Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

印刷作業もようやく終了

2014年12月14日 22時50分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 印刷に意外と時間がかかっている。写真がほとんどなので、インクの減り具合がすごい。ランニングコストよりも2~3倍もインク代がかかっているかもしれない。カラー印刷A41枚で9.1円となっているが、カラー三色は各2個ずつ、黒・灰・顔料系黒はそれぞれ1本を使ってしまった。
 また4組ほど印刷するとクリーニングをしないと印刷ムラがひどい。そのたびにクリーニングをするので時間がかかる。またインクが浪費される。このため、急きょ食事が終わってから、インクを書いた詩に横浜駅まで往復してきた。
 ランニングコストから割り出すと、試刷り・失敗分を含めて、4400円ほどだが、実際はインク代で9000円位になっている。
 この印刷機、やはり大量印刷には向いていない。ビジネスモデルのプリンターが欲しかった。しかしA3が印刷出来るインクジェットのビジネスモデルはカセットが一段でも最新式の清貧は5万円近い値段がしている。
 購入するゆとりがない。

 ようやくあと2組で仕上がるまでになった。何とか23時までには45部出来上がりそうである。



メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第1番、第2番」

2014年12月14日 22時03分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 印刷作業をしながらメンデルスゾーン(1809~47)のピアノ三重奏曲の第1番と第2番を聴いていた。演奏はボロディン・トリオといい、旧ソビエトで有名であったボロディン弦楽四重奏団の第1バイオリン奏者がアメリカに1976年に亡命して結成したトリオらしい。録音が1984年となっており1980年代の後半にこのCDを購入したと思う。友人にこのボロディン・トリオはいい演奏をするのでお薦めだ、と云われて購入した記憶がある。
 確かにピアノ、バイオリン、チェロの音量のバランスがいい上に、バイオリンとチェロの音色も好みである。しかしやはり当時もメンデルスゾーンの音楽に興味が湧かなかったようで、数回だけ聴いてそのままにしてあったと思う。

      

 メンデルスゾーンは38歳に亡くなっているので、ピアノ三重奏曲第1番は作曲家が円熟期である30歳の時、第2番は晩年の36歳の時の作品である。解説によると11歳の時にやはりピアノ三重奏曲を書いているらしいが、通常はこれには番号はついていない。
 第1番は覚えやすいメロディーが続き、楽器の特性をつかんでよく鳴るように作られていると感じるが、この感想は当たっているのだろうか。
 第2番は第1番に比べ少し哀調を帯びた旋律が第2楽章にあらわれる。重厚さも感じる。第1番に比べて演奏される機会が少ないと解説にあるが、私はこちらの方がずっといいと思う。4つの楽章が起伏に富んだ構成である。第4楽章の冒頭のチェロの旋律も、3度のユニゾンも美しい。

 しかしどうも私はすぐに飽きてしまう。メロディーも美しいし、楽器のバランスもいい。よく楽器が響いていて心地よい曲である。だが、どうも物足りない。
 音楽評論家は作曲家に対しても演奏家に対しても「精神性が高い」、「作曲家の苦悩が感じられない」などという評価を述べることがある。
 私はこのような批評を安易に語る批評家はまず信用しないことにしている。つい「「精神性」や「苦悩」って一体何なんだ?」と茶化したくなるのをこらえている。なんか言ったように思えてそれで終わってしまう便利な言葉である。その実、何も語っていない。苦悩や精神性など生きている人間ならば誰もが人間関係の処理で思い悩み、苦悩する。何も偉大な人間ばかりの専売特許ではない。人生全般の苦悩がそのまま絵画や音楽やの芸術表現にそのまま反映するなどということはあまり信用しない方がいいと思っている。新しい表現を獲得しようとする苦闘はどの表現者も必死で挑戦しているのである。また精神性が高い低いなどという判断ほどいい加減なものはない。
 メンデルスゾーンの音楽を徹底的に聞き込んだわけでもなく、音楽表現のプロでもない私であるが、メンデルスゾーンの音楽には私は危うさがないと思っている。たとえばメンデルスゾーンが19世紀のモーツアルトと称されるように天才肌の人であるといわれる。しかしモーツアルトの音楽が音ひとつを取り去ると全体が崩壊してしまうような危ういけれども緊密で、精密機械のような音楽が構築されている。この危ういというのがモーツアルトの音楽が好きな理由である。
 一方でメンデルスゾーンのメロディもリズムもあまりに安定していて、新しい何か、というのを感じないのは私だけだろうか。美しい旋律の音ひとつを取り去ればそれで音楽は確かに崩壊してしまうかもしれないが、それでも安心して聞いてしまう。緊張感をもって聴き続ける、ということがない。曲そのものが、安定してしまっている。
 安定ということはひとつの価値であるかもしれない。しかし私にはこの安定という言葉が、鑑賞するときの大きなマイナス要因に思えてしまう。
 素人の私の感覚で、綿密な考証をしたわけではないので、恥ずかしい頓珍漢があるかもしれないが、許していただきたい。
 メンデルスゾーンの音楽にこんな感情が湧いてきた。これはやはりしばらく遠ざかった方がよさそうな気配である。ひょっとしたら限られた曲しか聞いていないから、こんな感想を持ってしまうのだろう。これ以外に私が持っているメンデルスゾーンのCDは無言歌集の一部だけである。しかしこれ以上はしばらくは購入しない方がいいかもしれない。

先々月の平泉・被災地訪問の記録集作成

2014年12月14日 14時39分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 葬儀が終了して、のんびりしている。

 午前中は団地の管理組合の関係で横浜駅まで出向いて建て替えに関する講座を受講し、先ほど投票を行い家に戻った。期日前投票に行くゆとりがなくて、本日ようやく投票。私には戦後最悪の人間にさらに4年も政権を担当してもらいたくない。政権与党と、さらにそれを右から支えようとする党派、ポピュリズムの党派には早く退場してほしいと思っている。

 本日の作業は、先々月に退職者会で訪れた東北地方の記録A4で8頁分の記録集の印刷。すでに原稿は確定しているので、これは特に頭を使わなくていい。印刷の操作だけであり楽である。数部ずつの印刷を繰り返す手間と、インク切れや印刷の不具合、紙の二重送りに注意していれば問題はない。45部ほどの印刷で終わる。