蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

博多どんたく  (bon)

2017-05-04 | 日々雑感、散策、旅行

            昨日3日は、憲法記念日でした。 政府は、念願の憲法改正について
                 その意気込みを語っていました。とくに9条について、自衛隊に関する項を
                 追加の形で、また教育に関する事項についてなど改正に力が入っていました。

 

 福岡に住む友人からのメールに、昨日から“博多どんたく”が始まり、賑わっているとあ
りましたが、午後には凄い雨が来て中止になったとか・・の情報がありました。

 あ、そうか、今頃“博多どんたく”なんだ。 これについては、あまりにも有名なので、
周知のことですが、ちょっとだけ復習してみました。

 昨日のネットには、『ゴールデンウィーク中、日本最大級の人出でにぎわう「博多どんたく
港まつり」が3日、福岡市で始まった。午後になって激しい雨が降り、見どころのパレード
は途中で中止となったが、100万人(主催者発表)が訪れた。』 とあり、毎年、5月3~
4日に開催されるうちどちらかの日に雨が降るというジンクスがあるなどとあり、昨年も3日
のパレードが雨で中止だったそうです。

  博多どんたく(ネット画像より2点)
 

 そもそも、「博多どんたく」は博多松囃子を母体として形成・発展してきた・・とあり、
1595年の記録に『博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行った』とあるそうで、かなり
古くから行われていたようです。 江戸時代の記録では、年賀行事として、博多松囃子が行
われ、この三福神(福禄寿・恵比寿・大黒天)と稚児の行列に加えて、博多の各町・各人が
趣向を凝らした出で立ちや出し物で「通りもん」と呼ばれる人たちの行列がその原型で、
現在にも続いているとありました。

 このように見てきますと、昔は、お正月の祝行事として始まっていたのですが、明治に入っ
て、天長節や紀元節などに統合されたこともあり、また、太平洋戦争中は中止され、昭和21
年に博多復興祭として再開され(5月22、23日)、現在のどんたくの形式はここに誕生したと
ありました。 1949年(昭和24年)からは前年に制定された憲法記念日に合わせて5月3日と
翌4日を開催日と決められ、名称も「松囃子どんたく港祭り」となり、さらに、その後(昭
和37年)、どんたくは「博多どんたく港まつり」と名称が改められて、市民の祭りとして
広く一般市民から参加者を募る方式となり、「博多」にとらわれず福岡市全体の祭りとして
定着したのだそうです。

 お祭りも、いろいろと変遷をたどっていることが分かりました。 このどんたくは、開催
場所も、その賑わいが次第に大きくなるにつれ移動したりしているそうです。

 ところで、「どんたく」は、オランダ語で「日曜日」を表す語 zondagが訛った言葉だそう
ですが、この言葉は、明治政府制定の祝日を指す言葉として、明治4年から ナント、政府が
広めた言葉だとか・・。また、午後がお休みの日のことを「半ドン」というのも、半日どん
たく=半ドンから来ているとか・・。

 

 

 

 

 

 

コメント
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