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北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2014.8 鉄道一人旅・JR御殿場線(神奈川県~静岡県)

2014-08-11 23:47:36 | ローカル鉄道の部屋
 

7月19日の土曜日、名古屋から東へと「復刻弁当」なる昔懐かしい駅弁を食べながら東に向かい、平塚で前泊しました。泊まったビジネスホテルの隣がカレーのココイチだったので、なんだかカレーが食べくなってきましたが、ココイチは家の近くにもあるのでパス。夜の平塚の駅周辺の通りを歩いていると、「とんかつ」ののれんが目に付き、メニューにカツカレーがあDscf7769
りました。とんかつ屋のカツカレーならうまいに違いない。そう思った僕は、迷わずカツカレーを注文しました。もちろん、揚げたてのやわらかいとんかDscf7772
つがトッピングされたカレーライスに、十分満足しました。
 翌朝、どんよりとした曇り空の下、平塚駅からJR東海道本線でJR御殿場線の始発駅「国府津」(こうづ)に向かいました。東京からこの辺りまでの普通列車は、2階建てのグリーン車まであります。なにしろ、朝の普通列車ですから通勤電車のはずなのに、休日にもかかわらず車内はほぼ満員。グリーン車のようなゆったりとした車両も必要なのです。
 国府津駅でホームを渡ると、目的の御殿場線です。9:42発の沼津行きに乗り、まずはDscf7778
山北駅まで行くことにしました。車窓の風景はのどかな景色と住宅地が入り交じったごく普通の地方都市の風景ですが、ほとんど電車に乗らない僕にとっては電車の窓から見る普通の景色さえ新鮮に感じるのです。
 山北駅は、よく桜の名所として紹介されます。線路に沿って立ち並ぶ桜並Dscf7780
木ということで、春になると桜と桜の間を電車が走り抜けるのです。もちろん、夏に訪れたのですから線路沿いの美しい風景は見られませんが、駅を出て少し歩いて線路を見ると、その風景を想像することはできました。線路を渡ると小さな公園があり、お年寄りたちがゲートボールを楽しんでいました。すぐ脇には御殿場線が東海道本線だった頃に走っていたSLがDscf7782
保存展示されていました。この公園も、きっと桜の季節は大賑わいになるはずです。公園の隣には健康福祉センターがあり、3階は「さくらの湯」という日帰り温泉施設になっていました。
 次に下車したのが駿河小山駅(するがおやまえき)です。
 僕の心の中の小山町は「富士スピードウェイ」です。学生時代に何度も何度も当時のグラチャン・シリーズとF2レースを観に来たものでした。数年前は2Dscf7790
回にわたってF1レースも開催され、当然のように観戦しにきました。しかし、電車で小山町に来たのは初めてのこと。それに、小山町は「金太郎」で知られる坂田公時の生誕地でもあります。駅前の観光案内地図には金太郎がちょこんと乗っていました。駅の写真を撮っていると、富士スピードウェイに行く「富士霊園」行きのバスがやってきました。乗客は0。このバスも、人気のGTレース開催日には満員になるかもしれません。
 駅から西へ休日でひっそりとした紡績工場の横の道を10分あまり歩いたところに町立のDscf7788
健康福祉会館があり、そこに「ゆったり湯」という立ち寄り湯があることをネットで調べておいたので、行ってみることにしました。湿気の多い蒸し暑い日でしたから、午前中の温泉もいいものだと思ったのです。
 1.5㎞ほど歩くと、健康福祉会館はありましたが、なぜかひっそりとしています。中に入ってみても、職員の方以外は人の気配がありません。出会った職員の方に、
「ここに『ゆったり湯』という温泉あると聞いたのですが。」
と話しかけると、
「2年前に無くなりました。紡績が栄えていた時はいっぱいお客さんが来てたけど、今はほとんど中国で作るようになって、駅の横の工場もほとんど人がいなくなって・・・。」
 寂しそうに話す中年の職員は、これからの小山町の行く末を憂いているようでした。
 僕が住む豊田も、自動車の生産がほとんど海外の工場ということになったら・・・、そんなことを思いながら、蒸し暑い1,5㎞の道のりを引き返しました。
 さて、温泉には入りたい。でも、やっていない。「さくらの湯」のある川北駅に引き返そうか、それとも次の足柄駅まで行こうか。福祉会館の職員さんも、「足柄駅からちょっと遠いけど、あるにはあるよ」とおっしゃっていました。「ちょっと遠い」が気にはなりましたが、先に進むことにしました。
 足柄駅は  駿河小山駅から1駅です。着いたのが12:06でした。お昼を食べて、温泉にDscf7794
入って、これはいい旅になりそうだ。駅前の金太郎の像を観て、それから周辺の案内地図を見て、
「あしがら温泉までここから1.5㎞。しかも半分は遊歩道。ちょうどおなかがすいた頃に着くだろう。」
 心の中でそうつぶいやいた僕は、地図をしっかりと頭の中にたたき込み、Dscf7795
あしがら温泉に向かって歩き始めました。
 ところが、ところが、延々と続く上り坂。時には階段道路。歩いても歩いても続く坂道。何度「引き返そうか」と思ったことか。でも、そこで引き返したらこれまでの苦労(苦痛?)が水の泡となります。大袈裟ですが、体力の限界に挑戦するかのように上り続けること20分あまり。
 1.5㎞を20分以上もかけてたどり着いた「あしがら温泉」です。気持ちいいのなんのっDscf7798
て、もう最高。天気がよければ美しい富士を眺めてお湯に浸かるとDscf7799
いうことになったはずなのですが、今は富士山が見えなくても十分満足です。
 温泉の後は、お昼ご飯。温泉施設の中に食堂があり、僕は冷たいそばを注文しました。今の僕には、熱いのは無理なのです。大好きなちくわの天ぷらがあったので、それもトッピング。お茶の代わりにコーラ。これがまたいいのです。
 あしがら温泉の前にあるのが県立小山高校でした。運動部らしい高校生たちが歩いて帰っていきます。この子たちは、毎日毎日、この坂道を往復しているのだと思うと、高校生の体力というのはすごいものだと感心してしまいます。
 足柄駅に戻り、次に下車したのがすぐ隣の御殿場駅です。
 今回のローカル線の旅をJR御殿場線と決めた大きな理由がここ御殿場に来ることだったDscf7807
のです。山全体が信仰の地として世界遺産に登録された富士山を奉っている神社でお参りがしたかったのです。ここ御殿場は、富士吉田口と並ぶ代表的の登山口のあるところで、その入り口はどの登山口も「浅間神社」なのです。大学で4年生を担当している僕は、「みんなの夢が叶いますように」と、日Dscf7806
本一の神様にお願いしようと、ここを選んだのです。僕は研究者の端くれですが、神頼みとはおよそ研究者らしくない行動です。それでも、祈らずにはいられなかったのです。
 駅前には富士の火山弾が展示されていました。駅の北側の「ぽっぽ広場」には蒸気機関車「D52」が保存されていました。そんな駅前の風景を眺め、浅間神社へと足を進めました。
 狭い商店街を通り過ぎると、赤い鳥居が目に飛び込んできます。境内に入ってすぐのところにあったのが池のある小さな公園。澄んだ水が富士の伏流水と分かります。本殿を前に、Dscf7803
ちょっとだけ神妙な気持ちに切り替え、担当する学生たちの夢の実現を心からお祈りしました。と、そのとき、空からポツリポツリと雨粒が落ちてきたのです。天気予報では雨でしたから、よくもったものだと思いましたが、一抹のイヤな予感。いや、これは運がいいんだとイヤな予感を打ち消し、再度手を合Dscf7812
わせて浅間神社を後にしました。
 次に下車した駅は富士岡駅です。富士山が美しく見えるということでつけられた駅名という気がして下車しました。雨は本降りになり、富士山どころではありません。下車してしまったのですから、次の列車の時間までの約40分間で、何かを見つけたいものだと思いました。地図を見ると1㎞ほど東に「海の見える四季の丘」がありました。しかし、雨脚は強くなってきて、「海の見える四季の丘」をDscf7813
遠くから眺めるだけにしました。それでも、海は見えなくても富士の裾野に拡がる霞んだ風景も案外いいものでした。さすがに、どこかで雨宿りしたくなり、休日で閉まっているJAの玄関に腰を下ろし、缶コーヒーで一服。通りがかる人にじろじろ見られるのがなんだかとても恥ずかしく、体を縮めてコーヒーDscf7823

を飲みました。
 最後に下車したのが富士岡駅の隣の岩波駅です。駅近くを流れる黄瀬川の渓流が絶景とネットで知りました。雨の中、駅から5分ほど、水の流れる音の方に向かって歩くと、ちょうど橋の上からいい眺めの場所がありました。ごつごつした溶岩の間をかなりの急流でしぶきを上げながら水が流れていました。決して大きな川ではありませんが、とても迫力がありました。しかも岩が溶岩というとこDscf7818
ろに荒々しさが感じられ、この時ばかりは「下車してよかった」と思いました。ひっそりとした駅前商店街には「祝・世界文化遺産」のポスターが至る所に見られ、登録から1年が経った今も、地域の人たちの喜びは大きいものだと感Dscf7825
じました。
 最後に乗った御殿場線の列車が終点の沼津駅に着くと、これで終わったという寂しさと、終着駅にたどり着いた満足感とが混ざり合った複雑な気持ちになります。お土産に沼津名物の「桜エビせんべい」を買い、東海道本線で三島駅に向かいました。
 昨日の夜、三島に停まる「ひかり」の指定券を買っておいたのは大正解でした。三島はDscf7831
通常は「こだま」しか停まらない駅です。各駅停車の「こだま」と名古屋まで2駅しか停まらない「ひかり」では、乗車時間が1時間くらい違うのです。これは前回の箱根登山電車の旅で得た教訓です。
 車中で三島の駅弁「港あじ鮨」を食べながら帰ってきました。

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2014.3 スイッチバックで登る箱根登山電車

2014-04-03 23:58:08 | ローカル鉄道の部屋
 

2月に銚子電鉄で「てっちゃん」の世界に足を踏み入れてしまった僕は、勤務先の大学の卒業式が終わって一区切りついたところで有休を取り、またまた電車に乗りに行ってきました。
 今回は箱根登山鉄道の一人旅です。スイッチバック式の登山電車に興味津々ということDscf7534
で選びました。
 川崎で前泊し、3月20日の朝9:15発の特急「踊り子」に乗ってJR川崎駅から小田原に行きました。快速に乗ってもそれほど所要時間は変わらないようでしたが、まだ古い車輌を使っているということで特急「踊り子」に乗ってDscf7536
みたかったのです。なんと、窓を開けることができる客車でした。
「以前はみんなこんなふうになってたなあ。」
 こういうふうに懐かしむ瞬間が楽しいのです。
 特急「踊り子」は、10:00に小田原駅に着きました。すぐに箱根登山鉄Dscf7558
道の赤い車輌が目に飛び込んできました。新しい電車で、普通の通勤電車と同じように見えましたが、赤い登山電車と同じカラーリングがとても映えて見えました。
 一度、ホームを出て、箱根登山電車一日乗車券を買いました。「トコトコ切符」と名付けられ、1500円で小田原~箱根湯本、箱根湯本~強羅の登山電車、強羅~早雲山の箱根登山ケーブルカーが一日乗り放題の切符です。これはかなりおDscf7542
買い得な切符だと思いました。
 再びホームに入り、まずは登山電車の始発駅の箱根湯本に向かいました。
 箱根湯本駅周辺は立派な温泉街でした。この日は朝から生憎の雨。温泉街の散策をせずに、すぐに登山電車のホームに行きました。平日だというのに、ずいぶん混み合っています。ホームにいた比較的新しい1000系か2000系の2両連結の車輌はほぼ満員で、座ることができそうもありません。そこで、次の電車を1輌目の一番前の扉のところで待つことにしました。20分に1本の割で出ているので、待ち時間は僕が普段利用している名鉄豊田線とほぼ同じです。首都圏の山手線利用者には耐えられない待ち時間かもしれないなあと思いましたが、そこは地方都市在住者の僕ですから、20分はたいした待ち時間ではないのです。
 そしてやってきた電車は旧型車輌のモハ2型。もちろん、子どものように一番前に座り
ました。運転席は真ん中にあり、かわいいワイパーが作動しています。その動きが、僕の趣味の愛車ローバーミニとよく似ていて、ノスタルジックな雰囲気が感じられました。このときだDscf7553
けは、雨降りでよかったと思いました。昭和30年代の電車です。ミニが発売されたのも30年代。それで、どこか共通した雰囲気を感じたのかもしれません。
 いよいよあこがれのスイッチバックです。突き当たりのような所で停車すると、運転士さん
は2本のレバーを手に、外に出て後ろに向かって走っていきました。すると、車掌さんが運Dscf7549
転席にやってきて、「しばらくお待ちください」のアナウンス。次に、すぐ隣の線路に電車がやってきました。山から下りてきた電車です。2台が平行に並ぶと、僕の乗っていた電車が動き出し、急な坂をバックで登り始めました。実際にはバックで登っているのではなく、一番後ろだった車輌がここで先頭車両になったということです。一番前に座っていた僕は、ここからは一番後ろの席に座っていることになったのです。おそらく、僕が乗っていた電車が坂を登り始めたあとに、隣に停まっていた電車が動き出し、坂を下っていったのでしょう。
 終点の強羅駅までに、このスイッチバックが3回ありました。2回目のスイッチバックが終わると、再び僕は先頭に座っていることになりましたが、3回目では最後尾に座っていることになりました。3回目のスイッチバックがすむと、線路が急カーブだらけになりました。急な上り坂の急カーブ。一番後ろにいたので、「よくこんな急なカーブを電車が曲がれるものだ」と感心Dscf7554
してしまうくらいのきついカーブの連続がよく分かりました。まさしく登山電車です。きっと、ホイールベースが普通の電車よりかなり短いのでしょう。ん?電車でも前後の車軸間の長さをホイールベースというのかなあ。
 古い登山電車を楽しんでいるうちに、終点の強羅駅に着きました。傘をさして駅舎の外に出ると、数件の土産物屋さんがあって、ちょっと先に旅館。土産物屋さんの間の路地にはそば屋と「日帰り温泉」ののぼり。散策するほどの所ではなさそうでした。箱根登山ケーブルカーへの乗換駅という感じがしました。そこで、ケーブルカーに乗って、山頂駅の早雲山で昼食にしようと決めました。
 ケーブルカーは、当たり前ですが平行四辺形のヘンな形です。平行四辺形の出入り口から入ると、床は階段状でシートも段差があって、やっぱりヘンです。このヘンさ加減がなんとも言えません。ケーブルカーは「山に登るぞ」という気合いが感じられる電車なのです。
 ケーブルカーもほぼ満席でした。ただ、飛び交う言葉が日本語ではない。日本人に見えてDscf7555
いましたが、実は台湾か中国の人たちで満席だったのでした。
 ケーブルカーは、いくつかの駅に停まりましたが、それでも10分ほどで山頂の早雲山駅に着きました。
「あれっ、なんにもない。売店とロープウェイ乗り場だけの駅?」
 雨の中、外に出てみましたが、店らしい建物はなく、景色を眺めても真っDscf7556
白で何も見えなく、僕にとってはなんともつまらない山頂駅でした。美しい景色はあきらめていたものの、せめてお昼ご飯くらいは箱根らしい料理を食べたいと思っていたのに、どうしたものか。
 駅員さんに聞いてみても、
「食べるものと言ったら、売店の焼きそばかパンくらいですよ。」
と、冷たい言葉。仕方がないので、売店に入り、パックに入った富士宮風焼きそばを買い、Dscf7557
ベンチに座って食べました。売店の方の、
「おいしいですよ、この焼きそば。」
という明るい声と笑顔がせめてもの救いでした。
 パックに入った富士宮風焼きそばは、店員さんが言われるとおり、確かにおいしかったのですが、なんだかわびしさのようなものも感じていました。それでも、そこそこお腹もふくれるもので、腹八分目と言い聞かせてケーブルカー乗り場に向かいました。
 せっかく山頂駅まで着たので、鉄道グッズをちょっとだけ買いました。
 坂を下りるケーブルカーは、天気がよければ目の前に絶景が広がっているはずです。今回の旅の目的は「電車に乗る」ということですから、絶景も名物を食べることも旅の副産物。目的の電車には乗ったので、雨降りもそれほどいやなものではありません。それどころか、わずかケーブルカーで山を下る約10分の間に、
「景色が見えないなら、温泉だ。」
と、気持ちを切り替えていました。
 強羅でケーブルカーを降りると、往路で見た土産物屋さんの間の路地の「日帰り温泉」のDscf7560
のぼりを目指して歩きました。
 目星をつけておいた「吉浜の湯」は宿ではありませんが、昔ながらの温泉宿の風情が感じられる古い建物でした。券売機もなく、直接店の人に料金800円を払い、脱衣場に行きました。雨降りの平日にぶらぶらと山のてっぺんの駅周辺を歩く人もなく、客は僕一人だけ。広い湯船で思いっきり足を伸ばし、「極楽極楽」。ぬるめのお湯好きの僕にはちょっと熱めでしたが、しばらく入っているうちにちょうどいい湯加減に感じられるようになってきました。
 静かな温泉でのんびりとお湯に浸かり、ここまでの道程を反芻しながらしっかりと体を温めました。
 脱衣場で服を着ていると、廊下からキャッキャッと黄色い声が聞こえてきました。古びた温Dscf7561
泉のしいんとした雰囲気が一気に華やいだような雰囲気に変わったのです。服を着終わり脱衣場から出ると、大学生くらいの4、5人の女の子たちが女湯に向かってうれしそうな声を出しながら歩いていました。毎日大学生と接している僕は、僕の大学の学生たちもこうして仲間同士で旅を楽しんでいるのかなあと、思わず仕事のことを思い出してしまいました。お風呂上がりはいつもコーヒー牛乳と決めているのですが、ここには牛乳系は置いてなかったので、コーラを飲みながらソファーでくつろぎました。僕の大学は3日前に卒業式が行われました。女湯から聞Dscf7562
こえる黄色い声が、社会に巣立っていった学生たちの顔を頭に浮かべさせてくれるのでした。
 再び強羅駅に戻り、電車の時間を待ちました。まだ時間にはゆとりがあったので、途中下車の駅をどこにしようか考えました。湯気のわき上がる小涌谷、古い街道風情の残る宮ノ下、スイッチバック駅の大平台・・・。あらかじめネットで調べておいたことを思い出し、その中から選んだのが宮ノ下駅です。少し前にテレビの旅番組で見た「嶋写真館」に行ってみたいと思ったのが決定の一番の理由です。
 あこがれの箱根登山電車の上り箱根湯本行きに乗り込み、発車を待ちました。もちろん、早く乗り込んだのは一番前の席に座るためです。まるで小学生の頃の僕です。急坂を下っていくのに「上り」とは、感覚的になんかヘンだなあという気はしますが、全て東京に向かうのが「上り」ですから、これでいいのです。毎日通勤で使っている東海北陸自動車道も一宮JCTから高山方面に登っていくのですが、「下り」なのです。
 急坂を下る「上り」列車もなかなか迫力がありました。視界に飛び込んでくる急カーブがDscf7565


本当に超急カーブなのです。心の中で「スゲェ」を連発していました。
 宮ノ下駅で途中下車すると、駅舎の外は急な坂道。
「これを下ると、登らなあかん(登らなければならない)じゃん。」
 そうは思ったものの旧街道に出るには歩くしかありません。
 坂を下ると、なんと狭~い国道1号線。正月の箱根駅伝のコースの一部です。沿道と呼べるようなスペースもなく、ひっきりなしに走る車をよけながら歩く道でした。超豪華な旅館に、昭和初期の古い町並みが妙にマッチしている不思議な空間でした。
 雨の国道1号線の端を水たまりをクルマの水しぶきを避けながら10分ほど歩くと、お目当ての嶋写真館がありました。営業はしていませんでしたが、店頭のガラスケースにはセピア色の写真が飾られていて、夢中になって見入ってしまいました。チャップリンや戦前の皇室の方々など一世を風靡した有名人の写真も素敵でしたが、僕が特に惹かれたのは当時の乗り物が写っている写真でした。まだクルマがめずらしかった頃の、ヘッドライトが飛び出た箱Dscf7566
形の乗用車や木製ボディのクルマなど、僕の子どもの頃でさえ見たことのない乗り物が生の写真に写されているのです。写真館の建物も当時のままで、かつてはとてもモダンな店構えだったことでしょう。
 そして、駅に戻る道。国道を外れるとそこは急な上り坂。雨の中、傘をさして荷物を背負って登る道は、なんとなく気だるさを感じました。旅の終わりが近いからそう思ったのかもしれません。電車の時間まであと7分。ゆっくりゆっくり歩いていると箱根湯本に向かう上り電車が入線してくるのが見えました。
「うそっ。まだ7分もあるじゃん。げっ、僕の時計、遅れてるかも。」
 大急ぎで坂を登り、はあはあ言いながらなんとか発車前に駅に着き、電車に飛び乗りました。ところが、一向に動き出す気配はありません。僕の腕時計が遅れていたわけではありませんでした。単線のため、登りの下り列車を待つ時間だったのです。いくら慌てていてもDscf7573
やっぱり一番前に座ってしまうのは、この日ばかりは子どもの頃の僕に戻っているからなのです。
 宮ノ下駅から終点の箱根湯本駅までは30分弱。最後の登山電車の雰囲気を心に刻むつもりで乗っていました。往路では観光客でいっぱいだった登山電車も、午後2時半過ぎになると乗客のほとんどが地元の人たちでした。
 箱根湯本駅周辺は大変な混雑ぶりでした。駅前の通りはクルマが渋滞し、両側の歩道も観光客であふれていました。駅前の通りの南側には川が流れ、河原には早咲きの桜も咲いていました。まだ寒さの残るこの時期に咲いているのでおそらく伊豆の河津桜でしょう。雨に煙る温泉街と河原の桜。とても絵になる風景でした。
 歩道橋から駅を見ると、小田急のロマンスカーが入線していました。近くで見たくなり、急Dscf7577
いで駅の戻り、改札で「トコトコ切符」を見せてホームに向かいました。目の前の特急ロマンスカーは、かっこいいというより迫力があるという感じでした。あと5分ほどで発車です。
「小田原まで、これに乗っちゃおう。」
 そう思い、特急券の券売機の所へ行ったら、残念ながら売り切れの表示。一瞬思っただけなので、それほどがっかりすることもなく、次の普通電車に乗って小田原にDscf7578
戻りました。これで「トコトコ切符」区間は終わりです。
 4時前に小田原駅に着いて新幹線の改札へ行ったのですが、実は、小田原から名古屋までの新幹線が大変なことだったのです。分かってはいたのですが、小田原には一部の「ひかり」以外はすべて「こだま」しか停まりません。「こだま」は各駅停車なので、名古屋まで2時間以上もかかってしまうのです。東京からなら「のぞみ」で1時間40分ですから、距離ではなく時間だけで考えたら東京からよDscf7579
りも遠いのです。17:10発の三島で「ひかり」に乗り換えの「こだま」があったので、それに乗って帰ることにしましたが、1時間以上も待つことになりました。
 小田原駅周辺を傘をさしてぶらぶらしていると、コーヒー専門店がありました。ずっとおいしいコーヒーを飲んでなかったので、そこで一休みすることにしました。今思えば、店の名前を覚えておけばよかったと後悔しています。アンティークなDscf7581
雰囲気で、コーヒーもおいしく、電車に乗っては歩き続けた体を休ませるにはもってこいの店でした。
 ゆったりとしたひとときを過ごし、小田原駅に戻り、名物の桜エビ弁当を買って新幹線に乗りました。
 特急「踊り子」に箱根登山電車。僕の非日常の一日。あれから2週間がDscf7584
経ち、新年度が始まった今、まるで夢の中の出来事だったように感じられます。

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2014.2 鉄道一人旅・銚子電鉄(千葉県)

2014-03-02 00:01:04 | ローカル鉄道の部屋

 ついにクルマとバイクに飽き足らず、「鉄道オタク」デビューを果たしました。
 それは冗談として、テレビでよく旅番組を見ますが、そのたびに「電車っていいなあ」と思ってました。いつだったか、「鉄道・絶景の旅」で銚子電鉄で犬吠埼を旅する放送がありました。その時の車輌の紹介で、銚電の赤い電車は昭和30年代から40年代にかけて営団地下鉄丸ノ内線で使われていた車輌で、その後1輌編成仕様に改造され、今は銚子~外川間を往復しているということを知りました。数年前に、その当時の塗装に塗り替えられたということで、番組に出てきた映像を食い入るように見ていました。Dscf7466

 幼稚園の頃、父が買ってくれた絵本「のりもの」が大好きで、何回も何回も見ていた覚えがあります。その中で印象的だったのが、地下鉄丸ノ内線のお茶の水駅付近の絵でした。地下を通っている電車が、川を渡るのに一瞬だけ外の鉄橋を渡るのです。そこに描かれていた車輌が赤い車体に細い線の模様が入った白いラインの電車でした。地下鉄が外に出る絵も印象的でしたが、当時の名古屋の地下鉄は黄色一色だったため、赤に白ラインがとても新鮮に見えたのです。その車輌が今なお走っていると知り、いつか乗ってみたいと思い続けていたのでした。
 小学校の先生から大学の先生になってまもなく1年が過ぎようとしています。後期の定期試験が終わり、心を鬼にして成績をつけ、とりあえず一区切りつきました。自分自身の専門の国語科教育に関する研究はエンドレスで続きますが、なんとか大学の授業を未熟ながらも納Dscf7483
得できるような形で終えられ、慣れない仕事をなし終えた自分へのご褒美として、鉄道一人旅を考えたのでした。

 決行したのは、21日の土曜日です。前日の夕方に上京し、上野の安ホテルで前泊しました。荷物は極力少なくし、ディバッグ一つと、財布などを入れる小さなショルダーだけ。朝、山手線で東京駅に行き、地下の総武線のホームに向かいました。
 乗ったのは、銚子行き特急「しおさい」です。新幹線以外で特急に乗ったのは何年ぶりか分からないくらい久しぶりで、まだ座席に座っただけなのにわくわく感でいっぱいになっていました。9:40発なのに、8時半前にはホームに立っていたくらいなのですから、そうとうわくわくしていたのでしょう。
 地下を抜けると、スカイツリーが目に飛び込んできました。そんなことでも感動してしまいましたが、上野から東京までの山手線でも見ているし、そもそも600m以上の高さなのですから、どこからでも見えるのです。別に感動する場面ではないのに感動するのが、鉄道の旅Dscf7458
のおもしろさなのかもしれないと感じました。
 「千葉」・・・サッカーのジェフ千葉の本拠地です。強いはずなのにJ2。早くJ1に上がらなくちゃ。「佐倉」・・・マラソンの町だったっけ。「成東」・・・昔、セーブ王として鳴らした鈴木隆政(中日)の出た高校が成東高校だったような気がするなあ。そんなことを思いながら窓の外を眺めていました。眠くなってきても、「ここで眠ったらもったいない」と思い、眠気を我慢しました。千葉からは、市街地、林、田畑、時々工場という景色が続き、銚子に近づくとキャベツ畑が多く見られるようになりましDscf7462
た。僕の住む愛知の景色ととてもよく似ています。気候と大都市周辺という立地条件が似ているのかなあと思いました。
 11時25分、特急「しおさい」が銚子駅のホームに入りました。電車を降りると、ホームに大きな醤油樽が。銚子は醤油で有名な町なのです。
 そして、ついにあこがれの赤い電車「デハ1000系」に出会ったのです。一つとなりのホームに停まっていました。銚子電鉄の一日乗車券(620円と書いてありましたが、なぜか600円でした)を買い、デハ1002の前に立ちました。僕が幼稚園の時に絵本「のりもの」で見た地下鉄そのものです。たった1輌に改造されたとは言え、半世紀以上も前からあこがれていた旧地下鉄丸の内線の車輌の現物にやっと出会えたのです。前から後ろから写真を撮りました。車内は混んでいて座ることはできません。子どものように一番前に立って、前の窓から景色を眺めることにしました。
 時間さえあれば一つ一つの駅に降りて散策したかったのですが、帰りは14:17の特急Dscf7465
に乗らなければならないため、まずは一気に終点の外川まで行くことにしました。周りの人の多くは鉄道マニアと思われる人でした。若い女性の車掌さんが乗車券の車内販売に行ったり来たりしていました。ほとんどの駅が無人駅のため、地元の人が最寄りの駅で切符を買うことがないので、こうして車掌さんが乗車しているのだと思いました。路線の中で最も大きい駅と思われる犬吠駅で多くのお客さんが下車されました。そこから終点の外川までは1駅。全長6.4㎞の短い路線なので各駅停車でも20分足らずで終点まで行きます。
 外川駅に降り立った僕が、まず目にしたのが線路の端に置かれていた銚電カラーのデDscf7470
ハ800型の車輌でした。どうやら、1002型になる前まで走っていた電車のようです。調べてみると、僕が生まれるよりずっと前の昭和25年製造の電車でした。木製の車体でなんとも趣のあるデザインです。路面電車とはちょっと違う。それでいて、どことなく路面電車っぽい雰囲気。レトロな味がいい感じです。大きいと思っていた電車が、今見るととても小さいというのは、クルマと同じです。若い頃、デカくて立派に見えたクラウンも、実は小型の5ナンバーサイズで、キムタクのCMでおなじみの大衆車の代名詞のような現行カローラよりちょっと長い程度なのです。車幅はコンパクトカーのヴィッツとまったく同じサイズですから不思議なものです。目の前のかわいく見えるデハ800型も、きっと当時は立派に見えたことでしょう。
 上りの電車が出発するまで20分ほどありました。少し歩いてみることにしました。
 住宅の間の狭い下り坂を5分ほど歩くと、家々の隙間から海が見えました。太平洋ですDscf7472
。狭い路地、漁師たちの家、青い空、そして太平洋。僕がイメージしていた房総半島の景色と重なっていました。遠く海を眺めたところで、外川駅に引き返しました。僕が乗ってきた赤い電車デハ1002がそのままホームに停まっています。古い駅舎と赤い電車。思わずカメラに収めたくなりました。
 駅舎に入ると、昭和30年代に活躍した郵便配達仕様の三菱ビジョン(125㏄のスクーター)が展示してありました。古い鉄道グッズも展示されていましたが、クルマやバイクが好きな僕は三菱ビジョンに釘付けになってしまいました。銚子行きの発車時刻もせまっていたので、外川駅のスタンプを押して電車に乗り込みました。
 12:20発の銚子行きはとてもすいていました。次の目的地は、すぐ隣の犬吠駅です。ここまで来たら、犬吠埼に行き、犬吠にふさわしいお昼ご飯を食べようと思ったのです。
 電車はアナウンスもなく時間になったら発車しました。都市部と違って、発車するのに大騒ぎすることもなく、本当にのどかなものです。「駆け込み乗車は危険です。絶対におやめください」のアナウンスなど、まったく無意味なのですから。
 おそらく犬吠駅まで1㎞も離れていないでしょう。走り出してすぐに犬吠駅に着きましたDscf7480
。ホームの壁はとてもモダンで、駅舎も西洋のお城のようなデザインです。
 駅舎を出ると、案内ボランティアの方がたくさんみえました。犬吠埼までの道を尋ね、教えていただいたように歩きました。しばらくは県道を歩きますが、5分もすれば広い海が見渡せるようになります。犬吠埼口の交差点にさしかかると、目の前に白亜の灯台がでんと構えていました。2月下旬とは言え、ぽかぽかした陽気で、海を眺めながら歩くことがとても心地よく感じました。バイク・ツーリングを楽しんでいる人もいたりして、ちょっとした春を感じるひとときになりました。
 帰りの電車は13:31です。ここでは1時間ほど時間がありましたが、すでに10分くらい歩いて時間を費やしています。犬吠埼灯台に登ることも考えましたが、食事の時間のことを考えたり、灯台が入った景色の写真を撮りたかったり、あれこれ考えて登るのをやめました。やっぱり、灯台のある景色は素敵です。登ったら灯台のある景色になりません。特に、この日は思いっきり真っ青な空。真っ白な灯台がものすごく映えて見えたのです。
 犬吠埼の素敵な景色をしっかりと目に焼き付け、食事のできる所を探しました。交差点のDscf7479
近くにパックの焼きそばを売っている店があったので、公園で海を見ながら潮風をおかずにして焼きそばを食べようかと思いました。ところが、交差点へ行く途中の食堂の前で「名物さんが焼き」の張り紙が気になり、店の前に置かれていたメニューをしばらく見ていました。すると、店の人が出てきて、
「どうぞ、中に入ってください。」
と、声をかけてきたのです。もともと銚子の名物っぽいものを食べようという気持ちがあったので、店の人の勧めにしたがって中に入りました。もちろん、注文したのは「さんが焼き定食」。
 迷っていそうな人に声をかけるというのは、なかなかいい商売です。ここで食べようかなという気持ちがあるから迷うのであって、その気がなければ迷うこともなく素通りしてしまうのです。
 さて、その「さんが焼き」です。濃い灰色の直径10㎝くらいで厚さが7~8㎜のはんぺん状の食べ物でした。一口がじってみると、いわしを練ったような味と食感でした。かすかに魚のDscf7484
生臭さが残る素朴な味のはんぺんでした。店の人に「さんが」の意味を聞くと、「3つの香りで三香」だそうです。しそ・ねぎ・しょうがで味付けしていたので「さんが焼き」になったとのことでした。
 正直言って、僕の好みの味ではありませんでしたが、この地でしか食べられないものを食べることができ、満足して店を出ました。時計を見ると、すでに13時15分。電車の時間が13:31なので、少し早足で犬吠駅に戻りました。後ろを振り返ると、犬吠埼灯台と青い海。後ろ髪を引かれるような思いで駅に向かいました。
 お城のようなデザインの駅舎に入り、お土産を探しました。絶対に外せないのが「ぬれ煎餅」です。廃線の危機を救った煎餅で、銚子の名産の醤油がしみ込んだ煎餅です。なんと、銚子電鉄の工場で焼いているとのこと。帰宅後に食べましたが、濃い醤油味でなかなか美味。ネットでさらに注文してしまいました。それから、妻へのお土産のキーホルダーとハンカチを買って、レジに並びました。並んでいる時に見つけたのが「本銚子→銚子」の「上り銚子行き」Dscf7478
の切符でした。「本調子」「上り調子」ということで、友達にも自慢したくて4枚、さらに仕事で使えるマグネットを2つ加えて買ったのでした。ところが、家に帰って見てみると、自慢用の切符と仕事用のマグネットが袋に入ってなかったのです。どこでどうなったのか・・・、友達をうらやましがらせることができなくなってしまいました。
 その時は、赤い電車にも乗ったし、犬吠埼にも行ったし、めずらしいものも食べたし、お土産も買ったし、ということで意気揚々とホームに向かいました。
 やってきたのは、今回もデハ1000系でした。ロングシートの中程に座ると、周りは犬吠埼で見かけた人が大勢乗っていました。初老の男性や、電車好きのお父さんに連れられてきた子どもたちなど、電車の中はふんわりとした雰囲気に包まれているような感じがしました。
 銚電案内のボランティアさんも乗っていました。進行中に、沿線の建物や自然などの説明をしてくださいました。ボランティアのおばさんは、突然僕の所に来て、
「どこから来たの?」
と尋ねたのです。
「愛知県の豊田です。」
「クルマのトヨタの人?」
「トヨタじゃないです。他の仕事をしてます。」
「『観音』駅があるけど、名古屋にもありますよね。『大須観音』という駅Dscf7487
が。」
「名古屋の地下鉄ですね。帰りに通りますよ、そこ。」
 またしばらく説明をした後、再び僕の所に来て、
「もうすぐ写真スポットがありますよ。一番後ろで撮るといいですよ。紫陽花のトンネルになってますから。」
 そう勧められて後ろに行かないわけにはいきません。
「はい、今がシャッターチャンス。」
「ここも。トンネルになってますね。はい、写真。」
 そんな感じなので、車内でも注目を浴びているように思えてちょっと恥ずかしかったです。しかも、紫陽花のトンネルと言っても、2月だから紫陽花は咲いてないし、逆光で白っぽくしか写らないしで、いい写真にはなりませんでした。これが6月か7月だったらいい写真になるだろうと思いますが、そんな時には休みが取れません。
 そうこうしているうちに、次はコレに乗ってみたいと思えた緑色の2000系が停まっていたDscf7490
中ノ町駅を過ぎ、定刻通り13:47に終点の銚子駅に着きました。
 次の総武線の特急は14:17発です。ちょうど30分ありますが、実は30分というのはとても中途半端な時間だと思いました。どこへも行けないのです。「コーヒーでも」と思っても、喫茶店を探しているうちに時間がきてしまいます。だから、時間つぶしに銚子駅前のロータリーをぶらぶらしました。
 すでに電車は入線していたので、早めに乗り込み、荷物を座席に置いてから外に出て写真を何枚か撮りました。それくらいしか、やることが思いつかなかったのでした。
 14:17に銚子駅を出た特急「しおさい」の車窓から見える景色は、やはり、地元の愛知とDscf7469
よく似た景色だったので、僕は親近感と退屈さを同時に味わっていました。
 16:03に東京駅に着き、そのまま新幹線ホームに向かい、新大阪行きの「ひかり」に乗って帰りました。
 電車に乗るだけが目的の一人旅が思っていた以上に楽しく感じられ、帰りの新幹線の中では、次はどこへ行こうかと考えていました。今回と同じ房総の小湊鉄道にいすみ鉄道、神奈川の箱根登山鉄道のスイッチバックも興味深いし、探せば関東にはおもしろそうな鉄道がいくつもありそうです。
 僕が勤めている岐阜県にもいくつかのローカル鉄道があります。明知鉄道に長良川鉄道や樽見鉄道、愛知だったらJR飯田線もおもしろそうだし、浜松あたりでは天浜線(天竜浜名湖鉄道)も、よく旅番組で紹介されています。
 こんなことを考えている僕は、とうとう「鉄道オタク」の端くれの端くれになってしまったのでしょうか。実に愉快な一人旅になりました。

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