伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ジャーナリズム・リテラシー 疑う力と創る力

2024-12-01 23:15:22 | 人文・社会科学系
 新聞・テレビへの不信が強くなり、発信メディアとしての独占も失われた中で、市民が情報の受け手としてのメディア・リテラシーに加え発信者としての情報を選別する力と自覚を高める必要性を説いた本。
 著者はテレビ朝日の記者・編集者ということですが、この本を読んでいると、外部の、例えば大学の研究者が書いたのかという印象を持ちます。新聞・テレビの閉塞状況、記者が思うことを書けない状況を紹介するのに、学者や他のマスコミ関係者が書いた本、第三者委員会等の報告書の公式見解の引用ばかりで、記者としての自分の経験や見聞はほとんど見られません。著者の記者として経験した事実が明示されているのは、1995年の阪神大震災の時に大阪ガスが直ちにガスの供給を停止せずに6時間後になってようやく停止したこと(ガス漏れによる火災発生の危険より停止による復旧費用の増加を怖れた)のスクープ記事とそれに対する大阪ガスの抗議と闘った成功体験(104~106ページ、175~177ページ)のみ(あとは30余年前の山口で先輩記者が教員の自殺について警察と学校が捏造した発表の虚偽を暴いたことをその記者から聞いたこと:162~163ページ)です。これが著者の前職の共同通信記者時代のことで、20数年務めているテレビ朝日での取材経験がまったく出てこないのはどうしたことでしょうか。
 テレビ朝日の現職の記者でありながら、テレビ・新聞に期待できない現状を書くこと、それ自体が勇気あることなのかも知れません。しかし、テレビ局の記者として書くのであれば、テレビ局として、あるいは自分が局を代表できないということならテレビ局の記者としてどうしていこうという話こそが読者の期待するもののはずなのにそれがなく、市民の自覚を促し期待するというどこか第三者的/他人事のような書き方はどうかなと思います。


岡田豊 彩流社 2024年10月3日発行

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