四国村から津田の松原へ立ち寄り、最後にやって来た引田。
引田の商家や町屋が残る町並みを散策することに。
真っ赤な壁が目を引く老舗の醤油屋「かめびし屋」
築200年の醤油蔵が改装されお店になっている。
ここでしか食べれないというもろみうどんを食べてみた。
立派な町屋が並ぶ通りにはこんな洋館も。
昭和7年に建てられた引田郵便局だった建物で現在は日・祝オープンのカフェになっている。
ピンクのタイルのカウンターがかわいい店内。
古い町並みみ混じってちょっとモダンな歯医者さんや
昭和の香りのする住宅などなども。
そして手袋ギャラリーへやってきた。
東かがわ市では手袋の生産が日本の90%を占めるのだそう。
17年前まで現役の手袋工場として使われていた建物が手袋のギャラリーとして生まれ変わり再生された建物。
手袋を使ったアートが展示されていたり
当時工場で使われていたミシンやさまざまな道具類の展示がされている。
建物は明治時代の建築で手袋工場になる前は酒屋として使われていたという。
レトロなミシン
手の形をした仕上げ用の電熱アイロン
当時の工場で使われていた6台のミシンが一つに連なったミシン台。
街中にはこんな童話BOXが設置されていて、
中をのぞくと童話「手袋買いに」の話が繰り広げられている。
BOXの中はこんな風。
娘が探して楽しんでいた。
息子と旦那が讃州井筒屋敷で羽つきやこま回しの昔遊びを楽しんでる間、娘と私は「讃岐和三盆の型抜き体験」を。一人500円。
讃岐のさとうきびは沖縄から伝わって品種改良されたもので、和三盆の作り方が沖縄の黒糖と違う所は、あくを取った後、少量の水を加えてこね、糖と蜜に分離する「研ぎ」という作業が加わることだそう。
丁寧に研ぐことにより、和三盆独特のまろやかな風味に仕上がるのだそう。
この和三盆の粉末に少量の水を入れてよくかき混ぜ、ふるいにかけてきめを整えてから、木の菓子型に山盛りに詰め込む。
はみ出た部分をゴムヘラでそぎ落とし、麺棒のような棒で菓子型の両端をトントン叩くと、
型にはめた和三盆がうまい具合に飛び出てくる。
少し乾燥させて出来上がり。
時間があれば徳島まで足をのばそうか?とも思っていたが、結局この日は引田でゆっくり過ごし帰途に着いた。
二日目朝はまず宿にも近い「門入の郷」というところへ行く予定していたのだが・・
宿のご主人に相談すると「あそこはおすすめできない」とのこと。
建築が好きなら四国村が意外と面白いし、家族でも楽しめるから、と言われ急きょ予定変更し訪れた。
四国村は四国各地から移築された民家33棟が復元されている。
中には洋館もあり、今まで見たことがなかった燈台の退息所なども見ることができて思ったよりいいところだった。
四国村へ行く途中に寄った琴平電鉄屋島駅舎 昭和4年築
四国村に入る手前の駐車場に面して建っていた建物。
明治38年、英国人ワサ・ダウン氏の住宅として神戸市に建てられ、昭和19年から日本郵船(株)の船員寮として使用されていたもの。現在はこちらに移築されカフェになっている。
登録有形文化財。
四国村へ入場したところには「祖谷のかずら橋」のレプリカが。
レプリカと言っても本場の材料を使って本格的に作られたもの。
橋を渡るのはスリル満点・・
木と木の間が思い切り開いてる箇所がいくつかあって、踏み外したら絶対下に落ちるなという感じ。
本物の祖谷のかずら橋は3年に一度掛けかえられるのだそう。
砂糖〆小屋。
江戸時代後期は讃岐は白糖の生産で日本一を誇っていて、讃岐平野にはサトウキビ畑が広がり、搾汁のためのこんな砂糖〆小屋が点在していたそう。
牛に腕木を引かせて建物の中をぐるぐる回って臼を回転させ、砂糖キビを絞ったので円形の建物になっていた。
明治26年に建築された大久野島燈台
明治4年建築の江崎燈台退息所は我が国8番目の様式燈台の退息所。
海風に耐えるためか壁はとても分厚くて重厚。
石造の壁に桟瓦葺の屋根で和洋折衷の雰囲気が不思議。
英国の技師ブラントンによって設計されたそう。
江崎燈台退息所内部。
内部は暖炉や洋風の家具などが置かれていた。
明治6年建築の旧鍋島燈台退息所。登録有形文化財。
昭和30年ころまで宿舎として使用されてきたが、その後は海上保安本部の通信施設となっていた。
石造で正面に円柱6本が建てられ、壁は奥行60センチの切り石が積まれ、桟瓦葺の屋根になっている。
同じく英国の技師ブラントン設計。
明治36年に建築の旧クダコ島燈台退息所。登録有形文化財。
建物はレンガ造で外壁がモルタル仕上げ、屋根は桟瓦葺。
初期の頃の退息所とは違って押入れ付きの畳敷きの和室の部屋が並んでいて和風の要素が強いものとなっている。
こちらも見たことがないような雰囲気の和洋折衷の蔵。
明治中頃に作られたという石蔵で四国では大変珍しいもので、当時ぜいたくであったレンガが床に張られたモダンな建物。
石は国分寺町鷲ノ山産の石で造られいているそう。
今でも全く狂いがないそうで、この日も建物の中では何かイベントが行われていた。
この他にも興味深い民家や蔵などがたくさん。
今回入らなかったが安藤忠雄設計のギャラリーなどもあった。
そしてこの後、引田へ向かった。
今回の香川の旅は(も)節約旅行の為、宿は高松辺りでなるべく安いビジネスホテルでも探そうと思っていたのだが、香川の建築巡りの下調べをする中で見つけた宿、「竹林民宿・八正庵」、この宿にとても心惹かれ、しかも一泊二食付きで大人一人6500円という安さに、これなら我が家でも泊まれる、と即効ここに決めた。
さぬき三木の白山という山の麓にある民宿「八正庵」のアプローチはこんな竹林に囲まれている。
この階段の先に見えるのが八正庵。
なんて素敵なシチュエーション!
宿は現在一棟だけで約8人寝泊りできるそう。
ここをこの日は我が家の四人で貸し切り。
着いた日はもう日が暮れていたので宿の入り口はこんな風にライトアップされていた。
扉に使われた古い建具がいい感じ。
部屋の中はあたたかい木の感触が漂い、ほっと和める空間。
四人にはとても贅沢な広い空間に、家にはない炬燵もうれしい~
子どもたちも大喜び!
晩御飯、朝食はこちらの百姓茶屋「アートカフェ白山」にて頂いた。
完全無農薬有機農法で農業をされているご夫婦がこちらにカフェ、そして一年前より民宿を始められたという。
晩御飯、朝食時にはこちらのご主人にいろいろとお話を聞かせていただいた。
自然の循環や太陽の恵みを大切に考え農業を営む傍ら、民宿、カフェの経営の他にも建築デザイン事務所もされているというご主人。
更にはアーティストでもあり、カフェにはご主人自らが製作されたという現代アート作品が並べられている。
晩御飯には近くの山で採れたというイノシシ、そしてこちらで育てられた野菜を使ってのぼたん鍋をいただいた。
ご主人が研究に研究を重ねたという味噌仕立ての鍋のスープがとても美味しくて!
家では鍋をしてもあまり野菜をお代りしない子どもたちも爆食い。
この日はうどんをたくさん食べて来るだろうから、晩御飯は大人二人分でよいと頼んでいたのだが・・お鍋もたっぷり、更にこの後、ぞうすい、そしてデザートと、四人で十分お腹いっぱいになるくらいいただいてしまった・・;
隣には囲炉裏端もあるとのことで見せていただいた。
もと牛小屋だった建物を改装したもので、こちらの囲炉裏はご主人の手作り。
そこそこの人数がいればこちらも利用できるとのこと。
部屋の仕切りにはいらなくなった古い建具を使ったりと、捨てられてしまうものを利用してよみがえらせるという、私も大好きなリサイクル精神があちこちに見られ、ご主人のアイディアとセンスで廃物が見事によみがえっていた。
そしてこれが翌朝の朝食。
これが朝食?!
と思うくらいボリュームいっぱいの、しかもヘルシーなお膳。
素材の野菜が引き立つやさしい味わい。
気候のいい時期に来るときっともっと気持ちいいんだろうなあ。
そしてこの竹林の中にもう一つある小屋のようなもの。
これはなんとご主人手作りのお風呂なのだ。
しかも天然の温泉になっている。
鉄分を含むのかちょっと茶色味を帯びたお湯。
このお風呂もいらなくなった木材などを再利用して作られたもの。
これは炭焼き小屋。
竹炭焼き体験などもできるよう。
他にも季節折々の農業体験、収穫体験などもできるという。
自分たちで収穫したての野菜などを調理して食べれるなんて、子どもたちも喜びそう。
早速、毎年恒例のE家との夏旅行の今年の候補にも!
ご主人作のアートスポット?!
自然がいっぱいで朝の散歩も気持ちいい。
今回の旅は建築とうどんだけで十分お腹いっぱいと思っていたのだが、こんな素敵な宿にも出会え、お話を聞くうちにご主人の農業や食に対する情熱も伝わってきて、すばらしい宿体験&食体験をさせていただくことができた。
宿はまだ一年目で軌道には乗ってないとのことだったが、スローフードな宿、として、少しずつテレビや雑誌の取材なども来てるそうで、ここは知られればきっとブレイクするだろうなあ。
流行る前にもう一度、夏に来てみたいなあ。
善通寺では旦那、子どもたちの為に四軒目のうどん屋「清水うどん」、そして善通寺郷土館を用意していたのだが・・
この前の店でもうすでに子どもたちはギブアップしており、子どもの分まで平らげた旦那のおなかもいっぱい。
この日は一軒目のうどんやの開店時刻に合わせて5時半起きでやって来たのでそろそろ疲れも出てきて仮眠を取りたい、という旦那と子どもたち。
ということで家族を車に残し、一人散策へ繰り出した。
まずは善通寺に来るとよく寄っていたカタパンのお店、熊岡菓子店へ。
お店の創業は古く明治29年、現在の建物も大正2年に建てられたもの。
カタパンを買おうとしたらもう昼を軽く回っていたのでやはり売り切れ;
お店に並ぶなつかしい味わいの陳列ケースも昔から大事に使われていたものだそう。
大正時代い建てられたという銭湯、大正湯。
映画のロケ地にもなったそう。
玄関上部の棟飾り付きぺディメントが特徴。
こちらも大正期の建築、水尾写真館。
補修されて間もないのか?真っ白な板張りに青いラインがくっきりと、ちょっと味気ない感じ?!
スワンのマークがこの建物の雰囲気に合ってるなあ・・
同じ道路沿いにも水尾写真館のように補修されたて?のような水色の木製窓枠を持つ建物もあった。
こちらもノーチェックだったが、遠目で見て小学校の校舎か何か?と駆け寄ってみたら、自衛隊の教習所、とのこと。
門が全開になってたので思わず敷地に踏み込んでしまったが・・迷彩服を着た自衛隊員がやってきて注意されてしまった;
調べてみると昭和16年建築の旧陸軍の後方支援隊の建物だったそう。
こちらは一階は駐車場兼店舗となっていた建物。
二階の外壁に入れられてた店名のロゴや軒に細かく入れられたギザギザの飾りに味わいが。
本郷通りへやってきた。明治34年頃に建てられたという大川酒店。
鏝絵が描かれた漆喰壁が迫力ある。
大川酒店に隣接して大川酒店の応接間として昭和12年に建築された洋館。
大川酒店洋館のここの塀が、今までちょっと見たことのないえぐれたような面白い塀だった。
大川酒店の並びには明治33年に建てられた旧善通寺郵便局だった建物。
明治時代末から大正時代にかけては、旧善通寺町役場として使用されていた。
現在は喫茶店カリキュダムとして利用されている。
この旧郵便局の裏手の方を歩いてみるとあった建物てっぺんのレリーフが優雅な建物。
窓ガラスには「本家京染 大西洸長」とのロゴが入ってたが、中は荒廃した様子。
大正12年建築の旧赤門前停車場待合所。
昭和38年まで多度津から琴平まで走っていた琴平参宮電鉄の停車場だったそうで、最近まで居酒屋として使用されていた。
車を止めてる善通寺町へ戻ってきた。
こちらも偶然見つけた個人宅の洋館。
窓枠は新しいサッシに変えられていたが控え目で細やかなレリーフがきれい。
真ん中の植木の蔦に覆われているところが、元玄関?
この洋館は一軒の建物かと思いきやこんな風に複雑に三つ、四つの建物とくっついて
いた。
和館とのつなぎ目の建物が和洋折衷で不思議な感じ。
ここが玄関になってるみたい。
善通寺町、もっともっと散策してみたかったがそろそろ戻らねば~
車に戻り、歩きでカバーできなかった建物へ二軒ほど寄ってもらう。
明治後半から大正にかけて建てられたという旧陸軍第11師団兵器庫。
現在は陸上自衛隊善通寺駐屯地倉庫となってる建物。
赤レンガの建物は三棟あって南、北、東に放射状に配置されていて壮観!
三棟ともデザインが微妙に違うらしい。
もう一軒、磯野家住宅へ。
昭和5年に旧陸軍第11師団の陸軍主計中尉の仁井榮四郎氏が建てた住宅で、伝統的な和風建築に隣接して建てられた接客用の洋館。
この後、高松方面、そして宿のあるさぬき三木へ向かったのだが、睡眠を取ったらまたうどんが食べれるようになった?!という旦那と、そういえば昼ご飯を食べずに散策してた私の遅めの昼食にと、善通寺のうどん屋「山下」へ立ち寄ったのだった。
宇多津の後はほんとは丸亀だったのに間違えて多度津へ行ってしまった;
多度津の後、少し引き返して丸亀へやってきた。
ここでは旦那、子どもたちにとっては三軒目のうどん屋になる「綿谷」、そしてその後は「うちわミュージアム」で丸亀の特産品のうちわについて学んでくるようにとの指令を出し、私は適当なところで車を降ろしてもらった。
大野写真館、昭和26年建築だそう。
全体的にはシンプルな建物なのに、ショーウィンドウになってるこの部分だけは装飾が豊富。
元々の出入り口?!
重厚な町屋が・・と思ったら
隣接してサーモンピンクの洋館を発見。
昭和11年建築の元医院診療室だそう。
地図を見るために立ち止まったら、目の前の閉まっていた骨董品屋に用事があったおばちゃんに、私も客だと思われたようで声を掛けられた。
建築巡りをしてる、と言うと「それならこれを見なくちゃ~」
と連れて来られた隣にあった建物、「秋寅の館」。
大正末期に秋山寅吉氏によって農機具・鍛冶を扱う鉄の商売の為建てられたもの。
太平洋戦争中は空襲の恐れにより解体保存されたが、戦後、この場所に再築されたのだそう。
以来平成3年まで鉄を取り扱う「秋山寅吉商店本社」として営業されてきた。
現在は「まちの駅」として観光案内所兼レンタルスペースなどとして活用されている。
二階部分の外壁を覆う黒光りするタイルがすごい威圧感のある建物。
商店当時のカウンターがそのまま残る店内。
家族と今別行動で散策中で・・と言うと、おばちゃんはそれなら急ぐわね~と言いながら、せっかくなのでお茶をいただきましょう。と
出していただいたお茶を飲みながらしばしお話を。
うどん屋を経営してるというおばちゃん、ここへ来る前、おか泉で食べてなかったら立ち寄らせてもらったんだけど・・
そしてこの館の中に残る防空壕も見せていただいた。
表側は鉄の重い扉になっていて、それを開けると階段が。
中に入ってもよい、とのことだったので初めて防空壕の中へ入るという体験ができた。
天井は意外と高くてちょうど立ってられる程度、中には備蓄品を置く棚が周りを囲んでいて四畳半?くらいのスペースがあった。
この後、銀行を改装した施設、スペース114へ行く、というとおばちゃんは道案内をしてくれ、「あんまり付きまとうと悪いんで」と言われてお別れした。
ここは昭和2年に建てられた百十四銀行丸亀支店だった建物で現在は「スペース114」という飲食・喫茶コーナーや多目的施設として活用されている。
旧銀行らしい吹き抜けの大空間。
分厚い扉の金庫も健在。
奥には飲食・喫茶のコーナーが。
そして一旦商店街を抜けて駅の北側へやって来た。
ここでショックなことが・・
見るのを楽しみにしてた建物の一つ「津坂洋品店」が見つからず、たばこやのおばちゃんに聞いてみたら、「そこのシートがかかってる建物。取り壊されるところよ。」と・・
ガーン・・
シートの隙間からはさすがに見ることができなかった;
津坂洋品店から少し行くとタイルの装飾とアーチ状の窓にはカラフルな色ガラスが入れられたお宅。
昭和13年の建築だそう。
ステンドグラスと思いきや窓にはV字模様の桟が入ってアーチの下の部分は引き戸になっていて開閉できるようになってるみたい。
しばらく線路沿いを歩き、線路沿いから少し道を入ったところにあった堀家時計店。
昭和初期に建てられたもので登録有形文化財となっている。
元医院だそう。
まだもう少し時間がありそうなので商店街へ戻った。
大正12年建築の重元果物店店舗は先ほど見た秋寅の館に似て、二階の外壁は
黒漆喰塗と黒色タイル貼りで仕上げられている。
これは香川県では丸亀と多度津独特の仕上げなのだそう。
登録有形文化財。
かわいいリンゴ模様のシャッターが二階の重厚さと対照的で面白い・・
昭和初期の建てられた和菓子店、寶月堂工場。
元砂糖卸問屋だったそう。
ああ!この建物もなんともいえず風情があるなあ。
隣接していたのはやはり二階は黒漆喰塗と黒タイルで仕上げられたもの。
二重のうだつが存在感たっぷり・・
これにて丸亀の建築巡りを終了し、うちわミュージアムでうちわについて学んでた家族と合流、この後善通寺へ向かった。
宇多津の「おか泉」では私もやっとその日の朝食となるうどんにありつけ、その後近くにある登録有形文化財、倉の館三角邸(旧堺家住宅)へやってきた。
倉の館三角邸は肥料販売業で財を成した堺芳太郎氏が昭和初期に接客用のお座敷として建造したものだそうで内部の床の間や廊下、玄関には入手困難な銘木がふんだんに使われ、贅を尽くした建物になっている。
現在は町の多目的施設として利用されているそう。
建物の一隅には避雷針のついたとんがり屋根の洋館がある。
アーチ窓のステンドグラスは町の施設になってから新調されたものだそう。
宇多津の後は多度津にある洋館二軒を見に行った。
ここは道路を挟んで向かい同士に二軒もゴージャスな洋館が建っているすごい地帯!
こちらは昭和15年建築、国登録有形文化財の山本医院。
昭和の建物とは思えない凝った装飾が見られた。
現在も内科医院として使われているようで、ちょっと玄関に足を踏み入れてみた。
そして山本医院の斜め向かいに建つ旧楽天堂医院は大正元年の建物。
外観がすばらしく濃度の濃いゴージャスな洋館!
現在は印刷屋さん?の店舗として使われているよう。
玄関ポーチの柱は豪華なコリント式。
こちらは宿に向かう途中高松の鶴市町で立ち寄ってもらった高松市水道資料館PR館。
大正6年建築、登録有形文化財。
高松の近代的水道施設の創設当時から事務室、宿直室として使われていたそう。
高松市水道資料館PR館と同じ敷地内に建つ高松市水道資料館歴史館。
大正7年建築、登録有形文化財。
元、ポンプ所として建てられたもの。
改装中のようで中には入れなかった。
そしてほぼ通り道という理由で最後の最後?に立ち寄ってもらった三木町池戸公民館。
大正8年、木田郡役所新庁舎として建築された建物で、郡制の廃止後は香川県の蚕業試験場や農業試験場を経て昭和58年に池戸公民館として開館されたそう。
屋根の上に載ったドーマー型換気塔がアクセントに。
香川の建築巡りは坂出のこの郷土資料館からスタート。
この建物は坂出商業学校が県立に昇格した際に大正9年に建てられたものだそう。
昭和53年に郷土資料館として開館され、民具や考古・歴史資料などが展示されている。
郷土館から出てちょうど向かいにあった民家が目に飛び込んできた。
玄関ポーチ周りや軒などにちょっと凝った飾りやタイル使いが趣のある建物だった。
大正9年建築の後藤産婦人科医院。
赤い屋根がとても印象的な建物。
少し行くと見えてきたのは木田歯科医院。
ここでうどん屋「兵郷」へ行く旦那、子どもたちとはルートを外れて一人散策へ。
少し戻って、さびれ気味の本町商店街へ入る。
衣料品店の水尾メリヤス。
窓の桟の模様がモダン
隣も水尾メリヤス。
上を見上げるとアーチ状の窓がつく重厚な雰囲気の建物が顔をのぞかせてた。
更に商店街を進むと見えてきた高須商会(昭和8年頃築)も和洋折衷な雰囲気が独特。
高須商会の両脇にある石のうだつは洋風でアールデコ調の美しいデザイン。
百十四銀行坂出支店は昭和5年建築。
鎌田醤油の本店。
こんなとこにあったんだ・・
大正期の建物だそう。
元町商店街の入り口に建つ角本・金栄堂は昭和9年築の建物。
元は本屋さんだったそう。
現在一階は喫茶店になっていた。
最上階の丸窓にはステンドグラスが入っていて三階にはアーチ窓が並んでる。
中から見てみたいものだ~
しかしさすがに一階の喫茶店でお茶する時間もないので言い出せなかった・・
本町商店街入り口近くにはこんな薬局や
古いたばこやさんなどもあり・・
もっと練り歩けば何かありそうだったけど、そろそろタイムリミット。
最後の予定してた一軒、鎌田共済会郷土博物館へ。大正11年築
坂出の予定通りの建築巡りを終え、うどんを食べ終え郷土館、図書館で待機していた旦那、子どもたちと合流。
この後は宇多津で一押しのうどん屋「おか泉」へ行くことに。
しばらく封印していた(食べ過ぎるという理由で;)香川へのうどん旅が、この度復活!
といっても表向きはうどん旅だが私にとっての真の目的は建築巡り・・
旦那に好きなうどんを思いっきり食べてもらってる間に私はせっせと香川各地の建築巡りをしようという一石二鳥のすばらしい?計画を思いつき、久々に香川へ行こうという話が浮上した。
いかに家族に負担をかけることなく建築巡りを楽しむか?を課題に「うどん」と「建築」を絶妙に織り交ぜた、我ながらなかなか無駄のない周到な計画を元に先週末に香川への旅を決行してきた。
主なスケジュールは一日目は瀬戸大橋から香川へ入り、坂出、丸亀、善通寺ではそれぞれ時間を取って町歩き兼建築巡り。
私が建築を巡る間、各地でピックアップしておいたうどん屋とそこそこ遊べそうな施設で旦那と子どもたちは過ごすことに。
宇多津、多度津、高松は車で1,2件スポット建築巡りを。その後宿へ。
お宿は、香川の建築を検索する中、さぬき三木で偶然見つけたリーズナブルで素敵な竹林民宿。予想以上のすばらしい宿に感激・・
二日目は、門入の郷、引田の町並み、時間あれば徳島の建築、の予定だったが宿のご主人の強力なおすすめもあって門入の郷を取りやめ、四国村、そして引田へ、最後は徳島ラーメンで締めにした。
現地では予定してたもの以外にも素敵な建築にたくさん出会うこともでき、旦那、子どもたちもうどん、その他名物を思う存分食べることができて楽しい一泊旅行となった。
写真は「おか泉」のつやつやの生醤油うどん