久我山駅の近くには、橋が三つあった。橋の下を線路が通っているのだけど、そのおかげで、今でも、久我山周辺には、踏切があまりなく、線路を渡るのに便利だ。
この写真は、私の家からは一番遠い銀蔵橋。遠いといっても、歩いてわずか7分ほどの距離だけど。
この橋を渡ると、向こう側は、森になっていた。
少し歩くと雑木林もたくさんあって、そこは子ども達にとって天国だった。
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昔、杉並では、木登りもできた。
原っぱもあった。
道で遊んでいても、車にひかれる心配などなかった。
どこの馬場から馬が来ていたのかわからないが、たまに馬にのった人も通った。パカパカと足音がすると、窓に近寄って、わくわくしながら、見た。
道はじゃり道で、舗装道路に変わったのは、小学生になったか、ならないかの頃。
舗装道路になってからは、馬が通ることはなくなった。
銀蔵橋の向こうの森がなくなったのは、小学高学年の頃だろうか。
木が切られて、家がたくさん建ち並び、そこに私の友だちも引っ越してきて、仲良くなった。
(写真は近所の友だちをはさんで、右が姉。左が私)
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この橋を渡ると、向こう側は、森になっていた。
少し歩くと雑木林もたくさんあって、そこは子ども達にとって天国だった。
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昔、杉並では、木登りもできた。
原っぱもあった。
道で遊んでいても、車にひかれる心配などなかった。
どこの馬場から馬が来ていたのかわからないが、たまに馬にのった人も通った。パカパカと足音がすると、窓に近寄って、わくわくしながら、見た。
道はじゃり道で、舗装道路に変わったのは、小学生になったか、ならないかの頃。
舗装道路になってからは、馬が通ることはなくなった。
銀蔵橋の向こうの森がなくなったのは、小学高学年の頃だろうか。
木が切られて、家がたくさん建ち並び、そこに私の友だちも引っ越してきて、仲良くなった。
(写真は近所の友だちをはさんで、右が姉。左が私)
こんなのを、残して置いてくださったお父様がいらしたこと。その愛情まで伝わります。
のどかで、私の住む奈良の端っこと少しも変わらない風景に出会えます。
すっかり変わった、東京なので、一層こういう記録でもって、思い出を手繰り寄せることができるのですね。
おかっぱ頭、子供の頃、みんなこうだったなぁ~~~なんて、私の子供の頃にもスリップ・・・
この写真は、ステレオカメラといって、専用のメガネをして見ると、写真が立体的に見えるのです。人が前に、背景の木々は後ろにみえて、さらに臨場感がまします。
カメラがどんな形かは覚えてないけど、一時のはやりだったのかなんなのか、大きくなってからは、そんなカメラ見たことないです。
久我山の駅前に流れている川は、神田川でしょ。先日久我山で集まりがあっていったのですが、駅が近代的に様変わりしていましたよ。
あっ
書いているうちに思い出しました。
我が町の市立文化博物館の映像の部屋で、専用の眼鏡をかけるとスクリーンの映像が立体的になるのです。町の四季を映していました。
これと同じような仕組みが、紅連さんの子供の頃お家で使っていられたなんて、凄いなあと、今更ながら感心しています。
最近では、週に2-3回久我山に行くけど、車で行ってしまうので、駅が近代的になったのは、見たことないんです。うわさには聞いているけど。
一度見てみなきゃね。
あのスクリーンのも、ディズニーランドで見たことあるけど、家にあったのは、あのように大々的なのではなくて、レンズの少し前に(4cmほど)、二枚のネガフィルムを貼り付けた物をおいて、それを両方の目でみるのです。
なんて、なんかうまく説明できてないですね。これじゃわからにですよね。(笑)すみません。今度どうにかして再現できないか、考えてみます。
多津雄ちゃん、私の知り合いでしょうか? それとも両親の? ちょっと聞いた限りでは、おぼえがないような気がするのだけど。
いまは音信が途絶えていますが。