蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

慰霊の日  (bon)

2022-06-23 | 日々雑感、散策、旅行

 宮内庁HPに「忘れてはならない4つの日」が記載されています。
 40年ほど前の上皇様のお言葉だそうです。 この4つの日とは、6月23日の
沖縄慰霊の日、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日 そして8月15日
の終戦の日です。

 沖縄県は、今日6/23を「慰霊の日」に制定しています。  この日、糸満市
摩文仁の平和祈念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。 新型コロナの
ため昨年同様規模を大幅に縮小して実施され、式典では、沖縄戦での20万人以上の
犠牲者のほか、全戦没者の冥福と世界の恒久平和を願うとあります。

         摩文仁平和祈念公園
        (ネット画像より)

 太平洋戦争末期、終戦1年前あたりから急速に戦況は悪化し、44年7月のサイパン
島陥落、10月のレイテ沖海戦、翌(1945年)3月の硫黄島陥落に続いて、4月1日
米軍は 1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員が沖縄本島に上陸を開始したのです。
 約3~5ヶ月にわたる沖縄戦が始まりました。 この戦闘で日本兵及び一般住民約
10万人を含め約20数万人の方々が亡くなったのです。一般住民約10万人というのは、
沖縄県民の4人に1人が命を落とした計算になり、戦力不足から学徒を巻き込む壮絶
な戦いとなり、甚大な被害があったのでした。

 6月23日未明、日本軍司令部の沖縄防衛第三十二軍司令官・牛島満中将と同参謀長・
長勇中将が糸満の摩文仁にて自決し、この日を組織的な沖縄戦の終結日ととらえて
『沖縄慰霊の日』に制定されています。 しかし、実質的には、その後も沖縄本島
以外の各島や本島内でも局地的には引き続き戦闘が行なわれており実質的には降伏
文書に調印した、9月7日のことだったようです。

         今もどこかで・・
        (ネット画像より)

 今日も摩文仁の丘で記念式典が繰り広げられますが、沖縄の人々にとっては、今
なおやるせない思いに包まれることでしょう。 おりしも、今年、沖縄本土復帰50
周年にあたり、先の5月15日には、沖縄コンベンションセンターにおいて「沖縄本土
復帰 50 年式典」が挙行されました。天皇・皇后両陛下はオンラインで、首相らは
会場に列席しました。

 式典における各氏の挨拶内容からも想像できますが、終戦後20年にわたり沖縄は
米国統治下にあり、直前の地上戦の生々しい記憶下で過ごす精神的苦渋を引きずり
ながら、復帰後においては、本土との種々の分野において格差を克服しなければな
らない状況にあり、インフラ整備を始め経済面、生活面においても復興の手が差し
伸べられてきましたが、今なお米軍基地の負担を強いられているなどどうしようも
ない現状のひずみを解消しきれずにあることに思いは行き止まってしまうのです。

 青い海、豊かな観光資源もコロナの非情の影響は手加減されず活用できない状況
下にあります。それでも、今日の沖縄は目覚ましい活躍を遂げ、復帰50年を記念し
たNHK朝ドラ「ちむどんどん」は、やや苦戦中の感は否めませんが、明るいヒロイン
の活躍とともに、今後の発展に期待したいところです。

 

 

 

戦世から77年 慰霊の日特別配信 沖縄全戦没者追悼式 【沖縄テレビ】

 

 

 

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