の心配のせいです・・・
あたしと兄ちゃんと夫の分を回して・・・とお弁当の算段していると、え?え?え?今度はSおじちゃん!?
父の一番下の弟がお焼香台へと向かう。
ワタクシの頭はクラクラする。
打ち合わせを老母に任せたのが失敗だった。
老母と同級生のAおぢちゃん(81歳)の言葉を真に受けたのが失敗だった。
近所の人にも、兄の職場にも、誰にも父の訃報を知らせず、そっと見送るつもりだったとはいえ、何があるかわからないから多め多めの精神でいくべきだったのだ。
そんなことばかり考えているからお坊さんのお話も、何一つ心に響かない(こらこら)

お通夜の法要が終わり、弟妹達が父の棺を取り囲み、うぉんうぉん声を上げて泣いてくれる。
父の頬を撫で、髪を撫で、話しかけてくれる。
少し離れてそれを見ながら、「お父さん!やっぱり来てもらって良かったね!」と思う。
ここ20年ほどの闘病生活での父の姿が印象的過ぎて、大変だったよねという思いが強過ぎて、ちょっと忘れていた。
父は、貧しい農家の長男で、忙しい親の代わりに弟妹達の面倒をとてもよくみていたのだ。
働きながら夜学へ行き、弟妹達の学費を仕送りし、教員になってからは弟妹達の就職の世話をし、居候させて面倒見ていた。
実際の生活面では母が世話することになるわけで、だから、弟妹達はいまだに老母のことを大切にしてくれる。
そんな弟妹達が、最後のお別れに来ないわけがない。

大慌てで、翌日のお昼のお弁当の数を増やしてもらい、火葬場へのジャンボタクシーをマイクロバスに変更してもらう。
精進落としのお弁当も用意してもらうようにする。
落ち着き払っているようにみえたワタクシ達だったが、結局バタバタジタバタの1日であった。
コメント
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