紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

昨日の日記

2009-01-05 06:52:57 | 22・両親のこと
昨日は娘と一緒に、母の病院に行った。
娘は仕事や山でめちゃめちゃ忙しく、めったに休日に家にいることがない。
でも、めずらしく昨日は一日時間があるので、おばあちゃんのお見舞いに行くという。

そして、二人でチャリで病院までサイクリング。
実は、母は娘のことが今でもわかるかどうか、最近ずっと気になっていた。
この間、息子の結婚式の写真を見せに行った時に、「この人誰だっけ?」と娘をさして、聞いたのだ。
つい2年前、私が「リューマチ性多発筋痛症」で動けなくなるまでは、私の家にいる時にに、娘は母にインスリン注射をしてくれていたり、お風呂の面倒をみてくれたりした。
注射をするのは、たいてい、私が夕飯の支度をしている時なので、それは助かっていた。それなのに、わずか2年弱、家から離れているだけで、名前を忘れちゃうものだろうかと思った。


娘と一緒に病室に入っていって、「誰かわかる?」と聞いたら、すぐに「Jちゃんでしょ。」と答えが返った。
よかった。忘れてなかった。




それでも、いつかは、母も身近な人のことを忘れていく。孫のことも。さらに娘である私たちのことも。
その時の覚悟はできているけれど、それでもできるだけ長い間、私たちのことを覚えていてほしい。

そして、その帰りのこと。病院を出たとたん、娘のチャリがパンクした。
家までは、12kmもあるので、うわーー、どうしようと思った。歩いたら、3時間かかる。とりあえず、甲州街道までいって、自転車屋さんと探そうということになった。
娘は、万が一どこも自転車やさんが閉まっているかもしれないので、おそくなると困るから走っていくという。そして、自転車を押しながら走った。
これがけっこう速いので、驚いた。

甲州街道に出たら、わりとすぐに自転車やさんが見つかって、ラッキー!
そして、パンク修理をしてもらい、その後チューブの中に、何かクスリを注入すると、万が一パンクしても、すぐにはタイヤから空気が抜けないというのを入れてもらった。

そして、今日からみなさん仕事ですね!
私も今週中にしめたい仕事があるので、ガンバラナクッチャ。