さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

熊本城天守閣へ

2014年02月07日 | 九州シリーズ



櫓にも登ったので、次は天守閣です。なんか侍の格好をした若者がちらほら。
「ようこそござった!」「ごゆるりと見てまいられい!」などと観光客に話しかけ、
記念撮影に応じています。最近あちこちのお城でこんなことやってますねェ。

俺は年齢的にいって殿様役かなー。「ま、近こうよれ♪」とか「下がれい無礼者!」
なんて~~(^益^;ヨイデワナイカ



さっきの櫓より高いだけ、ちょっと眺めもいいか?



遠くにはうっすら阿蘇の山並みが見えています。いいねー。



さっき登った櫓が見えています。だいぶ低いなw



お城の一部は展示室になっております。お城を再建するのに右の松崎さん、私財を
寄付したようですねー。しかしこういう形で残されるのって…^^;



西南戦争で使われた砲弾。いつの時代でも、「やれ!」と命令する人、「やれやれ!」と一緒に乗っかる人、「勇んでやっちゃう人」、「いやいややらされる人」、「いやなのに吹っ飛ばされて殺される人」などがいたのでしょう。あなたはどーれ?

       *            *             *

漱石は熊本の第五高等学校(のちの熊本大学)で英語の教員をしておりました。
ついこないだテレビで見て知ったのですが、授業数は週に23時間だったとか!
こりゃ多いよー。いまは高校では50分授業を週に16コマくらい?大学だったら
90分を6~7コマくらいですよ。1.5倍くらい働いてますねw

給料はその分(?)高かった。いまの物価に換算してみると、だいたい月に150万円
くらいだったのか?こりゃいまの教員の3倍か?当時の高等学校への進学率は
1%くらいだったとか。大変なエリートだったのです。そこの教員ということで、大変な
ステイタスだったのではないでしょうか。

しかし以前に伝記を読んだ記憶では、東京帝国大学の教員になったときには、
給料が少なすぎて奥さんは着物を質に入れていたそうですよ。あんまり生活が
苦しいので、日本教育の頂点であった帝国大学の教員を辞めて、朝日新聞社と
契約を結んで小説家になったということだそうですが。。。