

本日神奈川県立近代美術館鎌倉館で「生誕100年 松田正平展」を見てきた。松田正平という画家のことは洲之内徹の文章で知った。多分多くの読者がそうであろうと思う。
同じ年齢の洲之内徹とは1976年頃知り合い、以降洲之内徹の死まで交流を続けている。また洲之内徹によって松田正平は世に知られるようになったとも言われている。
松田正平の絵というのは、あれやこれやあまり難しく考えないで、色の配置の絶妙なバランスと、対象の特徴を実に絶妙に捉えたデッサンを楽しむことが出来る。見ていて実に楽しく、幸福になる。そしてくすっと笑いたくなることもある。その瞬間の気持ちを楽しむことが出来ればいいのだと思う。
またビュッフェの影響を読み取ることが容易だ。しかも画家独特の受容の仕方をしているのもよくわかる。
洲之内徹の気まぐれ美術館シリーズでは「人魚を見た人」の中に4篇(耳の鳴る音、正平さんの犬、ジガ・ヴェルトフという名前、薔薇の手紙)、「帰りたい風景」の中に3編(ゴルキという魚、オールドパア、自転車について)、そして「さらば気まぐれ美術館」に2編(幸福を描いた絵、絵が聞こえる)の言及がある。あるいはもっとあるかもしれない。
私は洲之内徹の文章で松田正平を知ったので、その影響があるのは容赦してもらおうと思う。洲之内徹とは同年とのことで1913年生れで2004年に91歳という長命でなくなっている。展覧会の図録をみるまで知らなかったが、香月泰男と同じ山口県出身で香月の二年後輩にあたるという。
まず「薔薇の手紙」の末尾に、「正平さんの薔薇の絵を見るとき、私は薔薇の見方を教わっているのだ。いい絵は、物の本当の見方を教えてくれる」と記載されている。


なかなか面白い表現だが、これだけでは松田正平の薔薇の絵の魅力はわからない。試みに1983年(70歳)と1997年(83歳)の時の薔薇の絵を並べてみた。はじめの絵が1983年の時のもの。両者は同じ構図で、配色も基本は同じ。前者をもとに後者は描き直しであろう。後者の方が配色も線描もボヤッとしている。私の好みでいえば前者、画家が70歳のころの作品だ。
目をつぶって瞑想している人の顔にも見える右下の白い花が面白い。見方によればその上の黄色の花も人の顔に見えなくもない。画家はひょっとしたら薔薇を描きながら、人の顔を描いていたのかもしれない。画家の言葉として洲之内徹は「女の好き嫌いがそれぞれにあるように、描いてみたくなるような薔薇はそうよけいはないね」と記述している。

この1983年の薔薇の絵はあきらかに人の顔を連想させる。この歳と特に人の顔を描きこむことにこだわったのだろうか。
先ほどにあげた1997年の薔薇では、白い薔薇の花の部分、人の顔らしきものは敢えてそのように見ないとわからないようになっている。あるいはちょっと皮肉っぽく目を開けているようにも見える。
私のこんな見方よりも、薔薇の花の色の明るい色彩の変化、色の配合の美しさを感じ取ればそれで充分楽しい気分になる。

さて画家が繰り返して描いている絵に四国犬と題した絵がある。チラシの表にある黄色い犬も私は気にいっている。が同時にこの青い、目の周りが黄色い犬もまた好きだ。画家が飼っていた犬は、土佐犬というのだそうだ。私がイメージする土佐犬は大型で闘犬用の犬で土佐闘犬というらしい。土佐犬というのは中型の日本犬をさし、四国犬ともいわれるらしい。猟犬であったらしく、飼い主には忠実だが、それ以外の人間には警戒心が強く、攻撃心がつよいという。国の天然記念物。そんな強い性格がよく表現されている。薔薇にしろ、この四国犬にしろ画家は興味を持ったもの、身近なものにかなり凝る性格だ。血統書付の犬を何代かにわたって飼っていたようだ。そのようなこだわりが身近な物に対する執拗ともいうべきこだわりで描き続けた根拠のようだ。