明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
冬休みも終わり、今日から仕事です。お昼休みを使って、お弁当を食べながら更新しています。また普通の生活に戻りましたが、明日からすぐに3連休です。ただ、次の土日が大学のセンター試験で僕が勤務する東海学院大学も会場になっているため出勤です。火曜日が長丁場のスタートです。
この冬休みもいろんなことがありました。今回は、年末に神戸「六甲山ホテル」に行った話題です。
<12月27日>
六甲山頂近くの老舗ホテル「六甲山ホテル」は、昭和4年開業の由緒あるホテルで、僕たち夫婦にとっても思い出のホテルなのです。それが、なんと12月末で閉館することになったのです。
僕たちがまだ婚約中だった1982年のクリスマスの夜、このホテルで百万ドルの夜景と言われる神戸の夜景を眺め、チャペルでクリスマスのミサに参加してお祈りをし、讃美歌を歌い、司祭さん(牧師さん)のお話をお聴きし、その後コース料理を楽しんで過ごしました。翌年5月に結婚し、今回で35回のクリスマスを迎えました。おそらくそのうちの25回くらいはここ六甲山ホテルと併設のチャペルで過ごしていました。阪神淡路大震災の後の数年は、チャペルではなくルミナリエに行ったりもしました。
12月27日、六甲山ホテルの部屋の窓からきれいな神戸の夜景を見ていました。そして、僕たちにとって思い出のホテルがあと3日で閉館というのを寂しく思っていました。
27日は朝から雪が舞っていました。西に向かう多くのクルマが関ヶ原を避けたのか鈴鹿インターを先頭に渋滞ぎみになっていました。昼食をとろうと土山PAに入ると、レストランは満席。仕方がないので売店で天むす弁当と近江牛コロッケを買ってキャンピングカーのレストラン「シュピーレン」で昼食をとりました。便利です、キャンピングカーは。
その後は順調に走ることができ、六甲山ホテルに着いたらすぐに思い出のチャペルに行ってみました。改装したばかりなのか、とてもきれいでした。
晩ごはんは夜景の見えるレストランでフランス料理のフルコース。
部屋に戻ってからは夜景を眺めながら、付き合い始めた頃からの35年間を二人でいっぱいいっぱい振り返っていました。
「え~っ、あとたったの15年で金婚式じゃん!」
初めて六甲山ホテルに来てからの15年間は、あっという間だったのかなあなんて言いいながら眠りに就きました。
<12月28日>
昭和4年当時の階段や手摺りの写真を撮ったりして、思い出の六甲山ホテルに別れを告げました。35年前のクリスマスの日に泊まって以来、何度も何度も二人でクリスマスの夜を過ごした思い出のホテルを出るのは本当に寂しかったです。あと3日で閉館です。これで、もう二度と二人の思い出のホテルを見ることができなくなってしまったのです。
駐車場に戻るのに昭和4年当時の風情のある旧館の玄関を目に焼き付け、シュピーレンに乗り込みました。
六甲の西側の麓に下りて、下道で篠山を目指すことにしました。大学院生時代を近くの加東市で過ごしたので、懐かしい風景を楽しみながら北に向かって1時間ほど走り、立杭焼の篠山市古市に着きました。道沿いに登り窯が見えたり、煙突が見えたりして、古くからの工房が並んでいます。大学院生時代に二人でバイクでツーリングで来たことを思い出しました。
立杭焼の通りから10kmほどで丹波篠山城趾に着きました。
外堀脇の駐車場にシュピーレンを停めると、二の丸、本丸の石垣がすごく立派に見えます。内堀を渡って石垣を見ると、不規則な石の野面積みでありながらビシッと決まっています。そして、石工の誇りなのかいくつかの石には刻印が刻まれていました。二の丸跡、本丸跡もいい感じです。説明を読むと、家康の命で建てられ、初代城主は松平氏。立派なはずです。
城跡を出て、武家屋敷の通りに行ってみました。保存地区になっていて、風情のある通りでしたが、どの店も閉まっていてひっそりしすぎ・・・。そこで、篠山の市街地に行ってみました。古い建物が今風の店になっていたりしてとても雰囲気のいい町並みになっていました。
お昼を過ぎていたので、お昼御飯を食べることにしました。丹波の中心地で、通りには猪料理の店がやたらたくさんありました。でも、僕の奥さん、獣系の肉が苦手なのです。篠山の近くの出石の出石蕎麦が有名なので、蕎麦屋さんに入りました。
注文したのは二人とも湯葉蕎麦。いかにも蕎麦らしい蕎麦。そんな感じで美味しくいただきました。
丹波篠山と言えば黒豆と松茸。黒豆のお土産を買い、小江戸の町並みを楽しんでいるうちに時間はもうすぐ2時。そろそろ帰らなければならない時間になりました。
篠山インターから舞鶴道に入り、吉川JCTから中国道、吹田から名神で帰ることにしました。関ヶ原の雪が心配でしたが、僕のシュピーレンは4WD。新名神の亀山、鈴鹿の渋滞の方がもっと心配でした。
快調に走っていたのはよかったのですが、京都辺りで強烈な睡魔~。助手席では妻がうつらうつら・・・。すぐに大津SAに入り、琵琶湖を眺められる駐車スペースにシュピーレンを停め、30分くらい横になって、リスタート。シュピーレンはキャンピングカーですから、段差のないベッドで熟睡できます。「眠たくなったら寝る」がシュピーレンの得意技なのです。
心配だった関ヶ原の雪は、なぜか小雨でした。慢性化している一宮辺りの渋滞もなく、ほぼ時速100km巡行で帰ることができました。
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本年もよろしくお願いします。
冬休みも終わり、今日から仕事です。お昼休みを使って、お弁当を食べながら更新しています。また普通の生活に戻りましたが、明日からすぐに3連休です。ただ、次の土日が大学のセンター試験で僕が勤務する東海学院大学も会場になっているため出勤です。火曜日が長丁場のスタートです。
この冬休みもいろんなことがありました。今回は、年末に神戸「六甲山ホテル」に行った話題です。
<12月27日>
六甲山頂近くの老舗ホテル「六甲山ホテル」は、昭和4年開業の由緒あるホテルで、僕たち夫婦にとっても思い出のホテルなのです。それが、なんと12月末で閉館することになったのです。
僕たちがまだ婚約中だった1982年のクリスマスの夜、このホテルで百万ドルの夜景と言われる神戸の夜景を眺め、チャペルでクリスマスのミサに参加してお祈りをし、讃美歌を歌い、司祭さん(牧師さん)のお話をお聴きし、その後コース料理を楽しんで過ごしました。翌年5月に結婚し、今回で35回のクリスマスを迎えました。おそらくそのうちの25回くらいはここ六甲山ホテルと併設のチャペルで過ごしていました。阪神淡路大震災の後の数年は、チャペルではなくルミナリエに行ったりもしました。
12月27日、六甲山ホテルの部屋の窓からきれいな神戸の夜景を見ていました。そして、僕たちにとって思い出のホテルがあと3日で閉館というのを寂しく思っていました。
27日は朝から雪が舞っていました。西に向かう多くのクルマが関ヶ原を避けたのか鈴鹿インターを先頭に渋滞ぎみになっていました。昼食をとろうと土山PAに入ると、レストランは満席。仕方がないので売店で天むす弁当と近江牛コロッケを買ってキャンピングカーのレストラン「シュピーレン」で昼食をとりました。便利です、キャンピングカーは。
その後は順調に走ることができ、六甲山ホテルに着いたらすぐに思い出のチャペルに行ってみました。改装したばかりなのか、とてもきれいでした。
晩ごはんは夜景の見えるレストランでフランス料理のフルコース。
部屋に戻ってからは夜景を眺めながら、付き合い始めた頃からの35年間を二人でいっぱいいっぱい振り返っていました。
「え~っ、あとたったの15年で金婚式じゃん!」
初めて六甲山ホテルに来てからの15年間は、あっという間だったのかなあなんて言いいながら眠りに就きました。
<12月28日>
昭和4年当時の階段や手摺りの写真を撮ったりして、思い出の六甲山ホテルに別れを告げました。35年前のクリスマスの日に泊まって以来、何度も何度も二人でクリスマスの夜を過ごした思い出のホテルを出るのは本当に寂しかったです。あと3日で閉館です。これで、もう二度と二人の思い出のホテルを見ることができなくなってしまったのです。
駐車場に戻るのに昭和4年当時の風情のある旧館の玄関を目に焼き付け、シュピーレンに乗り込みました。
六甲の西側の麓に下りて、下道で篠山を目指すことにしました。大学院生時代を近くの加東市で過ごしたので、懐かしい風景を楽しみながら北に向かって1時間ほど走り、立杭焼の篠山市古市に着きました。道沿いに登り窯が見えたり、煙突が見えたりして、古くからの工房が並んでいます。大学院生時代に二人でバイクでツーリングで来たことを思い出しました。
立杭焼の通りから10kmほどで丹波篠山城趾に着きました。
外堀脇の駐車場にシュピーレンを停めると、二の丸、本丸の石垣がすごく立派に見えます。内堀を渡って石垣を見ると、不規則な石の野面積みでありながらビシッと決まっています。そして、石工の誇りなのかいくつかの石には刻印が刻まれていました。二の丸跡、本丸跡もいい感じです。説明を読むと、家康の命で建てられ、初代城主は松平氏。立派なはずです。
城跡を出て、武家屋敷の通りに行ってみました。保存地区になっていて、風情のある通りでしたが、どの店も閉まっていてひっそりしすぎ・・・。そこで、篠山の市街地に行ってみました。古い建物が今風の店になっていたりしてとても雰囲気のいい町並みになっていました。
お昼を過ぎていたので、お昼御飯を食べることにしました。丹波の中心地で、通りには猪料理の店がやたらたくさんありました。でも、僕の奥さん、獣系の肉が苦手なのです。篠山の近くの出石の出石蕎麦が有名なので、蕎麦屋さんに入りました。
注文したのは二人とも湯葉蕎麦。いかにも蕎麦らしい蕎麦。そんな感じで美味しくいただきました。
丹波篠山と言えば黒豆と松茸。黒豆のお土産を買い、小江戸の町並みを楽しんでいるうちに時間はもうすぐ2時。そろそろ帰らなければならない時間になりました。
篠山インターから舞鶴道に入り、吉川JCTから中国道、吹田から名神で帰ることにしました。関ヶ原の雪が心配でしたが、僕のシュピーレンは4WD。新名神の亀山、鈴鹿の渋滞の方がもっと心配でした。
快調に走っていたのはよかったのですが、京都辺りで強烈な睡魔~。助手席では妻がうつらうつら・・・。すぐに大津SAに入り、琵琶湖を眺められる駐車スペースにシュピーレンを停め、30分くらい横になって、リスタート。シュピーレンはキャンピングカーですから、段差のないベッドで熟睡できます。「眠たくなったら寝る」がシュピーレンの得意技なのです。
心配だった関ヶ原の雪は、なぜか小雨でした。慢性化している一宮辺りの渋滞もなく、ほぼ時速100km巡行で帰ることができました。
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