紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

父の介護・2

2007-01-29 16:40:06 | 22・両親のこと
父は特養ホームに入所して、約2年そこに籍はあったけれど、入退院を繰り返していたので、半分も暮らしていなかった。この「暮らす」という感じが、病院と施設との違いだと思う。
施設は、あくまで生活の場であって、病院は、看護してもらう場である。
父は、要介護3だったけど、身体的にはものすごく元気で、足も丈夫だった。認知症のために要介護になったわけで、元気な人が重い認知症になると、まわりの人は24時間みていないとならない。

そして、24時間、誰かが介護にかかわるようになった時が、家族が家で介護する限界だと私は思っている。父は特養に入る前は、365日、24時間介護が必要になっていた。

といっても、これは我が家の場合であって、私も姉もフルタイムで仕事をしていないし、その時は健康だったからできたことである。もし、もっと仕事に関わる時間が長かったり、健康じゃなかったりしたら、24時間介護に行き着くよりずっと早くに、限界がくるだろう。

2年間お世話になったY会のN園では、父は温かい雰囲気の中で、ほんとうに手厚い介護を受けた。その頃からずっと、母もそこでショートステイをさせてもらっている。

(写真トップは、施設のさくら祭り)
施設では年に2回、さくら祭りと敬老の日の集いがあって、その時は大勢の家族も、日本全国から集まってきた。これがなかなか楽しくて、私は毎回欠かさず出ていた。