8月25日(木)晴れ
今も、この世には悲しい母というものがたくさん存在するけど、その中の一人に女優の高畑さんがおられると思う。
犯罪に「良いも悪いも」ないとは思うが、でも、今回のこの罪は大きいと思うなあ。
自分の立場、もっと言えば母の立場までも考えて、それでも踏みとどまれないとは、もう病的としか思えない。
肉食系を自認してらしたような高畑さん(母)のキャラまでもが今後使えないだろうし、おそらくこれからしばらくは息子の愚行奇行やら子育て云々のバッシングなどが続くのだろう。
いや、同情はしませんよ。犯罪は犯罪だし、成人した後まで親の責任?って言う人はいるだろうけど、あたしがもし被害者の親だったらこんなバカ息子を育てた高畑さんまでも恨むし憎む。
今年の夏休みはずっと娘の家で過ごした。
前半は家の掃除やら草取りに始まり、中盤は観光やら映画・ライブ鑑賞、そして終盤は読書三昧。
娘の本棚から漫画やら小説やらを持ち出し、開けっ放した畳の部屋に寝転がって読む。
ご飯を作ろうにも、調味料は塩胡椒くらいしかない。
油さえないから、マヨネーズで炒める。
学生時代に流行った塩スパとかでお腹を満たしてはまた読む。
娘が「晩年の文豪みたいな生活だねえ〜」と言う。
よくわからんが、地味な幸せ感はありました・・・
で、吉本ばなな著を二冊(『ハゴロモ』『みずうみ』)読破したのだが、偶然にも(というか彼女の作風にはよくあるのか?)
主人公の母は亡くなっている。
さらには、絡んでくる人達にも当然母親がいて、それが何かしらのキーパーソン的であり、フツーでない。
つい、母親がこうだから、とか、母親がいないから、という視点で見てしまうフツー人代表n。
親はなくても子は育つし、親がいることによって歪んだ人生を歩まざるを得ない子もいて、一人の親であるワタクシは胸が痛くなる。
少し前に、オリンピックで、幸せそうな母の映像をたくさん見た。
強い母、優しい母。
さらには、そのオリンピックを見ている家族の風景というのをほぼ日の「見たぞ!リオデジャイロオリンピック」で読み、ほっこりしたりもした。
思わずメモしたのは・・・
オリンピック観戦をし、「見たぞ!」に投稿している子供のおかあさんが、
「文章を書く練習にもなっているようで、ひいき目にも少しずつ文章力が上がっている気がする」と。
「毎日の投稿をまとめて自由研究に出したいくらいです。」と。
それに対して、ワタクシの心の師である永田氏がおっしゃいます。
『オリンピックのようなすごいものを観て、「おお!」と思ってそれを書く、というのは、もう、絶対に、ぜーーーったいに、よいことだと思いますよ。
ひとつ、アドバイスさせていただくとしたら「書きたいところだけ書く」のがいいと思います。
「はじまり」とか「まとめ」って無駄に時間や気持ちを費やしちゃうから。』
衝撃的でした。
ワタクシ、「はじまり」とか「まとめ」で、時間も気持ちも費やすタイプ・・・
ここかぁ〜ワタクシが文豪になれない点は(・・・違います)
8月23日の朝日新聞に、「記者が選んだこの一瞬」というコーナー。
オリンピックの会場を取材した記者14人がベストシーンをあげている。
吉田沙織に卓球の水谷、ジョコビッチに体操銀メダルのオレグ、猫ひろしを選んだ記者もいる。
その中に、「母は見ていてくれる」というタイトルでバタフライ銅メダルの星奈津美さんのこと。
バセドー病を克服した娘への母の賛辞を書きながら、記事後半には記者自身の話になる。
亡くなった記者のお母さんは息子が書いた記事を切り抜くのを楽しみしていた。今大会多くの原稿を書く機会に恵まれた。星にはかなわないにしても、こんな息子を幸せに思ってくれるだろうかと。
いやいや、自分のことじゃなくて五輪のことを書きなよ!と苦笑しながら読みつつも、一番この記事が記憶に残るのは自分にも母がいて、自分も母だからだきっと。
それと、何を見ても何を読んでも、自分と繋げてしまうところがある。
そういうところが、この記者と少し似ていると思ったこともある。
で、ついでに言うと・・・
先日、娘が「まだ働き始めたばっかなのに、取材取材なんだよね〜一年くらい経って、何かしらの実績を積んでからにしてほしいわ〜」と嘆く。
でも、母は、そんな娘が無造作に投げた新聞のコラムに娘の名前が出てて、娘に期待する的な文章を読んでは感動するのよ。
頑張れ!と思うのよ。
この新聞もらっていい?って貰って帰って、写真に撮ったりした後はおばあちゃんに送ろうと思ってるのよ。
今日の1枚は・・・
お盆の、とある街の風景。
灯籠がぼわんとあたたかく灯り、優しい気持ちになる。
あ!そうそう!この夏、息子と二人旅をした幸せな母親というのもワタクシは知っている。
母と息子の距離感っていうのもまた、ワタクシには永遠に味わえないもので、うらやましいのである。
今も、この世には悲しい母というものがたくさん存在するけど、その中の一人に女優の高畑さんがおられると思う。
犯罪に「良いも悪いも」ないとは思うが、でも、今回のこの罪は大きいと思うなあ。
自分の立場、もっと言えば母の立場までも考えて、それでも踏みとどまれないとは、もう病的としか思えない。
肉食系を自認してらしたような高畑さん(母)のキャラまでもが今後使えないだろうし、おそらくこれからしばらくは息子の愚行奇行やら子育て云々のバッシングなどが続くのだろう。
いや、同情はしませんよ。犯罪は犯罪だし、成人した後まで親の責任?って言う人はいるだろうけど、あたしがもし被害者の親だったらこんなバカ息子を育てた高畑さんまでも恨むし憎む。
今年の夏休みはずっと娘の家で過ごした。
前半は家の掃除やら草取りに始まり、中盤は観光やら映画・ライブ鑑賞、そして終盤は読書三昧。
娘の本棚から漫画やら小説やらを持ち出し、開けっ放した畳の部屋に寝転がって読む。
ご飯を作ろうにも、調味料は塩胡椒くらいしかない。
油さえないから、マヨネーズで炒める。
学生時代に流行った塩スパとかでお腹を満たしてはまた読む。
娘が「晩年の文豪みたいな生活だねえ〜」と言う。
よくわからんが、地味な幸せ感はありました・・・
で、吉本ばなな著を二冊(『ハゴロモ』『みずうみ』)読破したのだが、偶然にも(というか彼女の作風にはよくあるのか?)
主人公の母は亡くなっている。
さらには、絡んでくる人達にも当然母親がいて、それが何かしらのキーパーソン的であり、フツーでない。
つい、母親がこうだから、とか、母親がいないから、という視点で見てしまうフツー人代表n。
親はなくても子は育つし、親がいることによって歪んだ人生を歩まざるを得ない子もいて、一人の親であるワタクシは胸が痛くなる。
少し前に、オリンピックで、幸せそうな母の映像をたくさん見た。
強い母、優しい母。
さらには、そのオリンピックを見ている家族の風景というのをほぼ日の「見たぞ!リオデジャイロオリンピック」で読み、ほっこりしたりもした。
思わずメモしたのは・・・
オリンピック観戦をし、「見たぞ!」に投稿している子供のおかあさんが、
「文章を書く練習にもなっているようで、ひいき目にも少しずつ文章力が上がっている気がする」と。
「毎日の投稿をまとめて自由研究に出したいくらいです。」と。
それに対して、ワタクシの心の師である永田氏がおっしゃいます。
『オリンピックのようなすごいものを観て、「おお!」と思ってそれを書く、というのは、もう、絶対に、ぜーーーったいに、よいことだと思いますよ。
ひとつ、アドバイスさせていただくとしたら「書きたいところだけ書く」のがいいと思います。
「はじまり」とか「まとめ」って無駄に時間や気持ちを費やしちゃうから。』
衝撃的でした。
ワタクシ、「はじまり」とか「まとめ」で、時間も気持ちも費やすタイプ・・・
ここかぁ〜ワタクシが文豪になれない点は(・・・違います)
8月23日の朝日新聞に、「記者が選んだこの一瞬」というコーナー。
オリンピックの会場を取材した記者14人がベストシーンをあげている。
吉田沙織に卓球の水谷、ジョコビッチに体操銀メダルのオレグ、猫ひろしを選んだ記者もいる。
その中に、「母は見ていてくれる」というタイトルでバタフライ銅メダルの星奈津美さんのこと。
バセドー病を克服した娘への母の賛辞を書きながら、記事後半には記者自身の話になる。
亡くなった記者のお母さんは息子が書いた記事を切り抜くのを楽しみしていた。今大会多くの原稿を書く機会に恵まれた。星にはかなわないにしても、こんな息子を幸せに思ってくれるだろうかと。
いやいや、自分のことじゃなくて五輪のことを書きなよ!と苦笑しながら読みつつも、一番この記事が記憶に残るのは自分にも母がいて、自分も母だからだきっと。
それと、何を見ても何を読んでも、自分と繋げてしまうところがある。
そういうところが、この記者と少し似ていると思ったこともある。
で、ついでに言うと・・・
先日、娘が「まだ働き始めたばっかなのに、取材取材なんだよね〜一年くらい経って、何かしらの実績を積んでからにしてほしいわ〜」と嘆く。
でも、母は、そんな娘が無造作に投げた新聞のコラムに娘の名前が出てて、娘に期待する的な文章を読んでは感動するのよ。
頑張れ!と思うのよ。
この新聞もらっていい?って貰って帰って、写真に撮ったりした後はおばあちゃんに送ろうと思ってるのよ。
今日の1枚は・・・
お盆の、とある街の風景。
灯籠がぼわんとあたたかく灯り、優しい気持ちになる。
あ!そうそう!この夏、息子と二人旅をした幸せな母親というのもワタクシは知っている。
母と息子の距離感っていうのもまた、ワタクシには永遠に味わえないもので、うらやましいのである。