伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ジェネラル・ルージュの凱旋 上下

2014-02-01 23:58:57 | 小説
 「チーム・バチスタの栄光」に始まる田口・白鳥シリーズの第3作。第4作以降警察の陰謀的な色彩が強まり、シリーズの性格が変わっていくことを考えれば、医療現場の描写に主眼を置いたシリーズとしてはラストの作品かもしれません。
 この作品は、救命救急センターという過酷で劇的な医療現場を舞台にしてその現場の迫力と、その現場を仕切る有能で独裁的なセンター長速水晃一のキャラで読ませています。一応ミステリーの体裁は取っていますが、それよりも、速水のキャラのかっこよさと志、その速水がどうなるのだろうという関心で物語の展開に引き込まれます。それに速水をめぐる花房師長と如月看護師の三角関係、花房師長と猫田師長のライバル意識などが読者の興味をそそります。
 第2作の「ナイチンゲールの沈黙」と同時並行でストーリーが進行し、同じ場面が何度も出てきます。それを同じ場面を違う角度から見る楽しみととるか(そういう読みもできますが、多くは視点が違うわけでもなく同じ場面に隠されていた事実が新たに出てくるわけでもなく、ただ同じ場面が出てくるという感じがします)、原稿の枚数稼ぎととるかで、評価が変わってくるでしょう。不思議なことに、この同じ場面で登場人物の台詞が微妙に違います。語り手が替わって内心の部分が変わるとか、地の文が変わるのはわかりますが、どうして同じ場面の台詞が変わるのか。ほとんどは意味を変えるという意図も感じられず、ただ言い回しや語尾がずれているだけです。先に読んだ「ケルベロスの肖像」と「輝天炎上」でも同じことがあり、不正確な再現だと指摘しましたが、作者の性格・姿勢なのでしょうか。普通に考えて今どきワープロで書いているんでしょうから、台詞が違ってるのはわざわざ変えているのだろうと思うのですが、その意図がまったくわかりません。食道静脈瘤破裂で倒れた歌手水落冴子の意識レベルを佐藤医師に伝える看護師如月翔子の台詞が「ナイチンゲールの沈黙」では「グラスゴー・コーマ・スケール230」(上巻49ページ)でしたが、「ジェネラル・ルージュの凱旋」では「GCS(グラスゴー・コーマ・スケール)200」(上巻17ページ)になり、後で佐藤に「さっきのバイタル報告だけどさ、翔子ちゃんはGCSとJCS(ジャパン・コーマ・スケール)をまた間違えてたよ。さっきの数値はJCSだぞ」といわせています(上巻19ページ)。GCSは3点から15点までですし、JCSは3桁の数字は刺激しても覚醒しない場合を示していて100と200と300しかありません。つまり「ナイチンゲールの沈黙」はGCSとJCSを間違えた上でJCSとしてもあり得ない数値を述べた2重の間違い。それを「ジェネラル・ルージュの凱旋」で修正したわけで、こういうところは台詞を変えるのはよくわかるのですが(でも、「ジェネラル・ルージュの凱旋」の単行本で間違いに気づいて訂正しているのですから、その後に出た「ナイチンゲールの沈黙」の文庫本を出す時に如月翔子の台詞を訂正すればいいのに、そういうとこは直さないのなぜかなと思います)。


海堂尊 宝島社文庫 2009年1月22日発行 (単行本は2007年4月)

《田口・白鳥シリーズ》
1.チーム・バチスタの栄光:2014年1月26日の記事で紹介
2.ナイチンゲールの沈黙:2014年1月28日の記事で紹介
3.ジェネラル・ルージュの凱旋:2014年2月1日の記事で紹介
4.イノセント・ゲリラの祝祭:2014年2月14日の記事で紹介
5.アリアドネの弾丸:2014年2月14日の記事で紹介
6.ケルベロスの肖像:2013年12月9日の記事で紹介
コメント
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