以前このブログに書いたことですが、松林寺の過去帳には宝暦の大凶作の証として、宝暦6年の年、例年の7倍に上る死亡が記されています。
また、昭和9年の大凶作では、死者数に記録的な増加は見られないのですが、娘たちの身売りが行われ、最上郡内で2000名が売られたと当時の新聞は伝えています。いわゆる「おしん」の時代です。
そのような厳しい環境の中を我々の先祖は生き延びてきました。
そんなに厳しいなら、もっと住みやすいところに移住すればいい、と他所の人は言うかもしれません。
でも、そんなものじゃないでしょう。
「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げり」
先祖が苦労して住み継いできた土地を、そう簡単に離れることができるものではありません。
現在の被災地も同じだと思います。
津波地獄かもしれません。それでも、「津波が恐くて漁師やってられないっちゃ」という言葉が胸に響きます。
放射能汚染により避難を余儀なくされている福島の方々の望郷の念と怒りは如何ばかりかと胸に迫ります。
今、私たちの住むこの土地は、先祖の人々が、天を仰ぎ、地を打って、血の涙を流した土地なのです。
家族を奪われ、半狂乱になりながらも、それでも生き抜いてきた土地なのです。
そのDNAが引き継がれている以上、そう簡単にふるさとを出ることはできないはずです。そして、必ず乗り越えていくこともできるはずです。
昨日の朝日新聞に痛ましい記事がありました。
相馬市の酪農家が、堆肥舎の壁に「原発さえなければと思います」という遺書を遺して自殺したという記事です。
これまでの天災とは全く違う、恐ろしい事故が現在進行形です。
それでも・・・、乗り越えていかなければなりません。生き継いでいかなければなりません。被災者自身の力が弱くなってきているのであれば、みんなで力を貸さなければなりません。
絶対に、一人も見捨ててはなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます