NHK・Eテレの科学情報番組「すイエんサー」のチーフ・プロデューサーが、ティーンズ雑誌のモデルから選抜された女子中高生で番組のリポーターを務める「すイエんサーガールズ」が大学生との勝負で勝ったことを自慢し、そのすイエんサーガールズの知力を高めたのは番組で培った「グルグル思考」であるとして、これからの世の中には「グルグル思考」が必要だと主張して、番組でスタッフらが苦労した7つの力なるものを披露し蘊蓄を語る本。
率直に言って、すイエんサーガールズが大学生と闘う場面を紹介する第1章、第9章、第10章は面白い。それは、著者が力説するガチンコ勝負だからです。それは、別に、雑誌モデルのアイドル中高生のすイエんサーガールズでなくても、ロボット選手権などの類でも同様の、一つの目標に向けて工夫し試行錯誤する様の美しさ、迫力、すがすがしさへの共感によるものだと思います。ただ、東大生とのバトルで言えばペラペラの紙でおもりを支えるブリッジの強度を作れと言われれば、蛇腹構造かパイプを作るのはごくふつうの思考だと思いますし、京大生とのバトルの紙に推進力を与えずにまっすぐ落としたときの滞空時間を稼げと言われればそのまま(絨毯状)か風車状を考えるのはごくふつうの思考だと思います。ふつうの思いつきを大仰に褒めそやす書きぶりは読んでいて白けます。
それ以外の番組で扱った「難問奇問」を「7つの力」に分類して偉そうに語る章は、あまりにも的外れで読むのが苦痛でした。著者は、つかみの東大生とのバトルで、すイエんサーガールズの知力、試行錯誤を褒めそやし「無理難題に対し、ヒントもなく誰かが導いてくれることもなく、ただひたすら考えるしかない、というロケの中で、きわめて無駄にも思えるような膨大な思考をグルグルと巡らせていく。このグルグル思考の鍛錬が、すイエんサーガールズがこれほどまでの戦績を挙げるパワーを生んでいるに違いない」(49ページ)と述べています。それにもかかわらず、著者の力の入ったすイエんサーガールズの知力の源の分析とはまったく逆に、番組での進行は、「正解」のない問題に対してノーヒントで試行錯誤するのではなく、途中で「手がかり」が与えられています。著者が言う「7つの力」はすイエんサーガールズが自力で(自分の「知力」で)試行錯誤して独自の正解にたどり着く力ではなく、番組のスタッフが特定の1つの「正解」と決めつけた結論に、番組のスタッフが与えた手がかりに沿ってたどり着くという、番組のスタッフの思考回路を読む力に過ぎません。他人の意向、他人の心を読む力は、社会生活上は必要でしょうけれども、それは著者が偉そうに語る「知力」でも試行錯誤でもありません。ありふれたマニュアル族的な洞察力です。「針の穴に糸をすーっと簡単に通したい!」という問題(153ページ~)で、ふつうに裁縫をした経験があればたぶんふつうに知っている(少なくとも私は子どもの頃から知っている)糸を固定して針の方を糸に近づけるという「正解」を見いだすために、スポーツジムが手がかりとされ、ランニングマシンは自分が動かなくてもマシンの方が動いて走ったことになるということに気づいて、そこで初めて針と糸を逆転させればと気づいて、「スゴ技」を見つけ出すには「寄り道する力」が大切だと力説する必要がどこにあるのでしょう。ランニングマシンで走らせなくても、針と糸でごくふつうに試行錯誤させた方がよほど速くわかると思います。「プリンをお皿にキレイに移したい!」(124ページ~)も、番組スタッフが正解としたやり方は、「へぇっ」とは思いますが、たぶん「地球儀」を手がかりにすることでそこに思考を拘束するのではなく、ふつうに試行錯誤させれば、もっと幾通りものより簡単なやり方が見つかると思います。せめて番組の進行を淡々と説明するにとどめて、それに「7つの力」が必要だとか、「7つの力」がなぜ重要かなどの著者がご託を並べるところはカットして欲しいなと思いました。

村松秀 講談社現代新書 2016年3月20日発行
率直に言って、すイエんサーガールズが大学生と闘う場面を紹介する第1章、第9章、第10章は面白い。それは、著者が力説するガチンコ勝負だからです。それは、別に、雑誌モデルのアイドル中高生のすイエんサーガールズでなくても、ロボット選手権などの類でも同様の、一つの目標に向けて工夫し試行錯誤する様の美しさ、迫力、すがすがしさへの共感によるものだと思います。ただ、東大生とのバトルで言えばペラペラの紙でおもりを支えるブリッジの強度を作れと言われれば、蛇腹構造かパイプを作るのはごくふつうの思考だと思いますし、京大生とのバトルの紙に推進力を与えずにまっすぐ落としたときの滞空時間を稼げと言われればそのまま(絨毯状)か風車状を考えるのはごくふつうの思考だと思います。ふつうの思いつきを大仰に褒めそやす書きぶりは読んでいて白けます。
それ以外の番組で扱った「難問奇問」を「7つの力」に分類して偉そうに語る章は、あまりにも的外れで読むのが苦痛でした。著者は、つかみの東大生とのバトルで、すイエんサーガールズの知力、試行錯誤を褒めそやし「無理難題に対し、ヒントもなく誰かが導いてくれることもなく、ただひたすら考えるしかない、というロケの中で、きわめて無駄にも思えるような膨大な思考をグルグルと巡らせていく。このグルグル思考の鍛錬が、すイエんサーガールズがこれほどまでの戦績を挙げるパワーを生んでいるに違いない」(49ページ)と述べています。それにもかかわらず、著者の力の入ったすイエんサーガールズの知力の源の分析とはまったく逆に、番組での進行は、「正解」のない問題に対してノーヒントで試行錯誤するのではなく、途中で「手がかり」が与えられています。著者が言う「7つの力」はすイエんサーガールズが自力で(自分の「知力」で)試行錯誤して独自の正解にたどり着く力ではなく、番組のスタッフが特定の1つの「正解」と決めつけた結論に、番組のスタッフが与えた手がかりに沿ってたどり着くという、番組のスタッフの思考回路を読む力に過ぎません。他人の意向、他人の心を読む力は、社会生活上は必要でしょうけれども、それは著者が偉そうに語る「知力」でも試行錯誤でもありません。ありふれたマニュアル族的な洞察力です。「針の穴に糸をすーっと簡単に通したい!」という問題(153ページ~)で、ふつうに裁縫をした経験があればたぶんふつうに知っている(少なくとも私は子どもの頃から知っている)糸を固定して針の方を糸に近づけるという「正解」を見いだすために、スポーツジムが手がかりとされ、ランニングマシンは自分が動かなくてもマシンの方が動いて走ったことになるということに気づいて、そこで初めて針と糸を逆転させればと気づいて、「スゴ技」を見つけ出すには「寄り道する力」が大切だと力説する必要がどこにあるのでしょう。ランニングマシンで走らせなくても、針と糸でごくふつうに試行錯誤させた方がよほど速くわかると思います。「プリンをお皿にキレイに移したい!」(124ページ~)も、番組スタッフが正解としたやり方は、「へぇっ」とは思いますが、たぶん「地球儀」を手がかりにすることでそこに思考を拘束するのではなく、ふつうに試行錯誤させれば、もっと幾通りものより簡単なやり方が見つかると思います。せめて番組の進行を淡々と説明するにとどめて、それに「7つの力」が必要だとか、「7つの力」がなぜ重要かなどの著者がご託を並べるところはカットして欲しいなと思いました。

村松秀 講談社現代新書 2016年3月20日発行