Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜もほぼ33℃

2013年07月07日 21時00分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 東京・埼玉ほどではないが、横浜も33℃近くまでになったようだ。夕方までは強烈な風が吹いていたが、夕刻には突如風が止んだ。この間、多少お疲れ気味だったし、風もずっと強かったので走るのはひかえていた。朝・昼は気温も高く、風も強いので走るのはもとより考えもつかなかったが、夕刻風が止んだのでウォーキングを主体にして少し走ってみる気になった。
 いつものコースを歩きながら、下り坂を走ってみた。かなりの数の人が走っていて行き違った。皆、風や雨などで走れなくてウズウズしていた人たちかもしれない。しかしさすがにまだ昼間の路面の熱気が残っていた。7キロのうち4キロぐらいを走った。途中の公園二ヶ所で水を飲み、頭に水をかけて体を冷やした。街路樹の日陰を伝いながら歩いたり走ったりした。帰宅後は30度くらいのぬるま湯のシャワーで体を冷やしながら汗を流した。用心をしないと熱中症がこわい。
 徐々にこの暑さに体を慣らしていく必要がある。歳を取れば取るほど用心を重ねないといけない。
 明日もまたかなりの高温の予想。どうなることやら。

 さて鶯谷の朝顔市は明日まで。鶯谷まで行くのは大変なので、近くの大きな園芸店で朝顔を一鉢購入した。


私流の登山のイメージ

2013年07月07日 15時22分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど、今の富士山の登山の報道を見ているととても登山とは思えない、と書いた。実はどんな登山が私のイメージなのか、いつも自問自答している。

 これまでの経験で思い続けてきた私流の登山のこだわりとは、その山域の自然と文化に浸り、体でそれを体感する時間だと思っている。同時に自然の中に自分を放り出して、都会の煩わしさを洗い流しながら自然との対話を繰り返す、自己回復の時間だとも思っている。

 だから本当は、できるだけ長い尾根を歩きたい。それも出来れば人の住む里から歩きたい。地元の人の生きている気配を感じながら、廃れかけた祠や人の住んでいた痕跡を辿り、樹林帯の植生を見ながら稜線に出たい。
 しかし、今は多くの登山対象地域でも過疎化がどんどん進み、公共交通機関が途絶えてしまっている。かなり手前でないとバスが通っていない。必然的にタクシーの利用が多くなる。逆に北アルプスや南アルプスなどなど人が集中する山は、かなり奥までバスなど入り込んでいる。そうなると昔の登山道は大半が藪の中に埋没し、廃道になってしまっている。痕跡すらない。そうなるとお手上げである。そういう道を探し出して挑戦している方も多々いるらしいが、私はそこまではする気力、思いはない。
 せめて、できるだけその山域の歴史やいわれがわかるような勉強をしたい。だからその地域の小さな郷土博物館などの施設、神社仏閣には立ち寄りたいと思っている。そして下山したらその地域の温泉に浸かり、その地域で出来たお酒と取れた食べ物を食したい。ごくわずかな金銭を費やすだけだが、それが登った山と地域に対する御礼だと思っている。神社仏閣へのお賽銭だけでは地域経済への貢献にはならない。
 また読図のために地形を読んだり、眺望から、植生からその山域の自然史を想像したりするのも楽しい。高校生のころまで習った地学や植生の知識を思い出しながら、それも古い知見・古い理論であって今は違う理論なのかもしれないが、想像するのはとてもよい頭の体操である。
 東北の山などでは、下山してくると山道の途中で不意に田畑などの跡地や廃屋や壊れた祠、手入れを放棄してしまった墓地などに出くわす。石像なども見かけることがある。墓誌などを見るとつい最近の年、私が学生であった頃のも含めて見つけることもあった。これは現代というものを再認識する絶好の機会でもある。

 そして体力の面では、ちょっとストイックに自分のペースにこだわって自分の体と対話しながら体力の今の水準をはかることに気を使っている。一つの山行の中に、長時間歩行やハイペースも織り込んでいるのはその試みの一つだ。
 サバイバルというほどのものではないが、一人での山行に今のところはまだこだわっている。植生をみたり、地図を読んだり、地形・方角を読んだり、悪天候に見舞われた時の対処、という能力が疲れてくると極端に低下することがある。それをどう乗り越えるのか、結構自分を客観視している。道を間違えてあわてて元にもどる自分を、意外と冷静に見ている自分が面白い。

 登山とは、自然・文化・歴史そして体力とをフルに味わうことの出来る総合的な体験の場である。学校でいえば総合的な体験学習である。その山の楽しさを教えてくれた学生時代の友人には心から感謝している。
 これからも素直に学ぶ気力がある間は、山に挑みたいと思っている。


登山靴を手に入れる

2013年07月07日 08時04分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨年履き潰してしまった登山靴を買い換えることにしていたが、ようやく昨日新しい登山靴を購入した。
 みなとみらい駅の傍の店、横浜駅東口の店、同西口の店3軒を歩いて巡り結局一往復して、最初の店で購入した。
 横浜駅西口にある店は満員の盛況。特に登山靴のコーナーは若いカップルがこの間も大勢いた。今回も。店員との会話を聞いていると富士山に登ろうということらしい。時期的に人気なのはわかるが、あんな人の列に加わりながら歩くのは私はご免蒙りたい。多くの人が山に親しむのは悪いことではない。しかしテレビの報道を見ていると、あれはもう異状である。登山とはとてもいえない。

 世界遺産登録という騒ぎで、私の富士山登山も当面、少なくとも10年くらいは先になる。これでは私もこの世にはいなくなってしまう可能性もある。登る機会がなくなってしまうかもしれない。

 さて、登山靴のはなし。20代のはじめの頃は中学生のころ購入したキャラバンシューズを履いていた。中学1年の時に学校のキャンプで磐梯山を登ったが、運動靴だった。3年の時に瑞垣山に行くために購入したのキャラバンシューズだった。これを20歳過ぎに持ち出してきて利用していた。
 その後、当時の重い皮製の登山靴を購入したが、底を2度ほど張り替えて使い続けた。これが、丹沢に行って下山の折に踵部分が突如壊れ、金属の板が飛び出してしまった。痛くてこれ以上はとても履き続けられないので、たまたま持参していたサンダルに履き替えて、丹沢の犬越路の避難小屋から降りてきた。二度目に張り替えた直後の最初の山行でのことである。とても怖い思いをした。下山中だったからまだ助かったが、これが北アルプスなどの稜線だったら大変なことである。修理に出した登山用品店にはそれ以降もう二度と訪れていない。
 二足目以降は皮革製はやめて布製の軽い登山靴(とはいってもそれなりに堅牢でゴアテックス仕様で、やはりそれなりに高価なもの)を使ってきた。しかし岩場の稜線を歩くとどうしても穴があいたり、擦り切れてしまったりする。それで現役時代に5足ほど潰してしまった。正確ではないが、多分これで7代目の靴になる。
 最近の皮革製の登山靴は随分と軽くなったものである。今回購入したものは軽登山靴仕様で800グラムと表示されているが、充分に堅牢であるように見受けられる。もうすぐ62歳になる私には、片方1キロを越える登山靴での長時間歩行はきついと思われる。この靴ならば重い登山靴ほどではないだろうが、それでもこれまでのものよりは岩場の稜線でも耐えられそうだ。

 ということで、靴試し、足慣らしに再来週に妻と、燕岳に登ってみることにした。ふもとの中房温泉に浸かってから、燕山荘・燕岳の往復。
 梅雨明け一週間が登山に良いといわれるが、来週の火曜は中房温泉が営業していない日なので、再来週に延ばした。なかなか思うようには行かない。妻同伴なのであくまでのんびり登山を楽しむ予定。雨男の私のことであるから、雨も予想されるがそのときは温泉に一泊して帰ってくるだけでもいいと思っている。