Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブリューゲル展の感想にならざる感想

2010年07月27日 18時48分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブリューゲルの展覧会で、7つの罪源と7つの徳目がシリーズ物としてあった。
 大罪は、貪欲・傲慢・激怒・怠惰・大食・嫉妬・邪淫、徳目は剛毅・賢明・節制・正義・信仰・希望・愛徳
 いかにもキリスト教しかもカトリックらしいものが並んでいると思われるが、果たして現代人の私なら何を付け加え、何を削ろうか、と考えてみた。

 面白いことに「忍耐」という版画も同時にあったが、これが否定的に描かれている。私のイメージでは「過度の忍耐」が否定的に描かれるのはすぐに了解できるが‥。宗教的な迫害に対する過度な忍耐が否定的ならば、福音書的な記述自体が否定的に解釈されてしまうのではないかと余計な心配までしてしまうが、ブリューゲルの時代、宗教改革が吹き荒れた当時の状況の中で、カトリックの側の忍耐は単に日和見であり、退廃であったのかもしれない。
 そして私の目からは、キリスト者の立場に立ってみても偽善・虚偽・戒律を破る破戒や冒瀆が入っていない。現代の眼から見ると非法・不法・人格の否定などが入っていない。
 そして「慈善」は徳目には入っていないが、この題の版画があり、18人もの子供が描かれている。さぞにぎやかな状況が静かなたたずまいで描かれている。しかしこれは寓意画ではなく彫像を模したような版画である。
 あくまでも、ブリューゲルの生きた当時のネーデルランドという社会状況に即した項目であると考えるのが妥当であろう。


 16世紀後半の世界であるから、個人を律する規範と、信仰と、国家の今で言えば法は、分化しないで混在している。宗教と国家の分離、個人の領域と国家の領域の分化ともっともっと後の時代のことだろう。
 これはちょいと脇へおいておいて、現代という時代を背景に私が付け加えるとしたら、それぞれにどんなことを付け加えるだろうか、と考えてみた。
 「罪源」では、個人を律するものから法にまで及ぶとすれば、饒舌・強要・ガサツ・虚偽・不正・不法・人格否定となろう。嫉妬・大食はいかがなものか。怠惰・激怒もあまりに場違いなような…。邪淫の代わりに人格の否定であろうか。
 「徳目」では、忍耐・寡黙・観察・人格と法の尊重を入れよう。剛毅はいかがなものか、削除しなくてはいけない。正義も今の時代何が正義かはあくまでも相対的だ。正義は法に変わったはずだ。現代の眼からは、遵法を入れなくてはいけない。信仰は私には皆無だ。愛徳という言葉は、仁愛・博愛のほうがまだいい。希望も考え物だ。

 こうしてみるとカトリック、キリスト教の世界の徳目も罪も随分と時代の波に洗われているはずなのだが…。そう、近代国家成立による、自由・平等・博愛に基づくという法という名の正義の登場がある。私が中・高校6年で受けたカトリック教育はもっと理念的であった。時代にそった変革を受けたものだったのだろう。
 西欧の1500年代は随分と今の時代と様相が違う。日本でも、現代から1500年代を見る眼もこんなに違ったものとしてみる必要があるのだろうか。1500年代(戦国後半期)の日本と西欧の比較というのは、なかなか面白いものがあるのかもしれない。

 ブリューゲル展の感想、書かないつもりがつい、まとまりのないまま、何が言いたいかもまとまらずに書いてしまった。
 これは虚偽という罪になるのだろうか。誰にとは言わず、許しを請わなくてはならない。

香月泰男のシベリア・シリーズ(7)

2010年07月27日 12時02分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 雨<牛>(1947)

 シベリア・シリーズの第1作。作者は「5月過ぎのホロンバイル。風の強い日は防塵眼鏡が必要な程の砂嵐であった。黄色い空を一掃するような夕立が終わると、わだちの跡の水たまりに、のぞき始めた青空が映って見える。大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った。復員後、国画展初出品の絵である。」と記しているから、日本軍としての駐屯地での体験に基づく絵である。

 シベリア・シリーズでは翌1948年作の「埋葬」(これは題材は抑留期間中のものなので後に掲載予定)の2点のみが美しい青と緑の彩色がある。
 これから、シベリア抑留を経て、死と飢えと忍従と絶望の世界へと突入していくわけで、作者の「大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った」世界とは正反対の世界に変わっていく。ここでの体験を絵にするということの重い苦闘には、シベリア・シリーズの第3作目の製作が1956年であるから、8年という時間的な経過を要したことになる。
 香月泰男の絵は1955年ごろを境に、シベリア・シリーズ以外の絵も含めて一気に多彩な色を失ってモノクロームのような画面に変わる。黒と白と暗い黄色の世界に変わる。それは作者がシベリアの体験を、日本軍としての体験も含めてシベリア・シリーズとして世に問うには、その絵画に対する全的な姿勢の変更を強いられたということだろう。
 この絵のポイントは青い二本の線だと思う。作者の文章からすると轍の後の水溜まりに映えた青い空だ。ハッとする美しさだ。香月泰男の目は美しい。