私は映画はあまり見ないのだが、大学生の頃に任侠映画で高倉健を見たのが印象に残っている。そして1973年から始まった「仁義なき戦い」は、シリーズの終わる1977年の作品まで、幾度となく見た。大森だったか蒲田の駅前の映画館で全作通しのオールナイトを2回見た記憶がある。
高倉健の役どころが一人の人間の最後の意地の見せ所という設定に対して、「仁義なき戦い」は組織の中の人間の執念を描いているところが大きな違いであったと思う。
組織の頂点にいる人間の愚劣さと組織の先端にいる人間の悲哀と意地の見せ所に時代を見ていたのだと思う。
高倉健の役どころが全共闘世代の初期の時代に受け入れられたとすれば、菅原文太の役どころは集団内の葛藤や内ゲバといった時代に突入してしまった新左翼運動の負の現実を扱った、全共闘世代直後の私たちのあり様、翻弄のされようを写し取っているということも云われた。
ともに寡黙であっても生き様の筋をとおすという共通点がある役どころながら、鑑賞する方は、個と組織という視点の違い、強いられた場の扱いの違いに役者の個性を重ね合わせてしまっていた。そんな魅力がこの二人の役者にはあった。
私などは菅原文太演ずる役どころに当時の自分を重ね合わせていたという点では、菅原文太という生き様にはその後も注目をしていた。
また、菅原文太は仙台出身ということで、私が学生の頃のクラスの仙台出身の友人がちょっと誇らしげにしていた。そんなことも菅原文太という訳者に興味を覚えた要因でもある。
その後、1980年NHKの「獅子の時代」に平沼銑次役で出演し、放映後も自由民権運動の顕彰などにかかわっていた。そんな振舞いもまた私からすれば魅力であった。
先月の沖縄県知事選では翁長氏支援で現地で演説したそうだが、病が進行している中での執念を感じた。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20141201-1403381.html
妻の菅原文子さんが報道各社にFAXで心境を明かした全文は以下の通り。死んでこのように追悼されるということが羨ましいと感じた。私などは小さな一粒の種すら播けないが、社会に通用する言葉と振舞いの上に立って、言いたいことは言い続けたい。
「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」。