なあむ

やどかり和尚の考えたこと

もう一人の遷化

2010年01月03日 19時51分15秒 | 今日のありがとう

昨年は、大事な人から身近な人、お世話になった方まで、私の周りで色々な方々が亡くなられました。

そのお一人に長野県の藤本幸邦老師がいます。

松林寺で毎年の正月にお配りしているポスターの作者です。

543pyh 老師のお名前は知らなくとも、老師の作られた、観光地のおみやげ物にもなっている「はきものをそろえると、こころもそろう・・・」という詩はご存知なのではないでしょうか。

シャンティ国際ボランティア会の顧問でもあり、生前大変お世話になりました。

昭和22年、たまたま通りかかった上野駅で、老師は3人の戦災孤児に出会いました。持っていたリンゴ1個を与えると3人は、一口かじっては隣の子に渡し、その子も一口かじっては別の子に渡すというように仲良く食べました。その様子に感動した老師は、そのまま見捨てておくことができず、「寺に来て学校に行かないか」と誘って長野に連れて帰りました。

母親と結婚したばかりの奥様の大反対を押し切り、3人を自分の子どもとして育てることにしました。次の年には「円福寺愛育園」を創設し、以来400名に及ぶ子どもたちを育ててこられた方です。

カンボジア難民が発生するや、子どもたちの姿に心を痛め、何度も難民キャンプを訪問し、多大なる支援を続けてこられました。

カンボジアをはじめ、中国、ネパールにも学校を建設し、昨年12月に数え100歳で亡くなられるまで、世界の子どもたちの教育支援に身命を賭されました。

老師の心を貫いていたのは、「かわいそうな子どもを見捨てておけない」という慈愛の心と、「人を救うのが僧の使命」だという揺るぎない確信だったと思います。

身近に手本となる師に邂逅することができたことは、私にとって大きな僥倖でした。