Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

暑中お見舞い申し上げます

2010年07月15日 22時29分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 まだ梅雨末期と思われる集中豪雨の地域もあるようですが、とりあえず暑中見舞い申し上げます。
 今後もこのブログに注目くださいますようお願いいたします。
 香月泰男のシベリアシリーズを始めてみたものの、いつになったら終わるかとヒヤヒヤもの。重い主題に押しつぶされそうな気もしてきた。
 時々肩の力を抜きながら続けます。

 本日はベートーベンの大公をスークトリオで聞きながら、就寝としよう。

香月泰男のシベリア・シリーズ(2)

2010年07月15日 14時54分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 青の太陽(1969年)

 シベリア・シリーズ57点の内11点ほどは抑留前の日本軍での経験である。どちらかというとこちらのほうが、作者自身の言葉で「国家」「軍隊」を告発する言葉は鋭い。確かに抑留という事態を招いた現況であるからである。
 この絵も、日本軍としての訓練中の経験に基づく。

 「匍匐訓練をさせられる演習の折、地球に穴をうがったという感じの蟻の巣穴を見ていた。自分の穴に出入りする蟻を羨み、蟻になって穴の底から青空だけを見ていたい。そんな思いで描いたものである。深い穴から見ると、真昼の青空にも星が見えるそうだ。」

 青い空、蟻や蟻の巣は、作者にとって救いの象徴としてある。そして幻想の星もそうだ。前回の粉雪といい、この星といい、もっとも小さいものがもっとも美しく描かれている。ここには人の顔は書かれていないが、いまだ微かな救いがある色使いだ。
 自然の光が救いのシンボルとして、かすかな希望の窓、青い太陽としての空の一角、星の光の形をしてあらわれている。

香月泰男のシベリア・シリーズ

2010年07月15日 07時52分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 朕(1970)

 夕食後、ふと香月泰男のシベリアシリーズを再見したくなった。理由は特に思い浮かばないが‥。
 早速1995年、横浜のそごう美術館で開催された折の「没後20年香月泰男展」を引っ張り出してきた。もうあれから15年以上経つのだ。いくつかの絵は見ていたが、160点以上におよぶ回顧展を見て、その内のシベリアシリーズの迫力に圧倒された。
 そのカタログにはシベリア・シリーズの全作品に作者の言葉による解説が付されている。
 シベリア抑留という生死の極限におかれた人間集団を経験した作者のひとつひとつの作品には、作者の言葉すらも言葉を拒絶するような圧倒的な存在感がある。どんな言葉を記しても何も云ったことにならないような、そんな絶望的な極限の体験であろう。まして私の言葉など、作品の前では無用のものであることは承知をしている。それでも私は私の言葉で何か語りたい衝動に駆られたこともまた、確かだ。
 ひとつひとつの作品、すべて惹かれる。人間への絶望、生死に関する諦念、それでも一筋のひかりのような同僚への暖かいまなざし、このような事態をもたらした国家への異議申し立て、そしてわずか光明。私の経験や言葉なんぞどこかへ吹き飛んでしまうような重い状況が垣間見える。

 今回の絵につけられた作者の言葉は
「我国ノ軍隊ハ世々、天皇ノ統率シ給フ所ニソアル……朕ハ大元帥ナルゾ、サレバ朕ハ……朕ヲ……朕……敗戦の年の紀元節、粉雪舞う海拉爾(ハイラル)の営庭に兵は凍傷予防のための足ぶみを続ける。その絶え間ない軍靴の響きと入り混じって、軍人勅諭奉読が行われた。朕の名のため、数多くの人間が命を失った。」
とある。

 美しい粉雪の結晶の白の向こうの顔は、無表情に生気のない表情をしている。海拉爾(ハイラル)の場面はまだ、日本の無条件降伏前、1943年から1945年前半の時期である。しかしこの暗い絵は、当時の軍隊の状況が垣間見える。
 兵の顔は、絶望からか憤怒からか諦めからか、眼を閉じ口を閉じ、息までも拒否しているようにも見える。真ん中の視覚の白っぽい四角は、ガラス窓に写る内部にいる日本の将校か、目を見開いて口を明けている。号令をかけているのか、軍人勅諭を説いているのか、外の兵をあざ笑っているのか、不明だ。軍隊という、徹底した階級社会のもたらす、特権と下層の果てしない階層性という、醜悪な社会を暗示する。
 あるいは四角の中の微かな顔は、画面の無表情な人々の心の中の叫び、願望をあらわしているのかもしれない。
 粉雪の白の美しさが、画面全体の暗さを、絶望を、告発の無力を際だたせている。

 シベリア体験とは、ロシアという国家悪がむき出しにされたことによりもたらされた悲惨な状況だけでなく、敗戦直前の日本という国家が作り上げ、日本という国家の縮図であった軍隊という名のグロテスクな様相と、それを国家が敗北しロシアの軍門に下った後もそのグロテスクさを引きづった日本の社会の負の体験でもある。
 「国家」「戦争」「階級」という負の遺産をどのように継承してゆくのか。「国家」の自縛をどのように緩め、解いていくのか、「国家」の廃絶は遠い遠い、実現不可能性の果ての永遠のかなたなのだろうか。そもそも考慮に入れてはいけない概念なのだろうか。