相模原市南区麻溝台に四季の花が絶えない「相模原麻溝公園」はある。センター広場からスロープを降りた「花の谷」の一画の花壇に白い柔らかな花びらをした「クチナシ」の花と出会った。英語で「ケープジャスミン」、「梔子」と呼ばれている。アカネ科クチナシ属の常緑低木で樹高は1~2m。花期は6~7月。なぜ「クチナシ」となったかは熟しても裂開しない特徴からつまり口が開かないことから「クチナシ」となったようである。初夏に気品あるジャスミンのようななんとも言えない良質の香りの花を咲かせるのが特徴。よく見かけるのは6枚の細い花びらをもつ白い花で葉はつやつやしていて葉脈がはっきりと見える。ここのはやや大型の花で八重咲きの「オオヤエクチナシ」のようである。近寄っても香りはないが八重の肉厚の花をして豪華で一見「バラ」のようでもある。(2306)
麻生区上麻生に片平村「修廣禅寺」末で隠居寺ともいわれている曹洞宗寺院「麻生山東林寺」は鎮座している。修廣寺4世住職が天和元年(1681)開創開山。上麻生の地頭「三井十左衛門吉直」の私有地となったという。本尊は薬師如来(立像長2尺8寸)。小田急線柿生駅から徒歩数分、あじさい寺の「淨慶寺」の手前の坂道を左折すると「山門」前の参道、境内に30株近い「アジサイ」と白とピンクの「ムクゲ」が咲き誇っている。正面に入り母屋造りの「本堂」、右に「庫裏」がある。境内に聳え立つ樹齢300年以上の「大いちょう」は川崎市の「まちの樹50選」に指定されている。「乳こぶ」という「乳柱」(気根)ができ垂れて歴史を感じさせる。(2306)
今、公園や個人お家の庭、道路脇の花壇のあちこちで梅雨期の代表花の「アジサイ」の株に寄り添うように鮮やかなオレンジ色の可憐な花が印象的な「ヒメオウギズイセン」、黒いガクと濃い青紫色の大輪花が美し「メドセージ」と薄紫と純白の花穂が清々しい「アガパンサス」である。ユリ科の多年草で今の時期から来月迄まで光沢と厚みのある葉からすっと花首を立ち上げて花火のような放射状の清涼感のある花を多数咲かせ、その立ち姿がなんとも優雅で美しい。和名は「ムラサキクンシラン」(紫君子蘭)、ブルーツイスト、ヘッドボーン・ハイブリッドとも呼ばれる。この花は南アフリカに10~20種ほどの原種が自生し交配により300以上の園芸品種が育成されている。「アガパンサス」はギリシャ語で「愛」を意味する「agape」と花を意味する「anthos」が語源となっているという。(2306)
鎌倉市大町の常栄寺の先、左手に鎌倉最古の厄除の神社、大町の鎮守「八雲神社」は鎮座している。鎌倉の4つある八雲神社の一つで「八雲さん」、「お天王さん」の愛称で親しまれている。疫病が流行した際、源義家の弟・新羅三郎義光が鎮めるため京都祇園八坂社から勧請して祀った神社で、創建は永保年間(1080)。祭神は須佐之男命、稲田比売命、八王子命、佐竹氏の御霊の4柱である。室町時代には佐竹屋敷の祠が合祀され「佐竹天王」とも称され、江戸時代には将軍より朱印も賜り「祇園さま」として尊崇された。紅葉に彩られた「鳥居」を抜けると参道には厄除け祈願の赤い旗が幾本も並んでいる。正面に昭和5年(1930)に再建された「本殿」、右奥に社務所がある。御神木の根元には「義光手玉石」や「寛文10年銘の庚申塔」、諏訪社、稲荷社、於岩稲荷社、御嶽三峰社の境内社が祀られている。(2306)
鎌倉市大町名越に本堂裏手に苔に覆われた石段があることから「苔寺」とも呼ばれており通師・堀ノ内法縁の日蓮宗寺院「楞厳山妙法寺」は鎮座している。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。建長5年(1253)に日蓮が安房より移り住んだ松葉ヶ谷草庵跡に開山、現在も境内奥の山腹に「御小庵趾」の碑がある。ただ「安国論寺」、「長勝寺」もそれぞれ松葉ヶ谷草庵跡と称しているが、すべて日蓮が開山、草庵が置かれた建長5年を創建としている。実質的な開山は日蓮より数えて第5世となる楞厳法親王妙法房日叡で延文2年(1357)のようである。後醍醐天皇の子「護良親王」と藤原保藤の娘「南方」の間に生まれた「日叡」は日蓮を偲び、かつ父「護良親王」の菩提を弔うためにこの地に堂等伽藍を建て自身の幼名の「楞厳丸」に因み「楞厳山法妙寺」と名付けた。本尊は一塔両尊四師である。JR横須賀線の名越踏切りの北にあり「安国論寺」左手に構えられた「寺号標」より入山すると正面に「総門」、受付の奥に欅造りの「本堂」、左手に「鐘楼」がある。本堂左手に「大覚殿」、アジサイが咲くその奥に朱塗りの「仁王門」、その先に苔石段と右手に「法華堂」が建ち並んでいる。法華堂左手山頂には護良親王、左手山頂には母・南方と日叡自身の墓があるなど鎌倉の中でも寺格の高い方だと思われる。