Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ショパン「ノクターン 第1~第10番」

2015年02月27日 22時02分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 夕方から急に風が強くなった。北風である。建物の中にずっといて、帰りがけに外に出てみて風の強さにビックリした。昼間はダウンのコートなど暑くて来ていられなかったので、薄い夏用のブレザーとその下には薄い化繊のサマーセーターを着て外出した。夕方はそれではとても寒い。コートが欲しくなった。
 やはり昼間は暖かいといってもまだまだ油断は禁物、夕方には気温が低くなる。

 明日・明後日は予定が入っていない。来週・再来週、その次の週と19日まで、土日も含めて連日予定が入ってしまった。少し過密かもしれない。英気を養いたいのだが、最近お酒の飲み過ぎのためか、体重がかなり増えている。ポロシャツがきつく感じている。お腹まわりも重くるしい。
 運動だけでは痩せることはないので、節制に心掛けないとまずい。要注意である。



 本日のCDは「ショパン 夜想曲全集1(第1番から第10番)」。演奏はアルトゥール・ルービンシュタイン、1965年の録音。
 ここまで情感たっぷりに演奏されると、ショパンも目を白黒か?という感想もある。しかしやはり病みつきになる演奏である。


 明日は、再放送の「津波を生き延びた仏たち~よみがえる故郷への祈り~」を見る予定。朝10時5分から48分まで。
http://www.nhk.or.jp/sendai/tohoku_z/archive/2014/150227.html

私の俳句手習い

2015年02月27日 10時57分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 はじめに俳句の結社に入って作句の指導を受けようとしたのは、2002年1月、50歳の時だった。秋に一か月近いの闘病・入院生活を強いられて退院したのち、インターネット上での添削を受けて、そこの結社に入会した。
 句会は主宰をいれてもいつも5人前後という小さな結社であった。7年ほど指導を受けて同人となり、同人会長となったものの不本意・不愉快な主宰の発言を受けて止めさせられるにしてにやめた。原因は私にはわからない。一方的なものだった。それから2年近く他の結社を探しながら句は作っていたが、いい結社がなかなか見つからなかった。
 仕事で最後の正月を迎えた2011年1月から、「響焰」という今までよりもはるかに大きな結社の横浜句会というところに顔を出して、とても親切に指導を受けた。句会に参加されている方々もとても魅力的な句をつくられており、楽しく句会に参加させてもらったし、句会後の懇親も実に有意義で楽しかった。横浜句会だけでなく主宰の参加する句会にも顔を出すようにもした。
 また神奈川大学の市民向け講座で俳句の講座があり、芭蕉の俳句を学びつつと句づくりの指導もある講座を受講した。講師は復本一郎氏。ここでは芭蕉の弟子たちの著作を読み、作句も行っていた。
 この講座もとても勉強になったが、句づくりはやはり「響焰」の方が魅力的であった。句会参加者の人間的な魅力にも惹かれた。句会後の懇親の場も楽しかった。
 しかし退職者会の活動にも手を出して、時間的なゆとりがなくなり、さらに美術館を見て回って感想を書く楽しみが次第に強くなった。響焰の句会も月に3回を超えるようになり、時間的につらくなってきてしまった。俳句を作ることをしばらく断念することを決めて、2014年1月残念ながら「響焰」は申し訳なかったが、退会させてもらった。
 退会後は俳句を作ることはやめてしまった。そして丸2年を超えた。時々俳句を作ろうとしても2年前のようには作れない。頭が俳句モードになっていない。
 他の方の俳句を時々眼にすると懐かしくもある。ほそぼそと俳句を作り続けることを模索したいという気も起きてくることもある。
 そんなことを考えているうちに、頭を俳句モードにするために昔作った自分の句で主宰や句会で一定の評価を受けたものや、自分でも気に入っているものを思い出して見るのもいいのかもしれない、と思うようになった。ということで自分の句を取り上げてみるのも悪くない。
私は「写生」といっても、ありのままの景色を見て作るということが出来ない。「見て」から自分の頭の中で発酵するまでに数日は必要である。あるいは過去に見たものを思い出して頭の中で再構成する。どちらかというと感動を瞬時に捉えるということは出来なくて、いろいろひねくりまわしながら自分なりの感動を作り上げるやり方である。あるいは吟行や句会の季節に思いを巡らせながら、過去の経験を引っ張って来て句をつくる。吟行の句、即興の句というのは作ったことがない。席題などと云われるともうお手上げである。

☆大西日鉄骨赤き錆をふく
☆病棟の視線を集め秋の蝶
☆孤独死や空蝉丸き背を空に

 2年前に作っていた句、ちょっと独りよがりの気もする。退会を決断した時には生活上の時間的な余裕もなくなり、行き詰っていたのだろう。そんな句である。人前に出すのは今になってはとても恥ずかしい。

 今となっては次のようにつくり直したくなる。

☆大西日鉄鎖の錆のとけてゆく
☆病棟の視線を纏い秋の蝶
☆父の忌や空蝉ざくり背を裂ける