*和田英作 「H夫人肖像」
作者は当時文展の審査委員。カタログには「色調が暗く沈みすぎている点が惜しい」と解説してある。当時の画壇の重鎮ともいうべき画家。
漱石評「甚だ不快な色をしている。尤も窓掛や何かに遮られた暗い室内の事だから光線が心持よく通はないのかも知れない、が光線が暗いのではなくって、H夫人の顔が生れ付暗い様に塗ってあるから気の毒である。其上此夫人はいやだけれども義理に肖像を描かしている風がある。でなければ和田君の方で、いやだけれども義理に肖像を描いてやった趣がある。」
確かに「夫人肖像」という題にもかかわらず、顔の表情が判然としないし、着ている物もはっきりしない。窓だけが明るい。しかし色調が暗いということだけを漱石は指摘しているのではないのではないか。モデルを雇って描いた人物像ではないから、モデルであるH夫人を通して何を描きたかったのかが伝わってこない、画家の表現の意志・意欲が何処にあるのか不明な点を指摘しているのではないか、と私は漱石の評を読んで感じた。また絵の主題が夫人の顔なのか、全体の雰囲気なのか、窓からの光線の不思議な輝きなのか、着物の質感なのかはっきりしないと思う。
漱石がイギリスで盛んに見たラファエロ前派というのは、あるいはイギリス絵画というのは多くが物語りや小説を背景としている絵であると教わったことがある。この絵の背後にある物語を想像するのか、あるいは画家の表現意識を見るのか、いづれにしてもこの絵からはそのような奥のある深みは感じられないと思う。
漱石の批評が辛らつに聞こえるのは、どうもいいたいことをズバッというというのではなく、表面的な技巧的な面をいいながら、本質的なことを隠していることに毒があるような気がする。批評されるほうはこれは厳しい矢が飛んできるように感じたのではないだろうか。あるいは反発だけが残ったと想像する。
カタログの「色調が暗く沈みすぎている点が惜しい」というのは画面の雰囲気だけの印象で、漱石の真意は別の所にあったように思うが、どうであろうか。
*坂本繁二郎 「うすれ日」
当時30歳。カタログでは「作者の瞑想的な画風を評価している」と記載されている。
漱石評「同じ奥行を有った画の一として自分は最後に坂本繁二郎氏の「うすれ日」を挙げたい。‥。荒涼たる背景に対して、自分は何の詩興をも催さない事を断言する。それでも此画には奥行があるのである。そうして其奥行は凡て此一疋の牛の、寂寞として野原の中に立っている態度からでるのである。牛は沈んでいる。もっと鋭く云えば、何か考えている。「うすれ日」の前に佇んで、少時此変な牛を眺めていると、自分もいつか此動物に釣り込まれる。さうして考えたくなる。若し考えないで永く此画の前に立っているものがあったら、夫は牛の気分に感じないものである。」
瞑想的という一つの言葉で語ってしまうのはどうももったいないような気もするが、そういうことなのだろう。構図的には牛の後ろに松の気があるのが不思議である。私なら牛の頭の方に松の木を持ってきてしまうが、多分これではダメなのだろう。牛の思念が空間に伸びていかないのだろう。
漱石は「奥行」という言葉を使っているが、画面の構成や色使いのことをいっているのではない。現に「松の枯木」「色の悪い青草」「砂地」など「荒涼たる背景」に「何の詩興をも催さない」と述べている。モデルである牛に託された画家の自然観照の態度に「奥行」を感じ取っている。画家の「牛」を通した自然との距離のとり方、関係を表現したことを評価していると捉えるのが自然な解釈だと思う。
先ほどの「H夫人肖像」とは違って、画家の表現意識を捉えて評価している。ここが漱石の評価の基準のような気がする。
*黒田清輝 「赤き衣を着たる女」
黒田清輝は当時の画壇の重鎮にして権威。
カタログでは「確かに横向きのポートレートは、黒田にしては、やや単調の謗りを免れえない」と記載されている。
漱石評「若し日本の女を品位のある画らしいものに仕上げ得たものがあるとするなら、此習作は其一つに違いないと思ったのである。けれども夫以上に自分は此絵に対して感ずることは出来なかった。」
私は漱石の評がとてもわかるような気がする。画面からいえば緑の勝った背景と赤茶色の背景の補色関係、緑のグラデーションと肌の色合い、肌の塗り方、視線の先にある赤い椿一輪とその位置‥とても計算されつくした構成になっている。私はこれらの技術的なものについては手馴れを感じた。だが、和服姿で肩まで肌をあらわにする必然などに違和感を感じた。肌をあらわにしつつ上品な顔立ちなど漱石のいうように「品位のある画」かもしれないが、中途半端な感じがする。
何よりも画家は先の和田英作の「H夫人肖像」の時のように何を表現しようとしているのか、私に迫ってくるものがないと思った。まず女性に表情がないのではないか、女性に意志が感じられない、何かを見つめている緊張感も表情にないと思う。
ここでも漱石は技術や構成よりも、画家が何を表現しようとしているのか、人物と画家の関係、あるいはモデルに託して画家が自然や社会に対してどのように対しようとしているのかが評価の基準としているように感じた。
漱石は、重鎮とか権威といわれる人にも手厳しい。いやそういう人たちの作品だからこそ、ずけずけと批判しているように思う。国家というものに対して「個人主義」を標榜している漱石だからこそ、「国家」を背景にした「権威」で人や人の作品をランク付けする行為などに極めて否定的である。次々回に触れるが、漱石はこの「文芸と芸術」の前半の総論の中で、文展の向こうを張った「落選展」が開催されてほしいとそれを称揚している。
ここに引用している「文芸と芸術」の後半の個別の評は、漱石の面目躍如・真骨頂の毒舌に近い部分もあるのは、この「権威」への挑戦状のように感じる。