明日は横浜では午後から雨が降り、気温も8℃と低い予想だという。明日も所用で出かけるので、寒い上に雨となると気が重くなる。
食卓の椅子に座りながらお酒の酔いを醒ましているときに、取り留めもなく、次のようなことを思った。
寒いだけなら私は気にならないのだが、雨が伴うとなると話は別だ。雨の降る街並みというのは風情があることは確かだ。春先から秋の初めまでは小雨なら気分が落ち込むということはないと思う。
しかし晩秋の小雨、そして冬の雨、時雨となると外で遭遇はしたくない。部屋の中でその雨の音を聞くのはいい気分でもあるのだが‥‥。雪が降るならその方が外に出るのに特に気分的に憂鬱になることはない。逆に嬉しいくらいだ。
以前は寒い時の雨に濡れたレトロな飲み屋街や古い街並みをひとりであてもなく歩くのは嬉しかった。自分がそのような店に入ることはまずないし、入りたいとも思わなかったし、今も思わない。しかし傘を差して自分も歩きながら、人々の往来の流れに身を任せるのも好きであった。時にはコートの襟を立てながら俯いて歩く人々を喫茶店の窓から眺めていたこともある。仕事に疲れたときなどは特にそんなことをしたくなる。
最近はそのような光景を思い出しながら自分の家にこもっている場合の方が多くなった。これではいけない、何か出かけなければならないというような状況に自分をおかないと内向きな想念に囚われたり、怠惰になってしまうかもしれない。そういう観念で自分を奮い立たせた方がいいかもしれない。雨の日の古い街並みの写真がキチンと撮れれば病みつきになるかもしれない、とも思った。
食卓の椅子に座りながらお酒の酔いを醒ましているときに、取り留めもなく、次のようなことを思った。
寒いだけなら私は気にならないのだが、雨が伴うとなると話は別だ。雨の降る街並みというのは風情があることは確かだ。春先から秋の初めまでは小雨なら気分が落ち込むということはないと思う。
しかし晩秋の小雨、そして冬の雨、時雨となると外で遭遇はしたくない。部屋の中でその雨の音を聞くのはいい気分でもあるのだが‥‥。雪が降るならその方が外に出るのに特に気分的に憂鬱になることはない。逆に嬉しいくらいだ。
以前は寒い時の雨に濡れたレトロな飲み屋街や古い街並みをひとりであてもなく歩くのは嬉しかった。自分がそのような店に入ることはまずないし、入りたいとも思わなかったし、今も思わない。しかし傘を差して自分も歩きながら、人々の往来の流れに身を任せるのも好きであった。時にはコートの襟を立てながら俯いて歩く人々を喫茶店の窓から眺めていたこともある。仕事に疲れたときなどは特にそんなことをしたくなる。
最近はそのような光景を思い出しながら自分の家にこもっている場合の方が多くなった。これではいけない、何か出かけなければならないというような状況に自分をおかないと内向きな想念に囚われたり、怠惰になってしまうかもしれない。そういう観念で自分を奮い立たせた方がいいかもしれない。雨の日の古い街並みの写真がキチンと撮れれば病みつきになるかもしれない、とも思った。