成人では損傷した中枢神経系(脳神経細胞)は再生しないというかつての生物学・医学界の常識を覆す近年の研究成果を解説し、再生医療の現状と今後の挑戦の展望を語る本。
20世紀の終わりに、神経系を構成する細胞を生み出すもとになる「神経幹細胞」が成人の脳の中にも存在することが発見され、この部分から取りだした細胞を培養して実際にニューロンに分化させることに成功して、これまで再生能力がないと思われていた成人の脳にももともと(内在性の)神経幹細胞が存在し、部分的にであったにせよ、再生能力があることが確認されているそうです(4~5ページ)。実際、成人の脳でも、匂いを感じる嗅覚の機能に関与する嗅球と、記憶・学習に関与する海馬の歯状回の2か所にニューロンが作り続けられる領域があることがわかっているとか(18ページ)。なぜ神経幹細胞があってもニューロンが再生する部位と再生しない部位があるのかはまだよくわかっていないけれども、神経幹細胞を取り囲む環境に要因があるのではないかと考えられているそうです(19ページ)。そうするとその環境要因を変化させれば、脳に損傷を受けても自力で再生できるかもと夢が広がります。
脳梗塞で最初の発作から数か月経過した後も機能障害が残っている慢性期の患者について機能を回復させる治療法は基本的になかったのですが、骨髄の間葉系幹細胞を神経の前駆細胞に誘導した治療用幹細胞の移植治療臨床研究が行われ、「運動機能、感覚機能、認知機能においてなかなか期待できる結果が出て」いるそうです(31ページ)。
脊髄損傷についても、頸髄損傷させたマーモセット(猿)に損傷後2週間の亜急性期にヒトiPS細胞由来の神経幹細胞を移植すると、腫瘍の形成は認められず、大脳皮質から脊髄へ下降する多くの神経繊維が再生し四肢の運動機能も見違えるほど改善したそうです(53~54ページ)。脊髄損傷の場合、移植が有効なのは損傷後4週間後までの亜急性期のため、移植治療が可能としてもそれまでに本人の細胞からヒトiPS細胞から作った神経幹細胞を用意する(現状では数か月を要する)のは無理なので、予め安全性を確認した臨床グレードのヒトiPS細胞由来神経幹細胞のストックを製品化する必要があるということになります(62~64ページ)。さらに慢性期の脊髄損傷治療についても、ラットでは、神経細胞の再生を妨げている「環境」のセマフォリン3Aの阻害剤を投与して、それにリハビリ(トレッドミルを歩かせる)を組み合わせると、かなり歩けるようになるという実験結果が出ているそうです(71~73ページ)。
実用化にはまだいくつものハードルがあり、著者の立場上、研究成果を魅力的に見せたい、治療効果をアピールして臨床実験の障壁(倫理的な問題等も含め)や製薬製品化に対する規制を排除したいなどの思惑があって現実よりも再生治療の実現が近いようなニュアンスで書いている可能性はありますが、人のためになる領域での技術の進歩を知り、夢が広がる思いをしました。
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岡野栄之 岩波科学ライブラリー 2016年1月22日発行
20世紀の終わりに、神経系を構成する細胞を生み出すもとになる「神経幹細胞」が成人の脳の中にも存在することが発見され、この部分から取りだした細胞を培養して実際にニューロンに分化させることに成功して、これまで再生能力がないと思われていた成人の脳にももともと(内在性の)神経幹細胞が存在し、部分的にであったにせよ、再生能力があることが確認されているそうです(4~5ページ)。実際、成人の脳でも、匂いを感じる嗅覚の機能に関与する嗅球と、記憶・学習に関与する海馬の歯状回の2か所にニューロンが作り続けられる領域があることがわかっているとか(18ページ)。なぜ神経幹細胞があってもニューロンが再生する部位と再生しない部位があるのかはまだよくわかっていないけれども、神経幹細胞を取り囲む環境に要因があるのではないかと考えられているそうです(19ページ)。そうするとその環境要因を変化させれば、脳に損傷を受けても自力で再生できるかもと夢が広がります。
脳梗塞で最初の発作から数か月経過した後も機能障害が残っている慢性期の患者について機能を回復させる治療法は基本的になかったのですが、骨髄の間葉系幹細胞を神経の前駆細胞に誘導した治療用幹細胞の移植治療臨床研究が行われ、「運動機能、感覚機能、認知機能においてなかなか期待できる結果が出て」いるそうです(31ページ)。
脊髄損傷についても、頸髄損傷させたマーモセット(猿)に損傷後2週間の亜急性期にヒトiPS細胞由来の神経幹細胞を移植すると、腫瘍の形成は認められず、大脳皮質から脊髄へ下降する多くの神経繊維が再生し四肢の運動機能も見違えるほど改善したそうです(53~54ページ)。脊髄損傷の場合、移植が有効なのは損傷後4週間後までの亜急性期のため、移植治療が可能としてもそれまでに本人の細胞からヒトiPS細胞から作った神経幹細胞を用意する(現状では数か月を要する)のは無理なので、予め安全性を確認した臨床グレードのヒトiPS細胞由来神経幹細胞のストックを製品化する必要があるということになります(62~64ページ)。さらに慢性期の脊髄損傷治療についても、ラットでは、神経細胞の再生を妨げている「環境」のセマフォリン3Aの阻害剤を投与して、それにリハビリ(トレッドミルを歩かせる)を組み合わせると、かなり歩けるようになるという実験結果が出ているそうです(71~73ページ)。
実用化にはまだいくつものハードルがあり、著者の立場上、研究成果を魅力的に見せたい、治療効果をアピールして臨床実験の障壁(倫理的な問題等も含め)や製薬製品化に対する規制を排除したいなどの思惑があって現実よりも再生治療の実現が近いようなニュアンスで書いている可能性はありますが、人のためになる領域での技術の進歩を知り、夢が広がる思いをしました。
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岡野栄之 岩波科学ライブラリー 2016年1月22日発行