入谷朝顔市にて
七夕も旧暦でなくては季節感は今ひとつ実感はわかない。季節と暦に敏感になればなるほど、実際の月日と季節感の乖離が気になるようになった。俳句にかかわるようになっただけが原因ではないと思う。日本の古典に親しめば、また明治・大正時代の人の文章に親しめば、自然とその乖離に敏感になってくるように思う。そうでなくとも季節を表す言葉と実際の乖離に気付くと思う。少なくとも7月いっぱいは。旧暦では現8月は秋だが‥。
そういう微妙なことはさておき、入谷は江戸時代朝顔の栽培が盛んだったらしいが、朝顔市の歴史は戦後のようだ。また朝顔の季語は秋、季語としての朝顔市は夏。朝顔の花を楽しむのは、8月以降の暑さがひとしおのとき、季節としては秋なのかもしれない。ただしこの時期の夏・秋については、私は現在の暦のほうが実感として納得できる。
季節感は、個人個人の思いもあるし、列島の気温が上がっていることを考えると、また少しズレがあるとは思う。
こんなことを考えながら、夜、しぼんでしまっていたが朝顔の花の色を詮索しながら楽しんだ。一鉢購入した。明日以降の花の色が楽しみである。
七夕も旧暦でなくては季節感は今ひとつ実感はわかない。季節と暦に敏感になればなるほど、実際の月日と季節感の乖離が気になるようになった。俳句にかかわるようになっただけが原因ではないと思う。日本の古典に親しめば、また明治・大正時代の人の文章に親しめば、自然とその乖離に敏感になってくるように思う。そうでなくとも季節を表す言葉と実際の乖離に気付くと思う。少なくとも7月いっぱいは。旧暦では現8月は秋だが‥。
そういう微妙なことはさておき、入谷は江戸時代朝顔の栽培が盛んだったらしいが、朝顔市の歴史は戦後のようだ。また朝顔の季語は秋、季語としての朝顔市は夏。朝顔の花を楽しむのは、8月以降の暑さがひとしおのとき、季節としては秋なのかもしれない。ただしこの時期の夏・秋については、私は現在の暦のほうが実感として納得できる。
季節感は、個人個人の思いもあるし、列島の気温が上がっていることを考えると、また少しズレがあるとは思う。
こんなことを考えながら、夜、しぼんでしまっていたが朝顔の花の色を詮索しながら楽しんだ。一鉢購入した。明日以降の花の色が楽しみである。