紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

秋の連休

2009-09-20 23:23:30 | 11・健康
天気もよいし、出かけている人が多い長い連休ですね。
私はじっと家にいて、仕事の本を読んだりして過ごしている。

出かけない休みの日は、去年までは泳ぎに行っていたが、今年は泳ぐのをひかえている。

同じリューマチ性多発筋痛症を患っている方の娘さんと、ブログを通して知り合ったのだけど、その方が、これは原因不明の病気であるけれど、体温が低いことも関係があるのではないかと、お医者様にいわれたというのだ。
これははっきりはしていないけど、私も体温が低くて、35.5℃~35.7℃くらい。

朝運動をすると、少しあがって、36℃くらいになる。けれど、効果はそう長くは続かない。また昼に運動をしたり身体を動かさないと、すぐに下がる。

それで、水温が低いのでプールはあまりよくないのではないかと思うようになり、今年は泳いでいない。
たまに泳ぎたくなるけど、やはり、プールに入ると身体が冷えるので、やめておくことにした。
とくに、涼しくなってからは、なんとなく膝の回りがこわばるような感じが時々している。特に朝起きた時。動き始めると、なんでもなくなるのだけど。

連句・秋の巻

2009-09-18 16:58:32 | 7・連句・俳句・短歌
盛夏に巻き終わった後、しばらくお休みしていた連句を始めることになり、発句を募集した。
集まってきたのは、次の句。
やはり、秋というのは句でも詠んでみようかと思うような季節である。


秋の朝 優しき色に つつまれて

新涼や 旅へいざなう 空の色  

コスモスに 謎かけられて  夢開く 

むずかしや 世界遺産の 秋遊び

語られし 菊の香高き 節供かな

秋澄むや 峠路たどり 里眺む

さわさわと 秋桜ゆれる 小径行く  

愛宕山 八十六段 蝉時雨

石垣に 残る温もり こぼれ萩       

図書館の 忘我につるべ 落しかな 
  


そして、の句が、一番たくさんの票を集め、発句が決まった。
昨日、エマノン歌仙・その17「こぼれ萩の巻」がスタートしたので、これから11人で巻いていく。年内に巻き終わるのを目標にしたい。
参加者のみなさん、よろしくお願いします。


◆ 連句の部屋

これからの旅

2009-09-17 17:09:46 | 20・日々のできごと
「旅する力」深夜特急ノート(沢木耕太郎・著)のことについて、もう少し続きを書きたい。
沢木さんはこの本の中で、こう書いている。

「残念ながら、いまの私は、どこに行っても、どのような旅をしても、感動することや興奮することが少なくなっている。すでに多くの土地を旅しているからということもあるのだろうが、年齢が、つまり経験が感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない。」


沢木さんは、私より3歳ほど年上の方だろうか?
実は、この本にはいろいろ刺激を受けて、ブログに書いてきたのだけど、一番心にズキッときたのは、この文章であった。

私なども、旅が好きというより、自分には必要だと思っていたので、しばらく外国の空気を吸わないと、何かが枯れてしまう感じがしてきた。

ところが、この数年は、というより10年くらい、あちこち出かけたけれど、予定を立てて出かけるようになってしまった。限られた日数で行こうとすると、そうなってしまうのだけど、それだけではなく、安全、安心を求めるようになってしまったのだ。
それが年をとるということだろうか。
それとも、背負うものがなくなった時には、また風来坊のように、往復の飛行機のチケットだけ携えて、旅立つことができるだろうか?
もしそれができるとしたら、どこに行きたいのか?
この本を読んで以来、それをずっと考え続けている。


写真は、グランドティトン国立公園。
アメリカ大旅行をしてから3年後。前回行けなかった所を同じメンバーで回った。
こうやって行き当たりばったり、転々とキャンプをしながらの旅など、今後することはあるだろうか。

 


 





 

 

旅の適齢期・アルバムのつづき

2009-09-16 06:19:27 | 8・山と旅の思い出
先週、北アメリカ大旅行のアルバムをアップしていたら、写真の枚数が多くなったので、少し間があいたが、またその時の写真をのせてみる。
主に交通機関の写真をアップしてみる。

移動は主にアムトラックという列車、長距離バス、そしてレンタカーである。

レンタカーは主にハーツで借りた。乗り捨てのこともあったが、大体は、元の場所に返した。

 

1台に5人と荷物を詰め込んで転々と旅をする。

 


それにしても、その時の旅は、失敗も数々あった。ボキャブラリーは少ないながらも、一応ほぼ希望は伝えることができる。とにかく、こうしたいということは、日本語で話したって、通じるものなのである。

ところが、想像とちがうことが起こると、何の事やらちんぷんかんぷん。

今写真をアップして思い出したのが、アムトラック・スルウェイというバス。

 


やけに立派な駅がロスアンジェルスの町にはあるのだけど、私達が行こうとする方面には、そこから列車は出ていないのである。どこかにバスで行ってから、乗るのである。

 


チケットを出したら、このバスに乗れといわれ、外に連れて行かれた。訳もわからず、みんなで乗った。
ふつうは、「列車」のチケットを買ったのだから、バスに乗ったとしても、せいぜい5分くらいの所だと思うでしょう。
ところが、1時間半。えんえんとバスは走り続けた。まちがった乗り物に乗ったと思って、ちょっとひやひやした。
その時の行き先こそ、唯一宿泊の予約をしていたセコイアの森だったからだ。1時間半も方向違いに進んだら、もどるのだって時間がかかる。

1時間半乗って、ベイカーズフィールドという駅でおろされるまで、もうこれはとんでもない所に連れて行かれると思った。


モーテルは泊まりだけで、食事がついていないので、朝食はこんな風に、カフェで食べた。パンケーキがおいしかった。

 


食料を積み込むためにマーケットにもよく行った。

 


アムトラックは、今でも旅情をかきたてられる。その後、事故も多発したが、二階建ての相当大きな車両がスピードを出して走ってゆくのだから、無理ないと思われる。

フロリダのアムトラック・ステーション。

 

アムトラックの中の食堂。

 


アムトラックの・乗車員の人たちと。

 

蔵王の旅

2009-09-14 16:47:42 | 5・旅の日記
昨日、おとといと蔵王の温泉に行って来た。
息子が山形で就職してから、毎年1度、夫の両親と息子と一緒に、山形の温泉に行くのが恒例だった。

息子は、山形企業に就職し、山形出身の人と結婚したので、ほぼ一生山形に住むはずだった。
ところが、人生いろいろあるもので、10月からは長野に住むことになった。

山形には10年住んでいた。そこでたくさんの出会いもあり、東京より友達も多いようで、第二の故郷となった。

ところが、もうじき新天地で暮らさなくてはならない。知っている人は今は一人もいないけれど、そのうち第三の故郷になるのだろう。

そういうわけで、毎年、山形のどこの温泉に行こうかと考えるのも楽しみにしていたけれど、この先は、そういう機会は、もうめったにないかもしれない。
そこで山形で最後に選んだのは蔵王。ここも、一度息子がいる時に、スキーをしに行きたかったが、行きそびれた。

一緒にいったのは、息子夫婦と、彼女の両親、夫の両親と私達8人。

ホテル周辺は、秋の気配。

 


あいにくの天気で、お釜にいったが、セーターが必要なほど風が強く寒い。

 


それでも、下の方にお釜が見えただけでもラッキーだった。

 

来年は、長野周辺の温泉に行くことになるのだろう。

旅の適齢期

2009-09-11 06:53:28 | 8・山と旅の思い出
旅に適齢期というものがあるなら、26歳の時の旅は、やはり、あの時しかできないものだった。

けれど、その旅のおかげで、もっと広範囲な旅を、それから12年後にすることになる。アムトラックという長距離寝台列車や、長距離バスでの移動。行った先ではレンタカーを借りて転々とした40日間の北米大旅行。

アラスカ、カナダのバンクーバー、アメリカのカリフォルニアからセントルイスを通って、アムトラックに乗ってフロリダまでの大陸横断の旅。さらにフロリダを南下して、キーウェストへ行くフリーウェイの途中までのドライブ。
フロリダからはまたアムトラックにのって、ワシントン、ニューヨークまで行った。

この時も、明日はどこにいるのかわからない旅。
小学校5年の息子と、3年の娘、途中からは良流娯さん母娘(小2)と合流しての旅。
子ども連れだったので、何の心配もなく長々と旅をすることができた。子どもを置いてきていると、そちらの方が気になって、用事をすますと、すっとんで帰ることになる。

あの旅をしたのは、38歳の時だったけれど、やはり適齢期の旅だったなあと、沢木さんの本を読んで思った。
自分だけではなく、子ども達3人が、そういう旅に耐えられる年齢になったという意味で、子どもと一緒に旅をする適齢期だった。
あの旅の後思ったのは、ほんとうに地球はおもしろい。あのおもしろさを、子ども達と一緒に体感できたのは幸せだった。

<旅のアルバム>

■ アラスカ

氷河クルーズ

 


 


ファイアーウィードが咲く野っぱらにあるモーテルに泊まった。

 


 


■ 巨木の森(カリフォルニア)・・ここはあちこち旅をしたけれど、今でも一番好きな所。この国立公園も26歳の時の旅で、初めて行き当たった。
アメリカの国立公園は園内の小屋に泊まろうと思うと、予約が必要。ここだけは、ちゃんと予約をしていった。

 


 


 


 


 


 


 


■ セントルイス

ミシシッピー川。ここからトムソーヤーの物語の舞台を見に行こうと思ったけれど、旅に疲れて、みなつぎつぎに体調を崩したので、やめて、ただクルーズをして、のんびり過ごした。

 


 


■ フロリダ

 


 


 


 


マナティー。

 


 


(旅のアルバムのつづきはまた今度)

「旅する力」深夜特急ノート  沢木耕太郎・著

2009-09-10 07:08:20 | 13・本・映画・演劇・音楽など
昨日は仙川の病院の受診日であった。
いつも思うのだけど、いい病院は混んでいる。

この病院の主治医の女医さんは、とっても信頼しているので、会うのがけっこう楽しみなのだけど、とにかく混んでいる。
だから、病院に行く時には、必ず本を持って行かなくてはならない。
下手すると、単行本1冊、待っている間に読めてしまう。

それには理由があるのだけど、血液検査をすると、その日のうちに、血糖値の二ヶ月間の平均値ともいうべきHba1c値を出してくれる。その値を見て、クスリだの注意を受けるのだ。
今日は、6.5で、前回、6.3、前々回6.4より上がってしまったが、まあいいでしょうとのこと。


そして、読んだのは、
「旅する力」深夜特急ノート  沢木耕太郎・著

細かい内容の説明は省くが、これは、沢木さんの旅に関する長編エッセイである。

気になったフレーズ、「旅には適齢期というものがあるのかもしれない」
沢木さんが「深夜特急」を書いた旅に出たのは、26歳の時。

「やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。たとえば、私にとって『深夜特急』の旅は、二十代のなかばという年齢が必要だった。もし同じコースを今の私が旅すれば、たとえ他のすべてが同じ条件であったとしてもまったく違う旅になるだろう。」(本文より)


私も26歳の時、二度目の海外の旅に出た。行った先はアメリカ。
明日はどこにいるかわからない、40日間にわたる、レンタカーでの友達との二人旅。

カリフォルニア州から、ワシントン州、モンタナ州、そして、カナダのアルバータ州。最後は、バンクーバー。
その旅は、私の人生を変えたと思うのだけど、それも「26歳の時」だった。そのことを久しぶりに思い出した。(つづきは次回)


秋向きのヘアースタイル

2009-09-09 06:51:43 | 22・両親のこと
昨日は、母の施設に、母の髪を切りにいった。
母は、昔からヘアースタイルにはこだわった。長いのも嫌い、短すぎるのもダメ。
施設内にある美容院でカットしてもらったら、気に入らなかったらしく、ずいぶんぶつぶつといっていた。
それ以来、母の髪は、私達でカットしてあげるようになった。
父の時もそうで、父の髪は私がカットしてあげていたけど、母のは難しいので、姉がカットする。
私は、ハサミと布、切った髪をいれるスーパーの袋だけ持っていく。

外でカットするので、春と秋、季節のいい時になる。
そして、今年もそんな季節になった。

カットした母を撮ったら、カット終了後、いち早くカメラを抱える姉も写った。ふっふっ。このまま載せちゃおう。




モデルは、この子。低いところでじっとしていたけど、そのうちモデルはいやだと飛んでいった。

  


昨日のY会の庭。バラの花は春ほどたくさん咲いていない。