第2次世界大戦終戦から2年後、ザルツブルグのギムナジウム(中等学校)に通っていた16歳の「私」が、ある日、踵を返して反対方向に進み、底辺層が集住するシェルツハウザーフェルト団地の地下にある食料品店の商店見習いとなり、アル中や貧乏人の客たちと接しながら肉体労働に明け暮れた日々を、記者として稼働している25年後に回想する小説。
前半は、エリートとして「学習工場」であるギムナジウムに通うことになじめず反発して社会の底辺での肉体労働をすることで「役に立つ存在」になったということを、繰り返し、観念的に述べ続けています。新たな出来事がほとんど起こらず、新たな情報がほとんど付け加わらないままに、同じことを少しずつ言い方を変えて繰り返し、繰り返しながら少しずらせていき、しかしまたしても繰り返しに戻るというパターンをこれだけ続けられるのは、ある種の文才なのだと感じました。そのまま終わりまで突っ走るのかと思いきや、後半では、「私」は地下食料品店で働きながら、スタインウェイのグランドピアノを備えた歌の先生の元で歌唱指導を受け音楽に目覚めていきます。前半と後半での生き様をめぐる葛藤や懊悩はまるで見えません。そうすると、エリートとしての人生に反発して底辺での労働を尊ぶような前半の書きぶりは何だったのかと思えます。この作品は作者の言葉の遊び、観念の手慰みなのかとも感じられたのですが、訳者あとがきでの紹介によれば、作者の自伝的な小説なのだそうです。自伝・事実なのであれば、理屈や理念で貫けないし、それで説明もできないということなのでしょう。でも、それならば、より具体的なエピソードを書き、事実で語らせればいいのに、どうしてここまで観念的な書きぶりなのかと思います。
エリート層、底辺層との間合いの他に、作者=「私」の祖父への敬意と親密感、失望と侮りの落差が目に付きます。思索的と見るにはちょっと振り幅が大きいように感じてしまいますが。
本文130ページの作品ですが、2パラグラフしかありません。7ページから始まり129ページまで1パラグラフで、そこまで改行がありません。どこまで行っても改行がないので、最後まで改行なしかと思ったら129ページで1か所だけ改行されて第2パラグラフに移行するのですが、この改行の意味も不明です。7ページほどの第2パラグラフは25年後の「現在」ではあるのですが、第1パラグラフでも時折「現在」は登場していて、なぜここでパラグラフを分けたのか作者の意図は私には理解できませんでした。

原題:Der Keller
トーマス・ベルンハルト 訳者:今井敦
松籟社 2020年9月27日発行(原書は1976年)
前半は、エリートとして「学習工場」であるギムナジウムに通うことになじめず反発して社会の底辺での肉体労働をすることで「役に立つ存在」になったということを、繰り返し、観念的に述べ続けています。新たな出来事がほとんど起こらず、新たな情報がほとんど付け加わらないままに、同じことを少しずつ言い方を変えて繰り返し、繰り返しながら少しずらせていき、しかしまたしても繰り返しに戻るというパターンをこれだけ続けられるのは、ある種の文才なのだと感じました。そのまま終わりまで突っ走るのかと思いきや、後半では、「私」は地下食料品店で働きながら、スタインウェイのグランドピアノを備えた歌の先生の元で歌唱指導を受け音楽に目覚めていきます。前半と後半での生き様をめぐる葛藤や懊悩はまるで見えません。そうすると、エリートとしての人生に反発して底辺での労働を尊ぶような前半の書きぶりは何だったのかと思えます。この作品は作者の言葉の遊び、観念の手慰みなのかとも感じられたのですが、訳者あとがきでの紹介によれば、作者の自伝的な小説なのだそうです。自伝・事実なのであれば、理屈や理念で貫けないし、それで説明もできないということなのでしょう。でも、それならば、より具体的なエピソードを書き、事実で語らせればいいのに、どうしてここまで観念的な書きぶりなのかと思います。
エリート層、底辺層との間合いの他に、作者=「私」の祖父への敬意と親密感、失望と侮りの落差が目に付きます。思索的と見るにはちょっと振り幅が大きいように感じてしまいますが。
本文130ページの作品ですが、2パラグラフしかありません。7ページから始まり129ページまで1パラグラフで、そこまで改行がありません。どこまで行っても改行がないので、最後まで改行なしかと思ったら129ページで1か所だけ改行されて第2パラグラフに移行するのですが、この改行の意味も不明です。7ページほどの第2パラグラフは25年後の「現在」ではあるのですが、第1パラグラフでも時折「現在」は登場していて、なぜここでパラグラフを分けたのか作者の意図は私には理解できませんでした。

原題:Der Keller
トーマス・ベルンハルト 訳者:今井敦
松籟社 2020年9月27日発行(原書は1976年)