伊東良徳の超乱読読書日記

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「治る」ってどういうことですか? 看護学生と臨床医が一緒に考える医療の難問

2021-06-24 22:00:29 | 自然科学・工学系
 国立がんセンター勤務を経て現在日本赤十字社医療センター化学療法科部長の職にある臨床医の著者が、医療上の答が出しにくいテーマについて看護学生と議論し雑誌「Canser Board Square」に連載したものを単行本化した本。
 タイトルになっている「治る」に関しては、「治った」「治らない」というのは境界がはっきりした yes / no の話ではなくて、10年20年経って再発することもあるけれどもそれは予めわからず、結果的に別の病気その他で死ぬまでに再発しなければ治っていたという結果論の話なのだけれども、一般の人は治ったのか治らなかったのかと聞きたがる、そういうときにどう説明すればいいのか、治ったと思っている人に病識を持たせるべきかというような悩みが論じられています(53~56ページ、121~125ページ)。治っていなくても10年20年平気で生きられることもあるし、治っていない、リスクがあると気にすることがその人の人生・生活に影響する/影を落とすことを考えると、どうすべきなのかはなかなか悩ましいところでしょうね。そうは言っても、治ったと説明していて再発すると、リスクを説明しておいてくれればよかったと文句を言われるのでしょうし。弁護士の場合は、基本、リスクを正しく説明するの一択だと思うのですが。
 延命治療についての事前指示書の問題も悩ましい。本人が延命治療は望まないと文書に書いていても、それから時間が経ったらその指示は有効か、長期間が経過しなくてもその意思はいつでも変えられる訳なのでその意思が変わっていないかをどう判断するか、本人が意識がないときにそれをどうするか、指示書で想定していない急変はどうするか(例えば癌で余命があまりないということで蘇生措置を拒否する意思を示している人が検査の際の造影剤でショック状態になったら蘇生措置をしないのか等)、本人が認知症になったら/病状が進んでいたらその意思をどう判断するのか、その場合に家族が決められるのか、かかりつけ医が判断することはどうかなどが議論されています(34~46ページ)。
 患者や家族の言動があまりに理不尽でこちらが怒ってしまうときにどうするかという問いは、業種を超えて、悩ましい問題だなと思います。どこにでもいますからね、ジコチュウでわがままな、それでいて自分が100%正しいと思っている人は。今どきは、カスハラなんて言葉が使われますが。そういうときは「自分がどうして怒っているのか、を考えよ」、まず自分が怒っていることに気づく必要がある、そしてその原因は何か、患者の言葉遣いか、そもそもこの家族はもともと態度が悪いと思っていたのか、もしくは自分がやろうとしていた仕事を邪魔されたからか…などなど考えていくうちに結論が出る出ないにかかわらず落ち着いていくというのです(76~77ページ)。確かに巧妙な手法です。言い返すまでに10数えろというのと似てはいますが。
 看護学生との比較の関係で、「はじめに」で、医学生の意欲のなさ、授業中最初から寝ている、講義の途中で平気で席を立つ、何が試験に出るかしか興味がないなどが指摘され、また随所で医学生の傲慢さに言及されています。まぁそういうものかなとも思いますが、学生のときはまだ責任感や自覚がなくても、仕事を始め経験を積む中で人間は変わり成長していくものだと思います。そこは寛大に見てやった方がいいかなと思います。弁護士でも、弁護士会の研修で、突っ伏して寝ていたり途中で平気で席を立つ人はいますが。最近はウェビナー研修なのでそもそも寝ているか聞いてるかもわからなくなりましたけど。


國頭英夫 医学書院 2020年10月1日発行
「Canser Board Square」連載
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