
思ったよりも内容の濃い、新しいゴッホ像を提出しようとする意欲的な著書だと感じた。
私たちが持っているゴッホ(1853-90)という画家に持つイメージは映画「炎の人」(1957)に規定されていると指摘する。私はその映画は知らないが、そこでのゴッホのイメージは「狂気のなか描いた絵は世間に理解されず、不遇のうちにピストル自殺した、悲劇の画家」「激情をぶつける激しいタッチ」などという言葉に表されるゴッホ像である。
確かに私も次第に強くあらわれてくるうねるようなタッチと、描く対象の捩れるような像に、常に「激しく起伏する感情」と「狂気」を抱え持つ「苦悩の画家」というイメージを持っていた。
作者が指摘するように画家の「狂気の発作」は最晩年の1年半にだけ起こった事象である。確かに自己主張が強く激情的な行動は発症以前からあったようだが、それを「癲癇」と診断された「狂気」の前兆と決めつけてしまっていいのか?という疑問は私にもある。
作者はこのようなゴッホ像ではない新たなゴッホ像を構築するべくゴッホの全自画像を分析している。
まずゴッホの10年足らずの画家人生を「自画像」を分析をとおして
1.自画像以前の時代(1880~1886冬) 主としてオランダで絵を描いた5年半。自画像は描かれていない。
2.自画像の時代(1886.2~89.5) 2年間のパリで34点、1年に足らないアルルで6点もの自画像を描いている。
3.自画像以降の時代(1889.5~90.7) プロヴァンスの1年間の入院時期に4点のみで、オーヴェルでの最後の2ヶ月は自画像描いていない。
自画像は画家にとってはパリでの修練時代に相当し、様々な表現方法を模索していた時期の意欲的な挑戦の結果であるとしている。背景、顔や目、服などの要素をどのような色やタッチ、筆運び、色調こで描くかなどさまざまな試みをしていることを明らかにしている。

色彩が具体的な対象の持つ色から独立して背景や着物の色彩との対比の中で様々に変化させているという。またもっとも完成度の高い自画像として1889年9月にプロヴァンスで描いたこの作品を上げている。
この自画像の背景は「星月夜」のうねるような夜空の描き方とそっくりであり、オーヴェルで描いた「烏の群れ飛ぶ麦畑」に描かれた空に渦巻く白い雲、畑を二分するS字状の道はこの背景の渦の崩れた姿であるとしている。秩序をもったこの渦が画家の到達したひとつの表現のあり方とすれば、「発作」という「自己崩壊」を内に抱え込んだ最後の二か月間でこの獲得した表現が崩壊してしまう過程をしめしているということなのかもしれない。
「「烏の群れ飛ぶ麦畑」は、自己崩壊を描いた作品として、ヴィンセントの後の時代、20世紀の人間の「自己」対「世界」意識を先取りしている。彼は、この作品と一連のオーヴェル時代の絵画によってね彼自身の自画像以降の時代を生きただけでなく、人類の自画像以降の時代」を予告したといってもいい。」がこの書物の最後に近い部分にあらわれる。
この著書の後半の叙述はなかなか難しい。前半の分析のようにもう少しこなれた表現でゴッホの作品の全体像へ敷衍してもらえることを期待している。
しかし実に多くの示唆に富む論考である。私なりにさらにこの本の叙述を手掛かりにゴッホの絵を見直して見たいと思っている。
パリ時代の様々な試行錯誤の末にゴッホなりの表現方法の獲得した後、これからゴッホなりの自己表出が展開されるという時期の発症による「自己崩壊」である、ということを前提として、私はゴッホの表現意識が何処にあったのかを探ってみたいと思っている。