文藝春秋編集者を経て作家デビューした作者と同じ経歴設定の作家野々村保古が知人たちとの過去や消息・近況等を語る体裁の自伝的小説。
20年来同居している「いちばんの長所は容姿」「若い頃は、それこそハッとするほどの美人だった」(108ページ)「とにもかくにも非常に美しい人だった」(132ページ)「暴力的な美しさ」(141ページ)という事実婚の妻ことりとの関係を一応軸に置きつつ、様々な知人のことを思いつくままに述懐している風情で、どこかとりとめなくエピソードが並んでいて、ある種「徒然草」っぽい印象も持ちます。
エピソードの中で、実力がありながら家庭の事情でワーカホリックな働き方ができなくなって閑職に甘んじたり退場していった知人の話、それを不正義と憤り会社への不満を語る部分が目に付きます。「この国で出世したいなら、まずは責任感を放棄(無責任能力)し、友人知人、取引先への同情や憐憫、あわれみといった感情を放棄(共感欠如能力)じなくてはならない。組織で出世した人たちは、自分の能力が競争相手に比べ秀でており、そのおかげで厳しい出世レースにおいて勝ち続けてきたからだと思い込みがちだが、それがとんでもない誤解や錯覚であることに早く気づいた方がいい。彼らはレースに勝利したのではなく、多くのまともな競争相手(RさんやLデスクやMさんたち)が責任感やあわれみの感情に従ってレースから降りてしまったがゆえに、かろうじて勝者と呼ばれるようになった(つまりはレースに最後までしがみついた)に過ぎない」(342ページ)というのは、会社員勤めを辞めて自営業者に転身した者らしい厳しい批判的考察でありまた負け惜しみでもあるように見えます。よかれ悪しかれハッとしたフレーズでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_yodare1.gif)
白石一文 新潮社 2020年1月20日発行
「小説新潮」連載
20年来同居している「いちばんの長所は容姿」「若い頃は、それこそハッとするほどの美人だった」(108ページ)「とにもかくにも非常に美しい人だった」(132ページ)「暴力的な美しさ」(141ページ)という事実婚の妻ことりとの関係を一応軸に置きつつ、様々な知人のことを思いつくままに述懐している風情で、どこかとりとめなくエピソードが並んでいて、ある種「徒然草」っぽい印象も持ちます。
エピソードの中で、実力がありながら家庭の事情でワーカホリックな働き方ができなくなって閑職に甘んじたり退場していった知人の話、それを不正義と憤り会社への不満を語る部分が目に付きます。「この国で出世したいなら、まずは責任感を放棄(無責任能力)し、友人知人、取引先への同情や憐憫、あわれみといった感情を放棄(共感欠如能力)じなくてはならない。組織で出世した人たちは、自分の能力が競争相手に比べ秀でており、そのおかげで厳しい出世レースにおいて勝ち続けてきたからだと思い込みがちだが、それがとんでもない誤解や錯覚であることに早く気づいた方がいい。彼らはレースに勝利したのではなく、多くのまともな競争相手(RさんやLデスクやMさんたち)が責任感やあわれみの感情に従ってレースから降りてしまったがゆえに、かろうじて勝者と呼ばれるようになった(つまりはレースに最後までしがみついた)に過ぎない」(342ページ)というのは、会社員勤めを辞めて自営業者に転身した者らしい厳しい批判的考察でありまた負け惜しみでもあるように見えます。よかれ悪しかれハッとしたフレーズでした。
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白石一文 新潮社 2020年1月20日発行
「小説新潮」連載