伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

リーガル・ラディカリズム 法の限界を根源から問う

2023-12-29 20:28:47 | 人文・社会科学系
 ルールの破り方、デモクラシーと戦争、くじ引きの使い方、死者の法的地位、人の等級、法の前の神々という6つのお題について、それぞれ法哲学者、法制史学者、法社会学者、比較法学者の4名が論じた論文(もともとは法学雑誌「論究ジュリスト」に連載)に別の学者からのコメントをつけ、座談会をつけて出版した本。
 最初のテーマは、「ルールの破り方」という人目を惹くタイトルをつけたところが「ラディカリズム」のゆえんかもしれませんが、この問題は、むしろ実定法の規定通りでは不合理な結果が出るときに法解釈としてどこまでやれるか(ルールを「破る」わけではなくて、より合理的な解釈を考える)と、私たち法律実務家がよく考える問題です。私のサイトでも、スコット・トゥローの「出訴期限」という作品を題材にそこを論じた説明をしています(「法解釈を考える」)。
 学者さんの論文というのは、著者の関心、研究内容に向けてしか書かれないのが通例で、お題が与えられても並べれば関連性がないものになりがちです。通し読みしようとすると、自分が関心を持てるものは少なく、まぁたまたま目にすることでこういうこともあるのかを思えることもないではないですが、エッセイや雑学ならともかく学者の論文は1つ1つがそれなりの重いものですので、読み通すのはかなりの(とんでもない、かも)労力を要しました。
 各論文間の調整がなされていないので、テーマの統一も流れもない一方でダブっていることもあり、「くじ引きの使い方」では、アリストテレスが「選挙で任命されるのが寡頭制の方式である」のに対し「公職がくじで割り当てられるのが民主制の方式である」と記しているという論文(167ページ)と、アリストテレス自身は選挙もくじも民主制における選出方法として優劣をつけてはいないとする論文(161ページ)が並べられている、それも双方の根拠はどちらも同じ本(アリストテレス[牛田徳子訳]『政治学』京都大学学術出版会、2001年)の別のページ(前者は205ページを引用、後者は231ページを引用)というのは、笑ってしまいました(どちらがより正しいのかは、そこまでする意欲がなかったので確認していません)。


飯田高、齋藤哲志、瀧川裕英、松原健太郎編 有斐閣 2023年8月30日発行

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最強のコピーライティングバイブル 伝説の名著3部作が1冊に凝縮!国内成功100事例付き

2023-12-29 14:47:10 | 実用書・ビジネス書
 広告コピーは売るためにあるという観点から、過去に売れたものをマネして作れと勧める本。
 「ザ・コピーライティング」(1932年)、「伝説のコピーライティング実践バイブル」(1937年)、「ザ・マーケティング【基本編】」「ザ・マーケティング【実践編】」(1975年)を伝説の名著3部作として、サブタイトルでも、監修者・解説者はじめにでも、この3部作を1冊に凝縮したことが謳われ、さらに著者はじめにとプロローグでもこの3部作を“ ALL IN ONE ! ”と繰り返しています。その実質はどうかというと、この3部作合計2000ページ超を要約しているのではなく、この3部作から著者が使えると判断した合計48ページの内容だけを解説しているのです。著者はそのことも説明していますし、「エッセンス」とか「いいとこ取り」とも言っていて、だからこのコピーも「ウソ」ではないのですが、コピーを見たときの印象と読み進んだときの印象にはギャップがあり、今ひとつ釈然としないものを感じました。このあたりに著者たちの広告やコピーに対する考え方が象徴的に表れているように思えます。
 この本の本体となる、実践例として挙げられているもの、そこから学ぶべきもの、マネして作るものの方向性も、確かに目を引きつけ売るための効果は感じるのですが、同時に、どこかあざとさやそれを掲げるとしたときの気恥ずかしさを感じます(売るためには羞恥心など捨てろ、気取るなというのがこの本の基本姿勢なのだとは思いますが)。


横田伊佐男 神田昌典監修
ダイヤモンド社 2016年4月14日発行
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