行政法学者から最高裁判事となり2002年9月から2010年4月まで最高裁判事を務めた著者の、退官後の講演と法律雑誌「法学教室」掲載の座談会を取りまとめて出版した本。
前半の講演集の部分は、同じ話の重複がかなり多く、通し読みすると飽きるところはありますが、学者向けとはいえ講演なのでかなりわかりやすい。
講演集の前半は、民事裁判では「真相解明」ではなく、その事案の適正な解決が最も重視されているということ、学者は法規範(法律・法解釈)がまず(確固たるものとして)存在しその事件の事実を法律に当てはめて判断がなされ判決がなされる(べき)と考えがちだが、裁判所はその事件の事実関係を前提にその適正な解決のためにはどの法を適用すべきか(どのように法を解釈すべきか)を考えるということを、繰り返し論じています。この点は、裁判実務を行っている者(裁判官、弁護士)には制度上も経験上も当然のことだと、私は思っていますし、私のサイトでも繰り返し説明しているのですが、一般の方にはなかなか理解していただけないところで、著者が裁判実務から学者の世界に帰って学者たちにこのテーマを繰り返し取り上げ強調して説く姿に、共感し同情します。
講演集の後半は、著者の専門分野の行政法の領域での近時の最高裁の動き、特に行政裁量についての司法審査に関して、かつてのような行政法独特のドグマというか行政庁の判断(行政処分)であるがゆえに特別な扱いを受けるべきか否か自体に対する疑問/思考的なチャレンジが語られ、興味深いところです。
後半の座談会は、率直に言えば、弁護士でも行政事件の経験がない(数的に見れば大部分の弁護士は行政事件にはタッチしない)人には難しいとは思います(たぶん、一般の方が読んでもチンプンカンプンだろうと思います)が、行政事件をめぐる近年の最高裁の動きに加えて、最高裁判事の事件に対する判断の際の思考パターンが垣間見えて、弁護士にとっては、とても示唆的な読み物になっています。最高裁判決(のみならず下級審判決についても)を読む際に、判例集で「判旨」として掲載されたり、判例雑誌でアンダーラインが引かれた部分だけを取り上げて、それが具体的事件の事実関係とどう関係するか、どの事実がその結果を導いているのかをあまり考えずに、他の事案(あらゆる事案)に当てはまると考える傾向が、学生(もし一般人が読めばもちろん一般人も)はもちろんのこと学者にも強く、さらには弁護士の多くもそうなりがちです。その点に関しては、私は常々判決は事案との関係、特にどの事実が判決の結果を導き出しているかに着目して読む必要があると、自分にも周りにも言い聞かせるようにしているつもりです。それでも特に最高裁判決に関しては、最高裁は他のケースにも当てはまる「判例」として法解釈を示している(最高裁には判例を統一する責務がある)と考えるのが一般的な受け止め方で、私たち弁護士は、その最高裁判決の射程はどこまでかということに強い関心を持っています。その最高裁判決の射程に関し、元最高裁判事が「なかなか判決の射程というのは読みにくいですね。」と話を振られて「読みにくい読みにくい。判決をしているほうも正確にどれだけの射程があるかということは見通しがつかないままにやっている、ついているつもりで実はついていないということが起こり得るわけですから。」(324ページ)と言っているのを読むと、目からうろこというべきか、驚天動地というべきか…
出版物としては、すでにどこかに掲載された講演と座談会をただ集めただけの安易なものといえますが、私のような弁護士の目には、最高裁判事の事件に対する見方、思考パターンを知るうえで大変参考になる1冊でした。
藤田宙靖 有斐閣 2016年7月10日発行
前半の講演集の部分は、同じ話の重複がかなり多く、通し読みすると飽きるところはありますが、学者向けとはいえ講演なのでかなりわかりやすい。
講演集の前半は、民事裁判では「真相解明」ではなく、その事案の適正な解決が最も重視されているということ、学者は法規範(法律・法解釈)がまず(確固たるものとして)存在しその事件の事実を法律に当てはめて判断がなされ判決がなされる(べき)と考えがちだが、裁判所はその事件の事実関係を前提にその適正な解決のためにはどの法を適用すべきか(どのように法を解釈すべきか)を考えるということを、繰り返し論じています。この点は、裁判実務を行っている者(裁判官、弁護士)には制度上も経験上も当然のことだと、私は思っていますし、私のサイトでも繰り返し説明しているのですが、一般の方にはなかなか理解していただけないところで、著者が裁判実務から学者の世界に帰って学者たちにこのテーマを繰り返し取り上げ強調して説く姿に、共感し同情します。
講演集の後半は、著者の専門分野の行政法の領域での近時の最高裁の動き、特に行政裁量についての司法審査に関して、かつてのような行政法独特のドグマというか行政庁の判断(行政処分)であるがゆえに特別な扱いを受けるべきか否か自体に対する疑問/思考的なチャレンジが語られ、興味深いところです。
後半の座談会は、率直に言えば、弁護士でも行政事件の経験がない(数的に見れば大部分の弁護士は行政事件にはタッチしない)人には難しいとは思います(たぶん、一般の方が読んでもチンプンカンプンだろうと思います)が、行政事件をめぐる近年の最高裁の動きに加えて、最高裁判事の事件に対する判断の際の思考パターンが垣間見えて、弁護士にとっては、とても示唆的な読み物になっています。最高裁判決(のみならず下級審判決についても)を読む際に、判例集で「判旨」として掲載されたり、判例雑誌でアンダーラインが引かれた部分だけを取り上げて、それが具体的事件の事実関係とどう関係するか、どの事実がその結果を導いているのかをあまり考えずに、他の事案(あらゆる事案)に当てはまると考える傾向が、学生(もし一般人が読めばもちろん一般人も)はもちろんのこと学者にも強く、さらには弁護士の多くもそうなりがちです。その点に関しては、私は常々判決は事案との関係、特にどの事実が判決の結果を導き出しているかに着目して読む必要があると、自分にも周りにも言い聞かせるようにしているつもりです。それでも特に最高裁判決に関しては、最高裁は他のケースにも当てはまる「判例」として法解釈を示している(最高裁には判例を統一する責務がある)と考えるのが一般的な受け止め方で、私たち弁護士は、その最高裁判決の射程はどこまでかということに強い関心を持っています。その最高裁判決の射程に関し、元最高裁判事が「なかなか判決の射程というのは読みにくいですね。」と話を振られて「読みにくい読みにくい。判決をしているほうも正確にどれだけの射程があるかということは見通しがつかないままにやっている、ついているつもりで実はついていないということが起こり得るわけですから。」(324ページ)と言っているのを読むと、目からうろこというべきか、驚天動地というべきか…
出版物としては、すでにどこかに掲載された講演と座談会をただ集めただけの安易なものといえますが、私のような弁護士の目には、最高裁判事の事件に対する見方、思考パターンを知るうえで大変参考になる1冊でした。
藤田宙靖 有斐閣 2016年7月10日発行