Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜で震度2

2015年02月07日 15時47分12秒 | 天気と自然災害
 ドスンという音ともにほんの数秒間揺れた。少々びっくりしたが、震度2という表示。

 気象庁の発表は、
07日15時19分頃地震がありました。
震源地は千葉県北西部(北緯35.8度、東経140.1度)で、震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は3.9と推定されます。
震度2は、
埼玉県宮代町笠原
千葉県船橋市湊町 野田市鶴奉
東京都東京台東区千束 墨田区東向島 江東区塩浜*
神奈川県横浜市 神奈川区神大寺 神奈川区広台太田町 横浜中区山手町

 多分外で歩いている人などは気がつかない人の方が多いと思われる。

横浜市港南区についてひとくさり

2015年02月07日 11時37分42秒 | 山行・旅行・散策
 曇がちの本日は家で先日の退職者会新年会の写真の整理。たくさん撮影すると整理に時間がかかる。以後気をつけなくてはいけない、と反省中。

 夕方は古い友人と上大岡駅まで出かけて軽く一杯(2~3杯くらいか)の予定。

 横浜の副都心のひとつ上大岡駅で飲むのは実に8年ぶりくらいのような気がする。上大岡を含む港南区は昔の相模の国と武蔵の国の境界が区内を横切っている。
 大岡川の源流に沿って鎌倉街道が南北に走るが、この大岡川は東京湾に流れ込む。一方西半分は馬洗川・芹谷川は戸塚方面に流れ柏尾川と合流し江の島で相模湾に至る。東京(江戸)湾と相模湾に流入する川の分水嶺が昔の国境であったが、港南区はこの両者を含む不思議な区である。
 昔から鎌倉街道の中の道(早駈けの道)、下の道、金沢道、峰の道などが入りまじり、交通の要衝であったと思われる。また江戸時代以降は東海道の戸塚宿や境木などの立場に近く、その助郷村として芹谷川や馬洗川沿いの村は駆り出され、それなりの潤いもあったらしいが江戸末期にはさまざまな負担で疲弊もしていたらしい。一方大岡川沿いの鎌倉道沿いの村は昔から鎌倉との往来、そして幕末には開港地への農産物等の物資供給で潤ったともいい、また新しいさまざまな文化などもいち早く伝わり先進的な地でもあったという。
 鎌倉幕府の後背地でもあり野庭などの地名、政子の井戸の伝承などから馬の牧、軍事的な教練場の存在も推定される。さらに日野という地名、隣の栄区に隣接する地名の鍛冶ヶ谷などから砂鉄の産出、鎌倉への鉄製品製造・供給なども推定されている。
 私が勤め始めた頃は上大岡駅周辺だけが中心街であったが、今はJR港南台駅、地下鉄上永谷駅周辺とあわせて三つの商圏が存在している。住民意識の差としても複雑である。
 大岡川の水を利用した染色工場が1960年代までかなりあり、そのために大岡川は染色工場の排水で七色に染まるなどと云われ水質の悪化が課題であった。今では下水も完備され川の浄化もなったが、染色工場はほとんどなくなったと聞いている。
 上大岡の山の上からは、港方面にランドマークタワーの突端が見え、反対側に富士山が見え、なかなか眺望はいい。