熊本県玉名市の
蓮華院誕生寺にて一日内観を体験してきた。
朝9時半にお寺に到着。
前日から仮眠を取りながら運転してきた旦那は息子と共にこの日は玉名温泉で夕方までゆっくりしてもらうことに。
私は娘と共にいざ一日内観へ。
まずは内観についての説明を受けてから部屋に案内された。
内観はもちろん一人で行うものなので娘とは別室。
部屋の隅に屏風で仕切られた場所があり、その中に敷いてある座布団の上に座って内観する。
一番目は母親について、小学校低学年の頃の自分について調べた。
その頃に母親に
①してもらった事。
②してあげた事。
③迷惑、心配をかけた事。
この①~③までの具体的な事柄をひたすら思い出す。
それがいざとなるとなかなか具体的なことが思い浮かばない・・
しかも低学年と高学年の記憶がごっちゃになってるし;
約1時間後、面接者の方が来られて、思い出したことを話す。
その1時間後、今度は母親について、小学校高学年の頃の自分、その後は中学校、高校・・の頃の自分と続き、
思い出したことを話していく。
面接者の方は特に何の批評をされるでもない。
時折、その時のお母さんの気持ちは?と相手の気持ちを考えることを促されるくらい。
内観は自分自身で気づきを得ることが目的であるので。
途中、お昼ご飯が部屋に届けられた。
結構豪華で美味しい。
ご飯を食べる時ももちろん一人。
他人との接触は内観の妨げになるということで、他人と接触することはない。
必要最小限の用事以外は全て内観に集中しなければならない。
私は毎度、もう最初の30分以内で思考が尽きてしまって時間をもてあましていたのだけど
部屋の中を歩き回ったり、軽い運動くらいならしてもいい、と言われていたので、
最後の辺りはヨガをやったり、体幹トレーニングやったりして時間をつぶしてしまった・・本当はいけないのだろうけど;
結局この日は9時半から16時半くらいまでの間に6回の面接があり
母親について、自分が社会に出てから結婚するまでの区切りのところで終了した。
始める前は母親については今更思い起こさなくても、もう十分お世話になったと感謝しているので
母親は飛ばして次から入れないものだろうか?などと思っていたのだけど、
内観は事実を見つめ、その時の相手の立場に立って考える、という思考を繰り返ししていくので
より一層母親が自分のことをどう思っていたのか?を感じることができたり
子供の頃の自分を思い起こすことで、逆にそれを今の自分と子供の立場に置き換えて考えることができたり
いつもとは又違った視点で考えることができた。
が、しかし、
母と自分の子供の頃の関係を思い起こすことで、逆に今の自分と子供の関係を比べてしまい
断然、自分の方が手がかかってないやん、なんでうちの子はこんなにしんどいの?
という気持ちも正直わき上がってきてしまった。
先生いわく、一日内観は、内観のほんの入り口に過ぎず、これからが本番だと。
私は次の日からこの続きをEメール内観にてひと月の間、毎日行うことになっていた。
Eメールでは上の①~③の質問にプラスして④気づいた事・発見した事が入る。
私はどうもせっかちなようで、毎日、内観をしながらも自分の問題に照らし合わせて考えてしまい、
そのため質問や疑問がふつふつわき上がり、その都度質問させてもらっていたのだけど、
その返答によりやっと今日、細かい事を考えるのはやめて、自分の内観に集中しようと思うようになった。
内観は、問題自体は直接取り扱わないけれど、その①~④の質問を自分に問い続けていくうちに、
問題自体が小さくなったり、消えてしまうという東洋的な解決法だという。
内観は対処療法ではなく根本治療であるともどこかに書いてあったな。
自分の内観を深めることが、家族全体に、そして子供に必ずいい影響を与えるとのこと。
先生の言われる通りだまされたと思ってまずひと月、続けてみたい。
ところで私と娘の内観体験の翌日は旦那に一日内観へ行ってもらい、
結局旦那も先生の説得により、Eメール内観をすることとなった。
旦那と入れ替わりで、息子が1週間の集中内観を現在、継続中。
息子が内観へ入る前、私と先生が話しているのを聞いていた娘が、「2回帰りたいって言ったら帰らしてもらえるでー」
(内観は決して無理強いされるものでないので)
と、悪魔のささやきを息子に吹き込んだので私は、「もう終わったな」と思っていたのだけど、
不思議なことに後二日で終了なのだけど、まだ一度も帰りたい、とは言ってないのだそう。
(ひょっとして家より居心地いい?!)
果たして息子は無事終えることができるのか?何かを見つけることはできるのか?
息子がダメでも自分が何とかするつもりで、あまり期待しないで待とう。