本日は横浜での句会と、大学の同窓会の相談会が重なってしまった。重ならないように努力はしたつもりだが、なかなか思うように日程は決まらない。同窓会の呼掛け人の一人になっている以上、相談会を欠席するわけにはいかないので、やむを得ず句会は欠席とさせてもらった。
来月末の同窓会に向けて、最後の相談会。当日の細部の検討を楽しく行うことが出来た。1970年、今から43年前の入学以来、ほとんどの仲間が4年では卒業できず、途中で留年をさせられた。そして5~6年かけてようやく卒業した。しかしこの「留年」は、それぞれの主体的な選択でもあった。2500名の入学者のうち2000名がこの選択をした。しかも卒業した者でも専門課程・卒業学科とは関係のない分野で就職をした者もかなりおり、途中で郷里に帰ったもの、進路を変更したものも多い。そしてそれぞれに還暦・定年という節目を迎えている。
大学側からすれば、「留年」というのは処分であったし、2~3年後に「卒業」にこぎつけた者にとっても、それは「卒業」という名の放校処分だったとの認識もある。大学側からすればそれらは処分であるが、我々からすればそれは主体的な「選択」、親などとの関係の総体を真っ向から引き受けながらの主体的な「選択」であった。就職に際しての不利、人生にとっての不利などということを踏まえた上での選択ということを当時大いに議論をした。
この些細な経験、若かったとはいえ各自のこの主体的な選択、そしてそこに至ったエネルギーについては常に自問自答を繰り返しながら生きて来た。少なくとも自分史や家族史の中では、そのことについては何ら恥じることの無い、逆に誇りとしてそれぞれの人生を過ごしてきたと思う。
それぞれのその後の労苦・努力を当時の状況を踏まえて分かち合える仲間の存在はうれしいものである。もう還暦も過ぎ、20歳のときの体験・選択を、自分史の原点として捉え返すきっかけにしたい、と呼掛けることにした。
同じ学部に入学した者300名。1972年3月21日、学生により封鎖されていた講義棟が警察の力で封鎖が解除された日、多くの学生が逮捕された。多くの中心メンバーが拘留されている中、当時「留年」という選択に主体的に関わったものが何人いたのかは不明だが、学年末試験ボイコット同調者は、学年末試験開始前日のわずか一日だけの呼びかけで100名をすでに越えていたと、当時のビラには記載されている。その翌日、敷地内に設けられた仮設の木製の柵をはさんで、2000名の学生と、教官・機動隊機動隊が対峙した。
大混乱する試験会場周辺の状況を前にして、100名を越える試験ボイコット者に加え、私たちに同調した同じ学部の仲間100名以上がボイコットに加わった。。当時の新聞報道・大学側の発表では全学部を通して受験者は在籍者の3割未満であったから、私たちの学部でも同じ割合だったと思う。大学側にとっても予想を大きく超える事態であった。同時にいわゆる学生活動家の中心メンバーにしても、ここまで同調者がいたということに大きな驚きもあった。
試験をボイコットしても、本人の知らないところで「試験に合格した扱い」とされ、学部に進学したもの500名と、留年したもの1500名というふうにふるい分けられた。ほとんどの学生はあきれながら、逆に留年したことを誇りとする雰囲気が圧倒的であったことも記憶している。進学したものからも、大学のあり方に嫌気がさして郷里に戻ったものもいた。
留年したときに予想される苦しい生活事情などに逡巡やためらいがある中で、仲間との真剣な討論を経ての20歳前後の決断が、その後の人生の過ごし方に大きな影響を与えることを今さらながら驚いている。ほんの一瞬の決断が人生を大きく変えるものだということをあらためて、真に身に沁みる形で学んだ。またそのように人生を見続けてきた。人間の一生の不思議さも感じる。
自分の子供にあのときの混沌としたエネルギーや、高揚感を話してもそれは通じることはまずない。あの現場に居合わせていない限りわからないと、子供との対話で実感した話を当時のことを振り返りながら仲間と話をしている。
一年間の奨学金の停止や親からの仕送りの停止、出来るだけ早く就職して親に仕送りをしなければならいない家庭の事情、それらの経済的な事情だけを考えただけでは、あの選択は理解できない。同時に、あの選択を大勢が行った理由は大学の講義や管理や運営に対する強い被抑圧感、講義に対する違和感などが背景にあったとは思うが、それだけで説明がつくものでもない。
皆が、常にこの40数年前のことを自問自答しながら生きてきたと思う。
しかし現在も連絡が取れるものは約一割。それぞれの人生を語り合う機会を大切にしたいものである。
さて明日は再び仙台にて1泊。親族の法事に妻と参加する。仙台は関東地方の酷暑とは違い雨模様、気温もかなり低い。本日の相談会の宿題を仙台の仲間と相談できる時間があればいいのだが‥。