m's diary

タイル巡り♡タイル制作♡建築巡り♡町歩き

福島&宮城の旅2024【石巻・旧観慶丸商店&旧石巻ハリストス正教会教会堂他】

2024-05-12 | 福島&宮城タイル旅2024

村田町から石巻へやってきた。
午後からのこの旅のメインイベントのひとつだった「旧観慶丸商店」特別公開に参加するために。
旧観慶丸商店は昭和5年、石巻初の百貨店として建てられ、その後、近年まで陶器店として営業。現在は市の指定文化財となり、1階は、市民の文化交流のスペースに、2階は展示室、3階および居住部は、不定期で公開されている。
この日はその公開日だったので、それに合わせて旅程を組んだのだった。


震災にも耐え忍んだ建物、前々から一度見てみたいと思っていたタイルの殿堂?にやっとご対面。
建物は、全面タイル貼り、100種類以上ものタイルが使用されているという、
まるでタイルの見本帳のよう。


1階、アール部分のガラス窓下部には、色とりどりのボーダータイルがずらりと縦に並ぶ。


コーナー部分は丸みをつけた役物タイル、スクラッチタイルや、さまざまな型押しタイルがずらり。


竹風のボーダータイルもあり


役物タイルが縁を取り囲む台座。


エントランスの両脇に建つ柱にも、風変わりな墨流し風タイルが貼られている。





渋い色合いのスクラッチタイルも。


こちらはまた波のようなラインを描く型押しタイル。
次々に現れる外壁のタイルを見ているだけで、なかなか中へ入れない~


やっと中へ。
1階は、市民のコミュニティスペース兼ギャラリーに。
こちらで受付を済ますと、なんとこの日午前中は、十数名の見学者がいたのだけど、午後からは私一人の貸切だと。


私一人にスタッフの方々3名が出迎えてくださり、
いろいろ解説をお伺いしながら見学会が始まった。
まずは、2階へ。
一見、鉄筋コンクリート造りかと思いきや、内部を見ると、木造建築ということもわかる。


大きな円柱も残されている。木の柱に漆喰が塗られたものだそう。


柱上部には、巻貝のような漆喰装飾。


2階から3階へ上がる階段は、建築当時からのもので、陶器店時代まで使われていたのだとか。


現在は鉄板に囲まれている庇だが、元々は、タイル製の庇だったそう。
今もこの陶製の庇は鉄板の中に眠っている。


そして最も見たかった3階の特別公開エリア。
百貨店時代、もとはバルコニーだったが、そのうち食べ物を提供するようになり、屋根を付けて食堂としたのだそう。


こちらの出入り口の一面は、華やかなタイルで彩られている。


砂漠の中を行くラクダやキリンなど異国情緒を醸し出すデザインの陶板と、
それを額縁のように囲むかまぼこ型のタイル、その両脇には、辰砂釉の酸化と還元で焼かれたものだろうか?還元の赤がうまく出てないようだけど。


もう一方には、すずらんのような植物がデザインされている。


周囲の辰砂釉のタイルも、試作品のようなやや不備があるようなピースだけど、バランスよく散りばめられていて、中の黄色との対比もよく、全体的に見るとアート作品のよう。


いずれの下部の壁面にも、様々な色、型押しのタイルが並ぶ。


入口の役物タイルは、編目模様が入っていたり、ほんとにありとあらゆるタイルが目を楽しませてくれて、
いつまででも見ていられる~



入口側から見たバルコニー。


天井はティンパネルが貼られているようだ。



照明がビルトインされたコーナーも。


もう一方のコーナーには、男性用トイレが設置されていた。
壁面のタイルは、外観の入口付近で見たのと同じ墨流し風タイル。
こんな風に前面に貼られているのをみると、やや気持ち悪い。
床は無釉モザイクタイル。


3階スペースを堪能した後は、和室のスペースへ。
和室は、来客用や事務所として使用されていたよう。


1間半の床の間があったり、繊細な細工の組子の欄間、そして、コンクリートで周囲を固めた謎の空間なども。



この中がコンクリートで固めた空間。
どういう用途で使われた空間だったかは謎。


内玄関には、無釉モザイクタイルが貼られていた。

これにて観慶丸の見学会は終了。
マンツーマンでじっくり見せて頂けてよかった。


こちらは、観慶丸すぐそばの「まきいし」という釜めし屋さん。


見学会前に、近くだったのでお昼ご飯に飛び込んだのだが、
釜めしを炊くには時間に間に合わなさそうで、ハンバーグにした。
こちらのハンバーグも人気だそうで、ソースが今まで味わったことのないもので美味しかった。
熱々の陶板に乗って出てくるのもいいな。


観慶丸から見下ろすと、目の前には、第二SSビル。
大正14年に建てられた旧東北実業銀行石巻支店。


現在は、貸しビルとして使用されている。


その後、やって来た旧北上川の中州に建つ旧石巻ハリストス正教会教会堂。
明治13年建築の現存する木造最古の教会堂。
震災時には、2階天井付近まで浸水したそうだが、移築時に基礎が緊結されていたことと、窓ガラスがすぐに破れた為、流されずに残ったのだとか。
一旦解体され、可能な限り元の部材を使用し、復元されている。



1階は畳式の集会室になっていて、
入口上部には葡萄唐草文の彫刻が施されている。






超急こう配の階段を上がると、2階が聖所に。


2階は赤い絨毯敷


イコノスタス(聖障)が飾られた祭壇。


葡萄唐草文の欄間




震災直後のがれきに埋もれた写真が残されていた。


可愛い近代建築。
青緑色に塗られていたが・・美容院か何かに活用されているようでよかった。



こちらもまた可愛いサイズの石蔵造りの建物。



1階がタイル貼りの建物。
飲食店が入っているようだった。




小さなコーナーに紺と緑のモザイクタイルが貼られていた。


駅前などで見たタイルいろいろ。




石巻での町歩きを終えた後は、仙台へ。
そして仙台からの夜行バスで一路大阪へ戻った。
現地2泊3日でも往復夜行バスを使えば、丸々三日間東北を十分満喫できるな~
夜行バスはそれほど苦ではないので、東北行きにも良いかも・・



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福島&宮城の旅2024【宮城・村田町のマジョリカタイル他】

2024-05-10 | 福島&宮城タイル旅2024


二日目の最終は、宮城県の仙台からバスで約30分の重伝建保存地区のある村田町までやってきて宿泊。
翌朝、石巻へ向かうまでの午前中に、町内を歩いた。




村田町は、仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、江戸時代には、紅花、明治には、繭の集散地として栄え、当時からの蔵造りの建物が連なる。



旧大沼家住宅は、江戸時代から紅花の取引で財をなし、その後生糸取引に転向、大正期から昭和初期にかけては、味噌醤油製造販売を手掛け繁栄。
現在、建物は村田商人やましょう記念館として公開されている。
こちらでマジョリカタイルが見れると聞いてやってきた。


囲炉裏のある二層吹き抜けの茶の間。
とても天井が高い。


御手洗やお風呂にマジョリカタイルがあると伺った旨、尋ねてみると、


案内してくださった。
手洗いスペースをコの字に囲むように、タイルが貼られている。


白い正方形のタイルの上にはマジョリカタイルがずらりと並ぶ。



手洗いから回り込むように、タイル壁が続き、その壁に合わせてぴったりとカーブを描く役物タイルが使用されている。
その幅に合わせてマジョリカタイルも幅をカットして合わせたものが使われているなど細かい仕上がりに。



トイレの個室内もずらりと。


更に奥の元風呂場にも、ハーフサイズの横長マジョリカタイルが貼り巡らされていた。





風呂場天井も湯気抜きのある、傘を開いたような凝った造りに。



床にもマーブルタイルが貼られてた。


江戸中期創業の大沼酒造店。



唐破風屋根のついた豪華な庵看板がついていた。




タイル貼りでなんだかモダンな蔵。






タクシー会社の建物。
看板の文字が、、


玉石タイルの貼られた壁面。



阿部屋菓子店。



こちらにもアールの美しいショーウィンドウ下部にマーブルモザイクタイルが貼られている。
おまんじゅうを買って撮らせていただく。


美しい〜



2階が修復中だったこちらの建物は、カネショウ大沼邸。
雑貨&お土産店兼資料館にもなっているようで、中へ入ると、女性の店主さんがにこやかに迎えてくださった。


こちらは、紅花商家だったお家で、村田町の歴史を語り継いで行くために、
本も執筆されたお話などいろいろと伺い、長居をしてしまった。
紅花茶とお菓子をお土産に購入。


元は喫茶店?のような廃店舗の腰壁に貼られていたコラベル型のタイル。


色合いが何とも言えず渋い。


きらきらとした結晶も美しいな。



ドアノブも。



もう一軒地元の和菓子屋さんにも立ち寄る。
みそ味が香ばしい蛇藤まんじゅうや、村田町特産のそらまめまんじゅう



グリーンパール納豆、工場直売所なるものが。
職人手作りの納豆だそうで、工場見学もできるかな?と思いきや、外部からの菌の侵入を防ぐ為に見学はできないとのこと。


納豆を使用したお菓子などを購入。


とあるガレージに置かれた木彫りの数々に思わず吸い寄せられる。
お家の方がちょうどおられ、ご主人が手彫りされたものばかりだという。


なんだか独特で力強い木彫りたち。


植物の種子などを使用して作られたものなど・・
いろいろと見せて頂けた。



内科・小児科の洋館医院も発見。



今はもう廃業されているようだ。


懐かしい型板ガラスもあちこちで見かけた。
この後は、午後からの観慶丸の見学会に向けて、仙台へ戻り、石巻へ向かった。
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福島&宮城の旅2024【郡山の近代建築他】

2024-04-27 | 福島&宮城タイル旅2024

天鏡閣から郡山にやってきた。
郡山のチェックしていた近代建築などを回ろうと、
まずやってきた吉田薬局。
建物の前にトラックが横付けされて、なんだか不穏な雰囲気。
内部を解体撤去作業中のようで、内部だけ壊して、何かにかわるんだろうか?と思いきや、伺ってみると、全て解体される予定とのこと。


えええぇ、、出会ったばかりなのにショック過ぎる。
吉田薬局は、昭和8年建築のアール・デコの意匠がすばらしい看板建築。
丸窓が縦に、横にと並び、丸窓の中にはモザイクタイルがあしらわれていたり、


各所のデザインも凝りに凝っている。



この角度からの眺めも最高。


階段状になった南面の壁面。



中を見せて頂いてもよいか?&撮影の了承を得て少し見せて頂いた。
うなぎの寝床のように奥行きがあり、和室が並ぶ一階。


ピアノが置かれていた部屋も。


風呂場の床は玉石タイルが敷き詰められ、キッチンには、モザイクタイル貼りのシンクがあった。(様々な物が積まれてた。)


2階へ。


2階は、通りに面してる2室は洋室で、こちらのガラス棚は、かつては薬が並べられていたんだろうか?


通りから見える縦長の窓が入った洋室。


奥の部屋は畳敷の和室になっていた。
幸か不幸か、最初で最後に出会った吉田薬局、解体前に内部を拝見できてよかった。
1階の薬局にかかっていた鏡も頂けて、吉田薬局を後にした。



吉田薬局前の美容室。


散策を再開。
「みどり通り」の看板と家のような形の可愛い照明。


洋風の持ち送り。



もみじと水の流れが表された照明の支え。


お寿司屋さんの前を通りかかり、ランチ800円の文字につられて昼ご飯に入る。
新鮮そうなネタに、小鉢やお味噌汁もついていて、このお値段とは、、安くておいしいランチだった。



たばこ屋さんのショーウィンドウの足元に古びたモザイクタイル。


福島見郡山合同庁舎にやって来た。
昭和5年、郡山市役所として建てられ、現在福島県郡山合道庁舎として活用されている。
2年後新庁舎は移転するそうで、建物の今後の活用方法を検討中だとか。






くるまも寄せの装飾。
階段状にあしらわれたレリーフが豪華な額縁のよう。


平日なので、開館していたので見せてもらえた。
高い天井、シャデリアなどが残されている。


三連アーチのあるエントランス。


階段ホール。


階段に残されていた装飾。


2階も天井が高く、ゆったりした造り、アーチのモチーフが繰り返し使われていた。


床のクリンカータイル。


郡山市公会堂は大正13年に郡山市制施行を記念し、オランダ、ハーグの平和宮などを参考に建てられた。


平成16年に大規模改修され、現在もコンサートホールなどとして活用されている。




大理石象嵌が貼られた車寄せ。





扉の小窓から覗いたホール。


郡山市公会堂と同じ敷地内にあった、郡山市中央公民館は、
震災後、復興のシンボルとして再建されたものだそうで、
郡山市公会堂の外観に寄せたデザインの内装に。


壁面に沿って並ぶユニークなデザインのベンチ。




螺旋階段のある階段ホール。




聖ペテロ聖パウロ教会へやってきた。
現聖堂は、昭和6年に建てられた英国聖公会の流れをくむ教会だそう。
大阪の川口教会と同じ系列とか。
内部見学希望者は、電話をと書かれていたので、電話すると
神父さんが扉を開けてくれて、案内してくださった。









家具などに施された装飾もひとつひとつ意味があり、十字架をモチーフにした隠しデザインがあちこちにあることなど、説明して頂けた。



淡い色彩のステンドグラスも素敵。





敷地内にある司祭館。

聖ペテロ聖パウロ教会のことを広く宣伝しておいてください、と言われた。


更に歩いて、久米正雄記念館へやって来た。
昭和5年に、小説家久米正雄の自邸として鎌倉市に建てられたものを移築復元、現在記念館として公開されている。


郵便受けのデザインが可愛い。


玄関ホールがタイル尽くしに。



床は蜀江文デザインのタイル貼り。


腰壁にも布目のボーダータイル。


1階リビングルームは暖炉のある洋室。






お手伝いさんに、お客さんの人数を知らせる
ためのもの。









よく歩いたので、帰りにひと休みに立ち寄った喫茶店Bon。



手前の部屋は普通の喫茶店だったが、奥の部屋の壁面装飾などがレトロで良い感じだった。


理容ひよりに、モザイクタイル円柱発見。


パステル調のピンクと水色がかわいい取り合わせ。


他で見た床タイル。


廃スナックのアプローチに貼られていたタイル。


こちらは、現役のお店のエントランス。
「マジョリカ」という名前の、マジョリカではないタイルが貼られたお店。



とてもゴージャスなタイル壁面であった。


お店が入っているビルの床は、モザイクタイルで装飾されている。
オーナーはタイル好きなのかなあ?!




この日の宿は、宮城県の村田町だったので、
宿に向かう前に、仙台で牛タンの夕飯を。


たまたま入った牛タンのお店のトイレがタイル壁に、陶製シンク、


床も布目タイルと、タイル尽くしだった。

この後、宿泊地の村田町にバスで向かった。




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福島&宮城の旅2024【猪苗代・天鏡閣】

2024-04-16 | 福島&宮城タイル旅2024
西会津の旅館十一塩屋をチェックアウトし、やってきたのは猪苗代駅。
天鏡閣までは、ここからバスが出ていて、そのバスとの接続がすごく少ない。
この時間帯を逃すと、確かお昼くらいにしかなかった。
朝早くに出てきたので、無事バスに乗って天鏡閣へ向かった。



最寄りのバス停で降りたが、そこからまだ高台まで雪道を歩く。
猪苗代湖が見渡せる。



雪が深くて、滑らないようにゆっくりと、、
やっと門に到着。


建物が見えた。
天鏡閣は、明治40年に有栖川宮威仁親王殿下が東北を旅行中に、
猪苗代湖畔の風光の美しさを賞し、この地に御別邸を建設することを決定。
翌明治41年に建てられたという。


本館は、二階建天然スレート葺、八角塔屋付のルネッサンス風の洋風建築。
天鏡閣には26ものマントルピースがあり、それらがイギリス製のビクトリアンタイルにより装飾されている。
そのタイルたちを見るためにはるばるやって来たのだった。


館内の有料ゾーンへ。
客間はロココ調を日本風にアレンジしたものだそう。


早速暖炉にマジョリカタイルを発見。
深いブルー、レリーフ部分の濃淡が美しい単色のマジョリカタイル。



イギリスのビクトリアンタイルらしいシックで美しい色合い、優雅なラインを描くアール・ヌーヴォーの組タイル。


球戯室には、ビリヤード台が設けられ、部屋の東西に二つのマントルピースが設置されている。


二つのマントルピースは同じデザイン。
グリーンが基調のマジョリカタイルが貼られていた。


こちらのタイルは、型ではなく手描きのチューブライニングで描かれたもののようで、よく見るとひとつひとつ微妙にラインが違う。


すずらんのような花がふさのように連なるデザイン。


暖炉にタイルが使われているので、お風呂にも?
と思いきや、浴室は、木製だった。


2階、書斎として使われていたという御座所。


こちらもグリーンが基調に、ほんのりピンク色のタイル。


形からして、桃?!かと思ったが、やはり花をデザインしたもののよう。
グラデーションも美しい。



客室を兼ねたという御居間。


こちらの暖炉には、濃いグリーン背景のチューリップの文様。




こちらもチューブライニングで描かれているよう。
優雅な曲線。



こちらは西客室。


こちらの暖炉は、少し渋めの落ち着いた黄色のレリーフタイルが貼られてた。


こちらも植物文様のようだけど、花の部分の断面がデザインされているような・・


暖炉上の鏡や家具類もアール・ヌーヴォー様式に。


洗面ボールは、イギリス製ジョンソン・ブラザーズ製とのこと。


階段ホールにも暖炉があって、部屋のものより少し小型のようで、
タイルは上部に一列貼られてた。





八角塔へも上がることができた。


こちらも階段ホールに置かれていた暖炉。



こちらのタイルは、中央にマジョリカタイル、周囲を無地のタイルで囲むデザイン。




家具類も素敵だった。
帽子掛けは、繊細なアール・ヌーヴォーデザイン。


アール・ヌーヴォーのフォルムに蒔絵が施された和洋折衷が素敵な飾り棚。


象嵌細工が美しい家具。





シーリングメダリオンも、部屋ごとに趣向が凝らされたデザインに。


帰りは、バスが全くなくて仕方なくタクシーを呼んでもらう。


行きのバスの車窓から見えて気になってた郵便局の建物。
駅近なので、ここで止めてもらった。
新しい郵便局ができて、こちらは現在使われてないそう。
妻面に〒のマーク






この後は、猪苗代駅から郡山へ向かった。









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福島&宮城の旅2024【西会津・旅館十一塩屋】

2024-04-15 | 福島&宮城タイル旅2024

喜多方を後にし、やって来たのはこの日の宿、西会津の旅館十一塩屋。
辺りは暗くなり、雪も散らついていたが、JR野沢駅から徒歩すぐのところにあってよかった。
宿をここにしたのは、友人よりこちらのお宿には、マジョリカタイルの風呂があるとの情報をいただいていたから。
建物は大正初期に建てられたもので、かつては野沢宿の脇本陣だったという旅館。


旅館は、間口は狭いが廊下は奥へ奥へと続いていているよう。
夜は、この先は真っ暗で、朝は6時半過ぎに出ないといけなかったので、
この奥を見せて頂くのを忘れてた・・


お部屋は2階。
階段を上がって、一人では、広いくらいのお部屋へ通される。
この日は寒かったので、こたつがうれしかった。


欄間があって、二間続きのお部屋のようだが、襖は開かず。


そして、楽しみにしていたマジョリカタイル風呂へ。
扉を開けてびっくり。
これほど広範囲にマジョリカタイルが貼られているとは。




正方形のマジョリカタイルが4.5段にも渡って貼られ、その上には赤い菱文のボーダーマジョリカタイル、そして、白い役物タイルが囲む。






天井も何気に折上げ格天井の豪華さ。






壁面の一部は、薄いピンク色の縦長のモザイクタイルが貼られていた。





脱衣所も凝っていて、脱衣かごが置かれてたスペースが、こんなうねりがすごい自然木で装飾されている。






脱衣所に隣接するスペース、洗濯場?にも雷文のマジョリカタイルが貼られ、


お手洗いは、改装されてきれいになっているのだけど、
雷文のマジョリカタイルと白いタイルは、そのまま残されて、腰壁にずらりと貼られていた。贅沢だなあ。






そして、夕食。
どれも手作りのもので、美味しい!
品数も多くて大満足。
お腹いっぱいになった。



しかし、喜多方の和菓子屋さんでゲットしたおやつもあったので、
食後に桜だんごとお茶を。
桜の風味がいっぱいでおいしかった。



館内には、様々な型板ガラスが使われていた。
結霜ガラスに、



「銀河」に「菊」。
繊細な糸菊が表現された「菊」はあまり見かけないのでうれしい。


「つづれ」


「ユーカリ」


「ときわ」


そして、翌朝。
この日は、天鏡閣へ行く予定で、電車があまりなく、7時前の電車に乗らねばなかったのだけど、事前に伝えると、朝食も大丈夫とのことで、お言葉に甘えることに。


朝食も豪華!
こちらもまた手抜かりのない手作りのものばかりで美味しく、特に具沢山の大根餅が最高だった。



昨日気づかなかったが、入口横の階段、紅葉の彫り物が素敵。


朝の旅館十一塩屋。


旅館を出ると、目の前にタイル尽くしの玄関が。
昨日は、遅かったので、暗くて見えてなかった。
思わぬサプライズに喜ぶ。


ちょっとみたことないような組み合わせのレトロなモザイクタイル。


6時50分の電車に乗らないといけなかったので、散歩もできず・・
駅へ直行。


しかし、駅前のはまや旅館の玄関周りにもタイルを発見。





野沢駅のホームが真っ白だった。
遠くに見える山も雪をかぶってる。


最初は、1月に予定してた旅行だったが、雪深いだろうと3月に変更したのに・・



猪苗代へ向かう車窓も雪景色だった。

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福島&宮城の旅2024【喜多方の町歩き&若喜商店のスクラッチタイル他】

2024-04-08 | 福島&宮城タイル旅2024
会津若松から喜多方へやって来た。
駅を出て、目的地へ向かって歩いていると、和菓子屋さんの前を通りかかり、
ふらりと立ち寄ってしまった。


どれも魅力的で選べない・・しかも良心的価格
おすすめを聞いてみると、



このゴマみそ餅だというので、これと、


更に桜餅や桜だんご、ピーナッツ大福が気になり購入。
とりあえず、ごまみそ餅をイートインして、他はお持ち帰りに。
ごまみそ餅、おすすめだけあり、ふわふわで香ばしく、おいしかった~



店を出てふと我に返り、時間があまりなかったんだ~と駆け足


若喜商店へやって来た。
若喜商店は、江戸時代から続く醤油醸造店。
こちらは昭和6年に建てられた店舗と、明治37年建築の煉瓦蔵などが残されている。


店舗は、1階と2階の一部がスクラッチタイル貼り。


昔はたばこ屋さんも兼ねていたんだろうか、たばこの文字。



2階は一部は白い小口タイル貼りで、丸窓や三角に張り出した窓がおしゃれな洋風の造りに。


そして、この1階の壁面を覆うスクラッチタイルが、自分のスクラッチタイル史上?、1,2を争うくらいの好みの風合いだった。



この色合いと風合い、たっぷりと掻き出されたわらび、


こてこてに盛り上がり、押し付けられたわらびが醸し出す景色。
やきものならではの、このえもいわれぬ美しさは、king of スクラッチタイルと称したいほど。


建物から続く塀には、スクラッチタイルと小口タイルを網代に貼った箇所も。



現在もお店になっている店舗部分。
店主さんがおられたので、表のスクラッチタイルのすばらしさを褒めちぎって、「ここのスクラッチタイルが好きだ。」という思いをぶつけることができて満足した。


奥は展示室となっていて、煉瓦蔵の座敷蔵がある。
店主さんには、丁寧にご説明を受けた。
が、この後行こうと思っていた元理容院を改装したという観光案内所にマジョリカタイルがあるということを友人に教えてもらっていたのだが、その観光案内所の閉まる時間が目前に迫っていることに気づく。
その旨を伝え、再び戻って来るので、とダッシュで観光案内所へ向かうも、
冬季は閉まる時間が1時間早く、すでに閉まっていた~~無念;



が、しかし、こちらにもタイルがあると伺っていたので、見せて頂けた。
お手洗いの個室の中に、透明感のある美しい緑のタイルが貼られていた。


こちらは、蔵を改装したオープンに向けて整備中だというおもちゃやプラモデルが並ぶ施設。


いくつかあったショーウィンドウの土台がタイル貼りだった。





若喜商店では、おすすめというだし醤油他お菓子などをゲットし、
お店を出る。
この間に外は再び猛吹雪に・・


先ほど店舗側から中を見た蔵座敷のある煉瓦蔵。
こちらの煉瓦蔵は明治37年に建てられ、洋風のバルコニー風の玄関がついている。
中は純和風で、1階の座敷は、床の間や天井板、テーブルまでが高価な縞柿で作られているそう。


吹雪の中、しばし歩いて回る。
蔵の町と言われる喜多方は、古くから酒や味噌などの醸造業が栄え、それらの保存の為の蔵や、店舗、住居として、又お客さんを迎えるための座敷蔵など様々な形態の蔵があり、その数は4200を超え、大半が現役で活用されているという。
こちらのレトロ横丁商店街といわれる通りにも蔵造の建物が並ぶ。


明治44年に建てられた店蔵では最古の煉瓦蔵だという金田洋品店。


昭和5年に茶葉製造業として創業した島慶園の店蔵。




閉業してなかったら間違いなく入ってみたいなと思わせるたたずまいの浜町食堂。


路地を入ると、浜町食堂の別館部分。
「洋食盛皿肉鍋丼類中華麺 階上座敷をお気軽にご利用下さい」との看板が入口に下がる。
中が気になる~



洋品店のさがら。
何重にも重なる額縁のような窓周りやフォントも良い感じ。


二つの小さなアーチ窓がかわいい、ちか時計店。


タイルとガラスブロックの壁。


ピンク色の下見板貼りの建物、旧滝沢医院。
玄関部分の屋根が腰折れになっていて可愛い。
現在は、ピアノの看板が出ていたので、ピアノ教室?!



通りの建物を一通り見たので駅へ向かうことに。
この猛吹雪に、傘を深めにさして、目線を下にして駅へ向かう道を歩いていると、


ちょうどその目線の先に、玉石タイルが目に飛び込んできた。
うお~、なんたるサプライズ!


近寄ってみるとさまざまな色の玉石がカラフルに混じりあっている。
可愛い~~
猛吹雪に打ちのめされていたが、ぱあっと光が差したかのように気分も急上昇。


顔を上げると、たばこ屋さん兼酒屋さん?!


三叉路に弧を描くように建っていた建物も良い。


cigarettesの文字のある閉じられたたばこのショーケース。
吹雪をものともせず?写真に収める。


駅前に来ると、雪はやっと止んでくれた。
入りたいなと思っていた珈琲専門店煉瓦。
明治初期に米蔵として建てられた煉瓦造の蔵。
閉まってた・・



行きに見つけた4つのアーチ窓が並ぶタイル物件。


あまり目にしたことない雰囲気のレリーフタイルが貼られてた。
窓と窓の間には、こんな花模様のボーダー。


下部には、細かい横ラインの入った、レリーフタイル。

喜多方では、まだ他にも三津谷の煉瓦蔵群など行きたい箇所があったが、、
この天候ではレンタサイクルも無理だし、時間もタイト過ぎたので断念。
そして、この日の宿の西会津へ向かった。




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福島&宮城の旅2024【会津若松・福西本店&さざえ堂他】

2024-04-03 | 福島&宮城タイル旅2024
会津若松の町歩きの続き、、
300年の歴史のある会津若松の大商人、福西家。
約100年前に建てられた黒漆喰の三棟の蔵と商家建築の残る福西本店へやってきた。


店蔵は、お土産物店になっていて、奥の建物が有料で見れるというので見て行くことに。


こちらは、母屋の本来の玄関。
元々は、土間であったところ、後ほど床を嵩上げしたとのこと。



玄関ホールに置かれているのは、ちょうど翌日行く予定にしてた天鏡閣から賜られたという逸品の洋机。細部の彫刻も細やか。


立派な赤松の梁が通る母屋の玄関ホール。


母屋蔵は、現在は半分を吹き抜けに改装して、ギャラリーとして活用されている。



何重にも重なる扉の向こうは、座敷蔵。


お客様をもてなす三十畳の座敷が広がり、


床の間の床柱、床框などには、孔雀杢といわれる模様の入った高価な黒柿がふんだんに使用されているのだそう。


書院周りの木材も黒柿。


釘隠しは、桜の花の形をしているが、分銅が5つ集まった桜分銅といわれるもの。


障子の引手も分銅を模したものだった。中には鶴が描かれている。


引手の中の鶴のデザインは、3パターンもあった。





障子を開ける(案内の方が)と出てきた金庫は、今まで見たことがないくらい緻密な装飾が入ったもの。



蔵の壁が剥き出しにならないように、壁面はダミーの障子が入れられてるが、
開けるとすぐ壁だったりする。


中庭越しに仏間蔵
外は吹雪の勢いが増していた。




竹の細工が軽やかで素敵な欄間。




床の間の床柱から落とし掛け、天袋の扉の周囲に至るまで竹尽くしでまとめられていた。





母屋2階の大広間。
欄間は、梅の透かし彫りや、


鳳凰の透かし彫りが圧巻。











美しい家具、調度品もいくつかあり、、寄木細工の飾り棚が最高に細かくて美しかった〜パリ万博の出展品との伝承あり。


小振りな飾り棚に、これでもかというくらいに緻密な寄木細工が施されていてついつい見入ってしまった。








そしてお茶室。






各部屋の書画は、鳥や犬など動植物が描かれている可愛いものが多くて好みだった。










細工が細か過ぎる螺鈿の飾り棚。






爬虫類系の生き物を模したようなものが台を支える優雅な曲線がアール・ヌーヴォーっぽい飾り棚も。


有料ゾーンを拝見して、店蔵へ戻ってきた。
店蔵の2階へも上がる階段があったので見せてもらう。


洋風の階段を上がると、手前には和室が




奥は洋室となっていて、接客に使用されていたよう。



洋室の天井は、ティンパネルのようだった。

外が吹雪の間に、思いの外充実した見学ができてよかった。
しかし、時間は押してきてる上に外は猛吹雪。
お店の方に心配されたが、「今からいくつか建物見た後、さざえ堂とソースかつ丼を食べるミッションをクリアして、喜多方へ向かう〇〇時の電車に乗らなければならない」と話すと、
「それは厳しい、タクシーを呼びましょうか?」と言われるも、他の寄りたい建物あるし、バスがあるのにタクシーは、ちょっと、、と思ってると、願いが通じたかのように、ぱあっと外が明るくなって、青空が見え出した。
お店の方に、すごい!と驚かれながら、
今がチャンスと慌てて外へ飛び出し、建物巡りの続きに繰り出した。


昭和10年建築の旧黒河内内科医院。
現在は、コワーキングや定住、移住相談などができる「会津若松市定住コネクトスペース」として活用されている。




内部は改装されつつ受付窓口や階段、ステンドグラスも?残されていた。








外観も素敵な医院建築だったので、内部は改装されながらも
このように活用されているのはうれしいなあ。


明治44年に建てられた日本基督教団 若松栄町教会。
建物は平成13年に改修されている。
こちらは外観の見学のみ。



この後、さざえ堂へ。


ほんとなら、レンタサイクル借りて、さざえ堂他、行くつもりだったが、
雪だけでなく暴風がとんでもなく、危険を感じてバスに乗る。
一瞬止んだかと思った雪が、さざえ堂に着く頃には、狂ったように吹き荒れていてロクに建物も見えないほど。
東北の冬、すさまじい・・
3月だからもう大丈夫かな?と思ったのだけど、甘く見ていた。


会津さざえ堂は、寛政8年(1796年)に建てられた六角三層の仏堂。



世界でも珍しい建築様式、二重らせんスロープの木造建築。
上りと下りが別の通路になっていて、すれ違うことがないという不思議な構造に。


阿弥陀仏を本尊として、かつては西国三十三観音像が安置され、こちらで巡礼ができるということで
当時の人々に重宝されていたそう。


最上階に到達。
最上階の天井は、建築当時の参拝者による千社札がびっしり貼られていた。
ここからまた反対側に、螺旋状に下っていく。上がってくる人の声はすれども、姿は見えないという不思議な感じ。


さざえ堂から駅前まで、これまたいい時間にバスがない。
待っていたら、予定してた喜多方行きの電車に乗れないので、徒歩で向かった。
ちょうどその頃、奇跡的に吹雪も止んだ。
そして、もう一つのミッション?だったソースカツ丼、駅前のまるも食堂でありつけた。
丼からはみ出す勢いのあるカツ、ソースの味も美味しかった。



食堂の御手洗いの玉石タイル。


無事、電車に乗れて喜多方へ。



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福島&宮城の旅2024【会津若松の町歩き】

2024-03-28 | 福島&宮城タイル旅2024
旧観慶丸商店の特別公開に合わせて、天鏡閣のマジョリカタイルとの
東北2大タイルの聖地?!&近代建築を巡る旅へ訪れてきた。
はしごできそうな町として、会津若松と喜多方、郡山、宮城県の村田町をチョイス。タイトなスケジュールだが、行きは郡山まで夜行バス、2泊して、帰りは仙台から夜行バスにすると、時間的にも無駄のない?プランが出来上がった。
朝、郡山へ到着してから、会津若松へ直行。
よりによってこの日から気温が下がると伺っていたが、寒すぎる~
さすがに東北の寒さはワンランク違う感じ。
まずやってきた鈴善漆器店。
創業天保3年、漆器問屋として200年の歴史のある鈴善漆器店にある明治から昭和初期に建てられた7棟の蔵は、登録有形文化財に指定されている。
煉瓦造りのモダンな蔵は、美術蔵として作品の展示がされていて、見学もさせていただくことができた。



江戸末期から明治10年頃までに商品のサンプルとして使用されていたという会津塗の碗がずらりと並ぶ。


手の込んだ漆器の展示も。


美術蔵内部。





本館の二階へ。



階段の天井は船底天井に。


本館2階は、商談や会議室などとして使用されていたそう。
こちらは、洋室。


シーリング装飾が、糸巻のような不思議な形。


二間続きの和室も。


階段下のデッドスペースを利用した金庫もあった。


七日町通り沿いの近代建築などを見て歩く。
大正11年建築、旧郡山商業銀行若松支店。
カフェが入ってるようだったが、この日は定休日。


七日町通りに入ると、存在感のある近代建築が次々に現れた。イオニア式列柱が並ぶ昭和2年岡田信一郎設計による建築。滝谷建設工業。


大正3年建築の白木屋漆器店。
3階建て蔵造りの洋風建築で、1階は店舗と資料室、2階は陳列場として
使用されていて、見学可。




旧玄関ポーチのタイル。


古い看板の展示
他漆器にまつわる様々な展示があった。








2階陳列場階段周り



高価な漆器類が展示されている。





陳列場の奥には、商談楊か?応接室のようなスペースも。


探し彫りのある天井飾り



大正15年建築の塚原呉服店。
ファサードには、中央に赤い煉瓦があしらわれていたり、モルタルの装飾や窓の桟、お店のサインなどがしゃれている。
現役のスポーツ用品店。



建物の側面にもデザイン的な桟が入った窓が並ぶ。


昭和2年建築の第二塚原呉服店。
こちらもまた素敵な看板建築。



「Department store」の文字




当時は最先端のお店だったんだろうなあ。
現在は閉業されているようだが、ガラス越しにちらりと見えた内部は、洋品店のままのようだった。





土蔵造りの建物のようだが、窓などは洋風。
会津木綿を使った洋服のお店で、この日は閉まってた。


窓上のアーチの中に野菜のカブのレリーフがついていた看板建築。
甘味処になっていた。


旧種苗店のようで、野菜のかぶらのレリーフ。



老舗の造り酒屋、鶴之江酒造。


タイル貼りの医院も発見。
このグレーぽいブルーのタイルは好きな色味。


青みがきれいなタイル。


凸凹質感の深緑のタイル。


七日町通りから移動して。
古いたばこ屋さん跡


時間があれば入ってみたかった喫茶店ミラノ。


大正5年建築の小汲歯科医院。
現役のよう。


昭和3年建築の旧会津実業信用組合。

続く、、
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