三菱原子力工業(のち三菱重工と合併)、原研を経て原子力安全基盤機構(JNES)の検査員となっていた著者が、2009年3月に泊原発3号機の使用前検査の際の減速材温度係数測定検査で最初の検査時の減速材温度係数が正の値であったことを記載した検査記録について、上司から削除を命じられたがこれを拒否し、JNES側が設けた検討タスクグループが最終的には削除不要の結論を出したがそれでは納得できず、上司の削除命令が不適合業務であることを確認すべく組織内で上長に通報し、その後検査の現場から検査のとりまとめ部門へと異動になりボーナス査定でD査定を受け、定年再雇用を拒否された経緯を紹介し、原子力ムラの実情を明らかにするとともに批判する本。
減速材温度係数は、それが正であることが、原子炉出力の上昇がさらなる原子炉出力の上昇につながりチェルノブイリ原発事故のような暴走事故の要因となるとされて、それが負であることの確認が要求されているもので、検査で正の値が検出されたことは、重要な意味を持ち、それが是正されたとしてもその後の設計や運転管理に考慮され反映されるべきものと考えられます。そのような事実を隠蔽することは、原子力ムラの体質としてありがちなのでしょうけれども、由々しき事態です。
この本では、この泊原発3号機での減速材温度係数測定検査の記録隠蔽工作の他にも、敦賀原発2号機での再生熱交換器亀裂発生・冷却材漏れの真の原因の隠蔽工作も紹介されており、原子力ムラの隠蔽体質がよくわかります。
また、著者が、正義感と同時に揺れ迷う様子も示しつつ、最終的には信念により公益通報に進むあたりが読みどころとなっています。
著者は、原子力技術は必要だが現在の原子力ムラでは安全が確保できないから脱原発という立場です。加圧水型原発の蒸気発生器で伝熱管(細管)のひび割れが多発してひび割れた伝熱管にプラグで栓をして運転していたがその栓がかなり多くなった時に冷却材設計流量を確保できることを計算で示して運転再開の許可を受けたことを「私のヒット業績」としたり(102~103ページ)、2002年に東京電力でひび割れ隠し問題の発覚で生粋の原子力技術者が責任を取らされて素人が指揮を執ることになったと批判している(119~120ページ)あたりには原子力推進側の思考パターンが見えます。その立ち位置を確認しつつ読んだ方がいいでしょう。
労働側の弁護士としては、著者が定年を控え再雇用前にD評価を受けても弁護士に相談しないで行動している様子をみると、このあたりで弁護士に相談しておいた方がいいと思うのですが、一般にはそういう発想は出て来ないというか弁護士の存在感がないのでしょうね。著者が再雇用を拒否されてまず労働審判を申し立てたということについては、労働側の弁護士としては違和感を持ちます。具体的な事情と本人のニーズを確認しないとわかりませんが、一般的には労働審判の事案じゃないだろうと思います。著者が「たとえ弁護のしようのない人物であったとしても、あれこれと理由を付けて裁判を有利に進め、検察の追及が弱ければ、犯罪人でも無罪にすることができる」のが弁護士の使命だとして、欠陥技術を正当化しようとする技術者を「技術弁護士」と呼んでいる(117ページ)ことにも、弁護士というのは社会で充分には認知されておらずまた自分が相談依頼することは想定されていない(どこか遠くで悪人を擁護していると思われている)ことが読み取れます。弁護士としては、いろいろな部分で、ちょっと悲しいです。
藤原節男 ぜんにち出版 2012年4月13日発行
減速材温度係数は、それが正であることが、原子炉出力の上昇がさらなる原子炉出力の上昇につながりチェルノブイリ原発事故のような暴走事故の要因となるとされて、それが負であることの確認が要求されているもので、検査で正の値が検出されたことは、重要な意味を持ち、それが是正されたとしてもその後の設計や運転管理に考慮され反映されるべきものと考えられます。そのような事実を隠蔽することは、原子力ムラの体質としてありがちなのでしょうけれども、由々しき事態です。
この本では、この泊原発3号機での減速材温度係数測定検査の記録隠蔽工作の他にも、敦賀原発2号機での再生熱交換器亀裂発生・冷却材漏れの真の原因の隠蔽工作も紹介されており、原子力ムラの隠蔽体質がよくわかります。
また、著者が、正義感と同時に揺れ迷う様子も示しつつ、最終的には信念により公益通報に進むあたりが読みどころとなっています。
著者は、原子力技術は必要だが現在の原子力ムラでは安全が確保できないから脱原発という立場です。加圧水型原発の蒸気発生器で伝熱管(細管)のひび割れが多発してひび割れた伝熱管にプラグで栓をして運転していたがその栓がかなり多くなった時に冷却材設計流量を確保できることを計算で示して運転再開の許可を受けたことを「私のヒット業績」としたり(102~103ページ)、2002年に東京電力でひび割れ隠し問題の発覚で生粋の原子力技術者が責任を取らされて素人が指揮を執ることになったと批判している(119~120ページ)あたりには原子力推進側の思考パターンが見えます。その立ち位置を確認しつつ読んだ方がいいでしょう。
労働側の弁護士としては、著者が定年を控え再雇用前にD評価を受けても弁護士に相談しないで行動している様子をみると、このあたりで弁護士に相談しておいた方がいいと思うのですが、一般にはそういう発想は出て来ないというか弁護士の存在感がないのでしょうね。著者が再雇用を拒否されてまず労働審判を申し立てたということについては、労働側の弁護士としては違和感を持ちます。具体的な事情と本人のニーズを確認しないとわかりませんが、一般的には労働審判の事案じゃないだろうと思います。著者が「たとえ弁護のしようのない人物であったとしても、あれこれと理由を付けて裁判を有利に進め、検察の追及が弱ければ、犯罪人でも無罪にすることができる」のが弁護士の使命だとして、欠陥技術を正当化しようとする技術者を「技術弁護士」と呼んでいる(117ページ)ことにも、弁護士というのは社会で充分には認知されておらずまた自分が相談依頼することは想定されていない(どこか遠くで悪人を擁護していると思われている)ことが読み取れます。弁護士としては、いろいろな部分で、ちょっと悲しいです。
藤原節男 ぜんにち出版 2012年4月13日発行