goo blog サービス終了のお知らせ 

パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

メアリと魔女の花

2017年07月09日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月9日(日)晴れ

昨日は友人A夫人の夫の演劇を観にいかなければならなくて(←年に一度の苦行)お休みの娘と行く予定にしていたら
娘が、その前に「メアリと魔女の花」を見ようよ!と言い出す。
演劇の会場のなるべく近くってことで、錦糸町『楽天地シネマズ』へ。

観終わってのワタクシの第一声が「ジブリかっっ!?」
パーツパーツが、セリフの言い回しが、キャラクターが、全てジブリ。
魔女だから黒猫とホウキは必需品だとは思うが、ホウキがブワッと逆毛立つ描写は「魔女の宅急便」そのもの。
そうそう!声優さんじゃなくて、俳優さんを使うという手法(?)もジブリから始まって、今、他のアニメ映画でも主流になってはきてるけど
メインキャストが有名な俳優さんたちという豪華さのせいで一人で声当てゲームやってる気分。
唯一最後までホウキ小屋の番人フラナガンがわからなくてエンドロール見て「佐藤二朗さんだったかっ!」
魔法大学は、雲海に浮かんでおりまるで「天空の城ラピュタ」
紙切れが意思を持った飛行機のようになるところは「千と千尋の神隠し」を彷彿させるし、
魔法大学への階段は千尋が湯屋の外階段を駆け上がるのを思い出す。
森の感じは「もののけ姫」だし、鹿の背中に乗ってる姿はまるでアシタカ。
魔法をかけられていた怪獣たちが動物に戻った時の真顔の動物たちを見たときは思わず「ここだけはジャングル大帝かっーーー」と思わず笑いそうになった。

米林監督の「思い出のマーニー」は、ジブリらしくなくてよかったと思うのだ。
米林監督が「僕は宮崎さんのように映画一本で世界を変えようとは思っていない」とおっしゃるのを聞いて好感を持った。
ちゃんと地に足つけてらっしゃるねと思った。
天才(宮崎氏)はあくまで天才で、自分は自分ということだと勝手に解釈していた。
しかし、今回のこれはちょっとどうなんでしょ。
エンドロールに
   感謝
宮崎駿 鈴木敏夫 高畑勲
と出てきたが、これが全てなのか。
オマージュってことか。
とりあえず、彼の原点(ジブリ)を全て凝縮したものを第一回作品で作っておいて、これから彼独自の世界観を作り上げて行くのか?

終わってからトイレに行く途中で悪評をまくしたてる母と「良くも悪くもない感じ?」とは娘。
そして、それぞれの個室に入って行く。
そこへ、ちっちゃい女の子とママらしき声が聞こえてきて・・・
女の子「メアリがばーーーーんってなって、カッコよくて・・・」と可愛いらしい声で一生懸命語る声。
そうか。ジブリを見たことない子供には面白いかもしれん。
トイレから出てきた娘も「はなちゃん(仮名)を連れて観に行きたくなった。」と、ちっちゃい従妹のことを言う。
アニメの進化により、アニメ=子供向けという概念が全くなくなっていたが、逆に子供向けということを考えてみたらこれは入り口としては最高かもしれない。
わかりやすいストーリーに、豪華なキャスト。綺麗な映像。
駄作かもしれないが(まだ毒舌は続いていたのか・・・)プロたちの手にかかるとそれなりに素晴らしい作品になるということよね〜と、
この後、素人の演劇を鑑賞せねばならない心の重さが、こういう感じ悪い感想を抱かせたのかもしれません。
演劇の話はまた後日。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女脳

2017年07月06日 | 夫ネタ
7月6日(木)晴れ

ワタクシ、ここ最近随分温厚になったと思っている。
いろいろなことを許せるようになったと思っている。
これは歳をとったということであり、そういう意味では、歳を重ねることも悪くないなあなんて思っている。

そんなワタクシが、久々に怒髪天。
どんなにすごいことが起きたのだろうと、皆さん今、膝を乗り出されたことだろう。
その方々には申し訳ないが、ワタクシのこの怒りがうまく伝えられるか少し不安。
というのも、今回の怒りのソースはチーズだからだ(・・・)
私たち夫婦の数多ある喧嘩歴、史上最も貧相で安価で卑小で・・・
と、夫は思っていることだろう。
おそらく夫は、妻の怒りが「オレが間違った買い物をしたこと」にあると思っている。
違うのだ。妻はそんなことでは怒らない。

日曜日のことだ。
夫が散歩に行くというのでついでに買い物を頼んだ。
ワタクシの趣味であるモニターの一環で、「ブルサン」というチーズを買ってきて欲しかったのだ。
このチーズのモニターは、以前にもやったことがあり、家族にも好評だった。
この時は2種類しか調達できなかったが、どちらもすごく美味しかったのよね〜
ってことで、今回は新発売のプレーンも含め、全4種全てを購入したい!と意気込んでいるところ。
しかし、我が家近くのスーパーは品揃えが悪い上に値段も高い。
よって夫が散歩に出かけるならばついでにちょっと探してみてよ!
4種類あるのよ!これ全部揃えたいの!と鼻息荒く夫にブルサンのHPの画像を見せる。
夫は確かに見ていたと思った。
一個500円くらいするのよと言い2000円渡した。

夕方、夫よりラインに「4種類ゲット!」
せいぜい2種類あればいいかなあくらいに思ってた妻、大喜びで夫の帰宅を待つ。
帰ってきた夫を見て、一瞬、違和感。
スーパーの袋を持っていない。
その、小さな斜めがけのボディバッグにはあれが4個も入らないよね???と思っている妻の前に、
夫がそのボディバッグから得意げに「チーズキューブ」4種を出す。
ガラガラと音を立てて崩れ去る夫への感謝の気持ち。
そしてモクモクと湧き上がる夫への怒りの気持ち。
この怒りは、夫が間違えたものを買ってきたことに対してではない。
そりゃ、わけのわからないサプリとかを買ってきたり、ワタクシが普段から嫌いだと言ってるサラミ系のものを買ってきたら「はぁ〜〜〜?これ誰が食べるの?」ってなるけど
「チーズキューブ」自体は美味しそうだし、おつまみとして使えるし。
ただ、それは、ワタクシの説明が足りなかった場合だ。
今回ワタクシは何度も「前に一度モニターしたし、美味しかったからそのあと買ってきたことある」と言い
挙句、画像まで見せているのだ。
似てるなら許そう。
形状、パッケージ、全く似ても似つかぬものだ。
間違う要素がない。
共通点は「チーズ」という大きなくくりに入るということのみ。
「チーズキューブ」は、うちでは未だかつて食卓に出たことないよね。
要するに、夫は、ワタクシの話を全く聞いてなかったということだ。

これは今までに何度か感じたことではある。
ワタクシが話したことを「聞いてない」と言い張る夫。
ワタクシは、自分がそのことを話した時の状況までくっきりと思い出せるのに、
夫は「聞いてない、今初めて聞いた。『言った』『言わない』は不毛だからやめようぜ。」と理性的におっしゃる。
感情的人間を自認してる妻はおとなしく引き下がる。
こういうことを繰り返してきた。
ワタクシは、自分が聞きたくない話は聞かない。
「その話、面白い?」
「あたし、人の夢の話くらい嫌いなものはない!」
オトナゲナイが聞きたくないものは聞きたくないのだ。
夫は、その点、大人だからそういうことは言わない。
しかし、ワタクシの話を聞いてないなこの人、と思う時が時々ある。
わざと途中で話をやめてみたりする。
普通だったら「え?続きは?」とか「それで?」とか聞くところを、この人は聞いてないから、話が途切れてもそのまま気にもしない。
気持ち悪くないのか?
一応、読点で終わってはいるが、話のオチというか結論は言ってないぞ〜と思うことがある。
聞いてるふりして聞いてないけど、いちいち、「オレ、その話には興味ないから」というのは優しくないというところか。
「優しさ」に対する見解がワタクシとは違うのだからそこに文句は言わない。
ただ、今回は「ちゃんと聞くべき」でした。ということ。
その目を見開いて「ちゃんと画像を見るべき」でした。ということ。

と、ここまで書きながら、でも、「休みの日に、わざわざ買い物してきてくれて、それも、3軒もスーパーをはしごしたらしいじゃないの。
優しい旦那様じゃないのぉ〜
ちょっと間違ったくらいで目くじら立てて。」って思う人、いるんだろうな〜
船越さんもかわいそうだけど、n夫さんもかわいそうね〜なんて思う人、いるんだろうな〜
でも、今回の件は、怒髪が麦わら帽子を衝いても仕方ないことだと自分で自分を許している。

今日の一枚は。
家の近くのスーパーで買ったブルサン。558円(税抜き)なり。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男脳

2017年07月05日 | 夫ネタ
7月5日(水)晴れ

今度の今度は、さすがの仏のオレでもムカついている。
日曜日の話だ。
家族で選挙に行った後、ちょっと散歩に出かけると言ったオレに妻が執拗に聞く。
「どこ行くの?またアレ?」←ちょっと失笑気味
彼女は、オレの趣味である「イングレス」が気に入らない。
(このイングレスとは、以前、彼女が日記に説明がてら書いてるので興味あったらどうぞ)
まだポケモンGOの方が可愛げがあると思ってるようだ。
「健康的にもいいんだぜ。」と、ひきこもり系の妻に嫌味のつもりで言うも、そこはあっさりスルーして
「どのあたりに行くの?◯でも△でもどこでもいいんだけど、その近くに行ったらチーズ買ってきてくれない?」
聞くと、彼女の趣味であるモニターの一環で、チーズを買って、食べて、知り合いに広めるというのに参加してるらしく、
延々と説明が始まる。
我が家の近くのスーパーを彼女は憎んでおる。
「高いくせに品質が良いわけでもなく、ここらが老人とインド人しか住んでないと思ってるのか企業努力が足りない!」らしい。
どうやら今回のモニターは、自分でその指定金額内を支払って購入し、後でギフト券で支給される。
近所の友達やら同僚やらに口コミで広めるというミッションらしいが、近場に友達のいない彼女は、ネットで世界に発信することにしているらしい。
よって、写真の見栄えやらを考えるとできるだけたくさん買いたい。
しかし予算は決まってるし、近所のスーパーはお高い。
よって、少しでも安い他のスーパーで入手したい。
でもできれば出かけたくない。
あら!あなた、出かけるの?
と、オレに白羽の矢が立ったわけだ。

今思えば彼女はわざわざパソコンでそのチーズの画像まで見せ始め、今までのモニター話や、予算や、その他もろもろ語り出す。
正直オレは晴れの休日が後半に差し掛かってるので早く出かけたくてしょうがなかったのだ。
ただ、ちょっと驚いたのが、あのケチな妻が
「ほんとは1200円しか予算はないんだけど、このチーズが美味しいのはわかってるし。
モニター記事書くには4種類揃ってた方が絵になるから、できたら全種類欲しいんだよね〜
◯エツだと一個600円近くするから、△オンとか□コレで500円くらいで買って欲しいのよ。」
と、500円玉4枚渡される。
余談だが、妻は今、500円玉貯金に凝っており、彼女のめちゃ低い算数脳を駆使してお釣りに500円玉が出るように買い物しているらしい。
だから、日帰り出張でお弁当いらない日の昼飯代を請求すると得意げに500円玉を渡される。
どうやらオレへの小遣いはこれでまかなうつもりのようだ。

ゲームのついでに□コレに立ち寄る。
が、チーズコーナーがしょぼくて、全然ない。
手ぶらで帰った時の妻の冷ややかな目が想像できるし、そもそもオレは遠出も厭わない男なのだ。
チョチョイと△オンへチャリを走らす。
さすが△オンのチーズ売り場だ。
4種類ずらりと勢揃い。
値段も500円を切ってる。完璧だ!
ラインで妻に4種ゲットの旨を送ってから帰路につく。
いつもは反応の遅い妻だが速攻感涙してる猫のスタンプが送られてくる。

帰宅して、リュックから出した瞬間の妻の顔。
「ナニコレ(怒怒怒)!ちがーーーうっっっ!!!」
「あたし、画像まで見せたよね。
前にも一度モニターして食べて、みんな美味しい美味しいって言ったよね。
これが◯(娘)だったら「お店行って替えてもらってきなさいっっ!」って怒鳴られるレベルだよっっっ
このチーズ、今まで食べたことないよねっ。」

いや、もう、確かに、おっしゃる通りです。
オレ、なんでコレ買っちゃったんだろうと振り返るに、オレの頭の中には「4種類」ということがインプットされてて
売り場で4種類これが並んでるの見えたら、あったあった!とこれを買っちゃったんだよな〜
オレは自分の非を認め、全面的にオレが悪い、すまない、と謝った。
が、妻の怒りはおさまらない。
嫌味のようにチーズもおさめない。
ずっとテーブルに置きっ放し。
悪かったよ。悪かったって言ってるだろ。言い訳もできませんって言ってるだろ。
それなのに、それ以来もう三日も経ってるっていうのに機嫌は治らない。
たかだか500円くらいのチーズ4個だろ?
そんなに怒るようなことか?
オレのビールのつまみに出せば、文句も言わずに食うぜオレは。
あまりのくだらなさに、修復方法すら思いつかないぜ。
1800万だか2300万だかのポルシェを買った買わないの大げんかと違いすぎないか?
あ〜嫌だ嫌だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハーフネルソン

2017年07月04日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月4日(火)曇り

先週末、映画の日だったので娘と新宿に映画「ハーフネルソン」を観に行く。
今、ワタクシの中でのマイブーム『ライアン・ゴズリング氏』が出ているのだ。

  歴史を教える教師、ダン。
  型にはまらない授業で生徒たちの信望を集めているが、一方でドラッグに溺れてる。
  羽交い締めにされたような苦しい日々の中で、彼の秘密を知った女子生徒・ドレイとの間に不思議な友情が芽生え―。
  『ブルーバレンタイン』制作陣が贈る、闇を抱えた教師のどん底からの再生物語。

この内容紹介だけ見ると、なかなか素敵な、前向きな、微笑ましい映画に思えたのだが・・・
なかなかに難しい。
我が母が、映画「この世界の片隅に」の感想を「わからなかった」と言って以来、ワタクシと娘の間で「わからなかった」という感想が流行っている。
いや、さすがに「理解できなかった」とまでは言わないが、娘曰く「ミニシアター向けって感じ」
ワタクシは「アメリカの、いや、世界の諸問題を知ってから観たかった」←まあ、この、全般的に知識が欠けているというのは何を観てもいつも思う反省なのだが・・・
それを差し引いたとしても、ダン先生は弱い。弱すぎるっっ!
ドラッグに溺れる人の気持ちがわからないからなあ〜ワタクシ。
そもそも何かに溺れる(悪い意味でね)ということがないからね〜
許されない愛に溺れてる人とか、世間から非難されるような趣味趣向のある人なら少しは理解できるのだろうか。
やめたい、やめられない、やめたい、やめなければ・・・という感情。
ワタクシは、ゴズリンの肩を揺さぶりながら「ドレイのためにもドラッグやめるべきっっっ!」と説教したい気にはなったが、同感や同情はできなかった。
よって少し醒めた目で見ていた。

それにしても、新宿には映画館も多いし、映画人口密度も高い。
「映画の日」ということもあったのだろうが、「ハーフネルソン」も小さい映画館だからと1時間前に行ったにもかかわらず、
3階からずっと長蛇の列が1階まで続いていた。
それも、老若男女幅広い。
人の頭越しにスクリーンを見ながら「みんな、理解しながら見てるのかなあ〜」とか「映画が好きなんだろうなあ〜この人たち」とか思いながら見る「エセ映画好き」nでありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「虚ろな十字架」からの「藁の楯」

2017年07月03日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月3日(月)曇り

死刑制度の是非を問われる度にワタクシはなんの躊躇もなく「あり」と宣言する。
身内を殺されたら間違いない死刑を望む。
死刑にならなかったらワタクシが殺す。
そして、そういう環境(?)で育てたせいか、はたまたワタクシのDNAか、我が娘も「死刑制度肯定派」だったと思う。
そんな娘が難しい顔をして読んだ後「ママも読んでみて!」と差し出したのが「虚ろな十字架」(東野圭吾著)

   娘を殺されたら、あなたは犯人に何を望みますか。
   別れた妻が殺された。
   もし、あのとき離婚していなければ、私はまた、遺族になるところだった──。
   東野圭吾にしか書けない圧倒的な密度と、予想もつかない展開。
   私たちはまた、答えの出ない問いに立ち尽くす。      ー内容紹介より−

娘を殺された夫婦が、まさに、ワタクシが思うようなことを思う。
「死刑にならないんだったら、さっさと刑務所を出してくれたらいい、私が殺すから」
夫婦の望み通りに死刑になり、執行もされた。
夫婦は離婚し、夫は職を変え、妻はライターになり、死刑制度廃止論に反対するための本を書く。
そのために、自分の娘の裁判で、被告の弁護人だった弁護士に取材する。
そこで、自分の娘を殺した犯人が、死刑になるまでの経過を聞く。
犯人は決して反省も懺悔もしておらず、ただ「運命」として死刑を受け入れた。
その妻の前に、自暴自棄になった女が取材対象として現れる。
自暴自棄の理由は十代で犯した罪。
その罪を償わない限り自分も救われないと説き、その罪に関わってしまった故に妻は殺される。
刑務所にこそ入らないもののずっと後悔し、懺悔し、自分の一生を償いのために使う男。
死刑は無力だという弁護士。
ワタクシの心も少し揺らぐ。

先週末、テレビで「藁の楯」を見る。
クソのような話だったが(・・・)
またも、無力感。
現実社会、このクソのような犯人(藤原竜也のクズっぷりには感心する。ついこの前まで「リバース」でいい子だったのに・・・)がいるんだよな〜
死刑で、簡単に楽になるのもいかがなものか(いやいや、死刑制度の是非はそんな論点ではない)

もう少し、死刑制度についての本や映画やらみて勉強したほうがいいのかもしれないと思いつつ、しばらくは楽しい映画や本に触れたいなあと逃げ腰なワタクシ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする