先日、夕暮れ前のポンプ場公園で自転車の練習をしている父子を見ました。
聞くともなく聴いていると「離さんといてな‥」と子供がつぶやいていました。僕は何十年か前の子供の気持ちをありありと想い出しました。その後から追いかけるお父さんは、約束を上手に破らなければなりません。
僕の父も同じように僕を欺して手を離し、僕は何度か道端の生け垣に突進し転ぶことになりましたが、やはり転んで初めて自転車に乗れるようになったし、またその痛みを感じた分だけ乗れた喜びも大きかったと思います。フラフラとハンドルは覚束ないながらも、倒れずにいることの不思議さを父のお陰で僕も味わいました。
全てのことに言えることだと想われますが、何かが出来るようになるには何度も何度もトライし身体で覚えることが大切で、そうして身に付けたものは一生忘れることはありません。頭の中で幾らバランスをとる理屈を学んでも、実践しなければ本当に生きることの痛みも、掴み取った嬉しさも感じられないものです。
また、苦痛でしかない練習であっても繰り返していると、突然に乗れるようになる瞬間が訪れますが、もしその直前に諦めていたらその達成感は得られないことを想うと、とにかく成長曲線が伸び悩んでいても続けることの価値を考えずにはいられません。
そんなことを自転車乗りの練習をしている親子を見掛けると僕はいつも想います。
※ 千里山団地の取り壊し工事のために、ポンプ場公園に入る道が塞がれてしまったので、本来の金網扉が開かれるようになりました。自動車の通る道路に直接出てくるので、安全に気を付けるように子供達には言った方が良いでしょう。