m's diary

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九州のやきもの&広島の旅2025【伊万里&大川内山の鍋島焼】

2025-03-03 | 九州のやきもの&広島の旅2025

車で福岡行きの旦那に便乗して、久々の九州へ。
ちょうどこの週末は、福岡のホテルが高騰していて1泊5万もするというので、
有田で二人で1万円ほどのゲストハウスを見つけた。
翌日は、雪が怖くて明るいうちに家に向かうという旦那と、有田の宿以外は別行動で九州やきもの旅を満喫してきた。
伊万里の大川内山は、30年以上前の初一人旅以来、有田は3度目、波佐見は今回初。
帰りは、日曜の夜行バスが取れなかったので、もう一泊することにして、タイル情報もらった広島へ立ち寄り帰ることに。


金曜の夜中に家を出て、旦那の運転で無事九州上陸、朝10時頃に姪浜駅前に下ろされる。
ここから伊万里へ向かおう。
駅前では、早速大きな陶板が迎えてくれた。


駅構内にも壁面いっぱいの陶板。
カモメが3羽飛んでいる、、海を表してるのだろうか?
茶系のベンチとの一体感も素敵。


一部に、透明感のあるブルーやグリーンの釉薬がかかっていた。




電車は本数が少ない為、天神から高速バスで伊万里まで。
天神駅のトイレのタイル。凹凸感のあるタイル。



タイルの両端がやや厚めの箸置きみたいなタイルもおもしろい。


伊万里に到着した。
レンタサイクルを借りていざ出発。
日本最大という伊万里色絵婦人立像がお出迎え。


建物の柱にはクラッシュタイルが。
これらは、タイルというよりは、かけらの一片一片が丸みを帯びてるので、食器をリサイクルしたものなんだろうな。


さすがに色鮮やか。



歩道には、伊万里を表す様々なタイルがはまる。
伊万里港から、全国各地やヨーロッパへ磁器が運ばれる。
積出し港の様子。


これから向かう秘窯の里、大川内山。



伊万里の果物。
そういえばふるさと納税の返礼品で毎年伊万里の梨を選んでた。


伊万里牛。


もうお昼も過ぎていたので、まずは腹ごしらえに、伊万里牛のステーキやハンバーグが頂けるという喫茶ロジエへやってきた。



創業は昭和38年というお店は、レトロ感があって素敵。




伊万里牛100%のハンバーグのセットを
有田焼の器で頂く至福のひととき。


デザートと飲み物付き。





食後は、まずは大川内山へ向かうことに。


あちこちに壺やらモザイクやらがあったり、


道路の縁石?にもかわいいタイルが貼られてるのに気づく。


5cm角くらいかな?かわいいサイズに、鹿らしき絵が描かれてる。


こちらは、花のような模様。
数パターンのデザインが、ぽつぽつと貼られてた。



丸くて、花が描かれたタイルも。


アサガオに



カキツバタ。
このサイズ感が可愛くて良いなあ。
ここから大川内山までは、歩くと1時間10分なので、自転車だとその1/3くらいとみて
20分くらいだろうか・・


途中、鍋島焼のお皿を埋め込んだ壁が出現。
あともう少しかな。


学生時代に鍋島焼を初めて戸栗美術館で見た時、その独特なデザインに衝撃を受けて、ぜひ窯元に行ってみたいと、初一人旅を決行した思い出。
なつかしい~


幕府への献上品として、こちらの大川内山で製造されていた鍋島焼。
選りすぐりの職人による表の緻密な絵付けはもちろん
こちらは、壁に埋め込まれていて分からないが、高台が高いのが特徴で、
その高台やお皿の裏面にまで模様が描かれている。





大正橋は、青磁の陶片モザイクで装飾されている。






そして関所跡が見えてきた。
鍋島藩では、最高級の磁器製造技術が外へ漏れないよう当時は関所が設けられていた。



陶工橋を渡ると、鍋島焼でできた風鈴が鳴った。








大川内山の地図も陶板で



一番手前の窯元のお店の塀が、トンバイ塀で、うっとりと見入ってしまう。


トンバイ塀は、窯の中で使われていた耐火煉瓦や窯道具などの廃材を赤土で塗り固めた塀で、耐火煉瓦にこびりついた釉薬の跡や長年の熱によって変化した煉瓦の風合いが最高で、いくらでも見ていられる~




鍋島藩用橋は、ひときわ美しく装飾されていて、
モザイクタイルで造られた青海波も圧巻で、


鍋島焼のモザイクタイルに囲まれて、陶板がいくつもはまる。


周囲に唐花、中央には蝶が円陣組んでるモダンなデザインから、


お花がモチーフでありがなら幾何学的にまとまった文様、


ボタンのような花に、背景の編んだ柵のようなのも合わせるとモダンに見える。


上下に左右対称に描かれた椿は、水面に映った様子なのか?
その表現が面白い。


このボタン?は、雪らしきものと一緒に描かれているようだけど、
なんだかドラマチックな構図


本当にひとつひとつのデザインが秀逸で、興味深いなあ。
現代でも通じるモダンなものが多い気がする。






橋を外側から眺めると、龍が描かれた、こんな大きな組み絵タイルになっていた。



電話ボックスの表示板も陶磁器で。


こちらの窯元の壁には、平たく、周囲にわずかに立ち上がりのある
タイルのようなお皿が貼られてた。



どれもデザインが好き。
丸いお皿にベストな構図











冬だというのに、多肉植物がめちゃめちゃ繁殖してる石垣があった。






そして、またまた渋いトンバイ塀と遭遇。


先ほどの塀とはまた雰囲気が違って、目地幅広めで、なんとなく規則正しく並ぶ耐火煉瓦。







1軒お店へ入って出てくると、めちゃめちゃ貫禄ある猫がいたので、
思わず話しかけてしまった。


写真を撮らせて~と近づいたら、とちょっと怒られた。


天神橋を渡る。


昭和59年に陶板が貼り付けられたと書かれてる。



橋の欄干には、龍や梅の花などが描かれた組み絵タイルや、


鳥や動物たちが繊細なタッチで描かれたタイルも。




どれもやさしい絵付けだな。







橋以外にもありとあらゆるところに陶板が。






登り窯も。



やきもの広場。
やや荒廃していたが、こんなモザイクタイル貼りのオブジェが点在。




モザイクタイルと耐火煉瓦のコラボ壁。


















伊万里鍋島焼会館に戻ってきた。
お手洗い入口には、正統派鍋島焼って感じの美しい絵付けがされた陶板が並ぶ。


大川内山をぐるりと一回りした後は、伊万里へ戻る。
帰りは下りでラクラク。



途中、行きのバスで見かけたモザイクタイルのある公園に立ち寄る。


なんだか見覚えのあるエンジェルが・・
森永のエンゼルだ~
「森永公園」と名付けられてたのは、あのお菓子の森永だったのか。
こちらの公園は、森永の伊万里乳製品工場跡地を利用したものだそうで、
伊万里の酪農は、伊万里出身だった「西洋菓子の父」森永太一郎氏が郷土の為、大正8年に酪農資金を寄付したことに始まり、伊万里の発展に貢献したのだとか。
知らなかった~


そばにはこんなモザイク画も。


更に自転車を走らせると、こんな煉瓦造りの門の遺構が残されていた。
明治27年大坪尋常小学校の新校舎建設に伴って、当時の村長が私財を寄付して建てられたという赤煉瓦造りの校門。
現在は、大坪公民館の門として保存されている。


「日の本石鹸代理店」の看板が古めかしい雑貨店。


伊万里の物産を販売しているお店「永楽屋」


腰壁には、大判のタイルがずらりと貼られてた。
焼き締めの生地に一部、織部釉を垂らしたようなデザインが
かっこいい。


入口へのアプローチも2種類のタイルが使われていて
釉薬で自由なラインを描いたものと、火襷のようなライン模様の入ったタイル、和の風合いのタイルコーディネイトが素敵なお店だった。


古美術店の建物は、2階には黒のモザイクタイルが貼られ、


うだつにも更に小さ目のモザイクタイルが貼られてた。


北古賀金物本店と看板が入っていた、アーチ窓や縦長窓が洋風な店舗。


長い倉庫らしき建物も。


塀に入れられた梅の花のようなかわいいタイル発見。





何のお店だったか?店先の床に貼られてた洋風のタイル。


伊万里川にかかる相生橋には、酒樽に跨るオランダ人のオブジェ。


この伊万里川河口の辺り、江戸時代には、伊万里津と呼ばれ
有田や波佐見など、肥前で焼かれた磁器がこちらの伊万里津から船で積みだされ、日本各地や、長崎の出島を通じてヨーロッパへと輸出されていた。


こちらの橋には、港町らしいエキゾチックなデザインの陶板が貼られていた。







たまに見かける渦巻レリーフタイル。


黒の丸モザイクタイルが貼られてたが、その間に更に小さな白い丸モザイクタイルが貼られてた~目地と一体化して遠目でみるとほぼ見えないけど


キッチンしげの入口周りのタイルが、エナメルぽい色できれいだった。


グリーンの目地もタイルに合っててかわいい。


最後に駅ビルにある伊万里・鍋島ギャラリーで、鍋島焼を見る。
個性的なおもしろいデザインもいろいろあって、楽しめた。

















この後は、鉄道で宿泊地の有田へ向かった。






コメント
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