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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

木下長宏「ゴッホ〈自画像〉紀行」(中公新書)

2015年02月02日 23時14分55秒 | 読書


 思ったよりも内容の濃い、新しいゴッホ像を提出しようとする意欲的な著書だと感じた。
 私たちが持っているゴッホ(1853-90)という画家に持つイメージは映画「炎の人」(1957)に規定されていると指摘する。私はその映画は知らないが、そこでのゴッホのイメージは「狂気のなか描いた絵は世間に理解されず、不遇のうちにピストル自殺した、悲劇の画家」「激情をぶつける激しいタッチ」などという言葉に表されるゴッホ像である。
 確かに私も次第に強くあらわれてくるうねるようなタッチと、描く対象の捩れるような像に、常に「激しく起伏する感情」と「狂気」を抱え持つ「苦悩の画家」というイメージを持っていた。
 作者が指摘するように画家の「狂気の発作」は最晩年の1年半にだけ起こった事象である。確かに自己主張が強く激情的な行動は発症以前からあったようだが、それを「癲癇」と診断された「狂気」の前兆と決めつけてしまっていいのか?という疑問は私にもある。

 作者はこのようなゴッホ像ではない新たなゴッホ像を構築するべくゴッホの全自画像を分析している。
 まずゴッホの10年足らずの画家人生を「自画像」を分析をとおして
1.自画像以前の時代(1880~1886冬) 主としてオランダで絵を描いた5年半。自画像は描かれていない。
2.自画像の時代(1886.2~89.5) 2年間のパリで34点、1年に足らないアルルで6点もの自画像を描いている。
3.自画像以降の時代(1889.5~90.7) プロヴァンスの1年間の入院時期に4点のみで、オーヴェルでの最後の2ヶ月は自画像描いていない。

 自画像は画家にとってはパリでの修練時代に相当し、様々な表現方法を模索していた時期の意欲的な挑戦の結果であるとしている。背景、顔や目、服などの要素をどのような色やタッチ、筆運び、色調こで描くかなどさまざまな試みをしていることを明らかにしている。



 色彩が具体的な対象の持つ色から独立して背景や着物の色彩との対比の中で様々に変化させているという。またもっとも完成度の高い自画像として1889年9月にプロヴァンスで描いたこの作品を上げている。
 この自画像の背景は「星月夜」のうねるような夜空の描き方とそっくりであり、オーヴェルで描いた「烏の群れ飛ぶ麦畑」に描かれた空に渦巻く白い雲、畑を二分するS字状の道はこの背景の渦の崩れた姿であるとしている。秩序をもったこの渦が画家の到達したひとつの表現のあり方とすれば、「発作」という「自己崩壊」を内に抱え込んだ最後の二か月間でこの獲得した表現が崩壊してしまう過程をしめしているということなのかもしれない。
 「「烏の群れ飛ぶ麦畑」は、自己崩壊を描いた作品として、ヴィンセントの後の時代、20世紀の人間の「自己」対「世界」意識を先取りしている。彼は、この作品と一連のオーヴェル時代の絵画によってね彼自身の自画像以降の時代を生きただけでなく、人類の自画像以降の時代」を予告したといってもいい。」がこの書物の最後に近い部分にあらわれる。

 この著書の後半の叙述はなかなか難しい。前半の分析のようにもう少しこなれた表現でゴッホの作品の全体像へ敷衍してもらえることを期待している。
 しかし実に多くの示唆に富む論考である。私なりにさらにこの本の叙述を手掛かりにゴッホの絵を見直して見たいと思っている。
 パリ時代の様々な試行錯誤の末にゴッホなりの表現方法の獲得した後、これからゴッホなりの自己表出が展開されるという時期の発症による「自己崩壊」である、ということを前提として、私はゴッホの表現意識が何処にあったのかを探ってみたいと思っている。

千円札の効用

2015年02月02日 20時25分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 セキセイインコが籠の止まり木を齧って細くしてしまったので、みなとみらい地区にあるホームセンターまで歩いた。昼過ぎの陽射しはとても暖かく感じた。薄いセーターの上に薄いダウンで歩いたが、途中でセーターを脱いで歩いた。
お店でぴったりの丸棒が見つかり、それを籠の大きさに合わせた長さに切ってもらったのはいいが、お金を忘れて、財布には60円しか入っていなかった。やむなく400円余りの会計をクレジットカードで済ませた。カードも忘れたら、木を切断してしまった後なのでお手上げの状態であった。
 普段はコンビニなどではいくつかの種類の電子マネーを利用している。そのため、財布を忘れても飲食物は購入できる。しかもたいていの交通機関はSuicaで利用できるようになっているので、講座などで家を出るときはお金が無くとも特に困らない。そのためについ油断をしてしまった。

 400円余りの金額をクレジットカードで清算後、近くの銀行のATMで1000円を下してから再び店に引き返し、今度はセキセイインコの餌を購入。
 千円札で500円玉1枚と100円玉1枚+αのおつりをもらったら、不思議なもので何となく気持ちにゆとりが出来た。ついその足で横浜美術館のミュージアムショップに足を伸ばし、川瀬巴水の東京十二題の内の2作品のポストカードを206円で購入した。
 そのまま歩いて横浜駅までもどった。

 いくら電子マネーがあるといっても、財布に千円札1枚でも入っていないと不安であるが、それが解消されて数百円でも在れば今度は随分と気分にゆとりが出来るものである。お金に気持ちがすっかりコントロールされてしまっている。
しかし今回はクレジットカードが使えたから良かったが、そうでなかったら大変なことになっていた。気をつけなくてはいけない。

陽射しが気持ちいい

2015年02月02日 12時05分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ゆうべはよく眠れた。忘年会よりも新年会や新春の集まりの方が多い。現役の頃は反対に忘年会の方が多かったように記憶している。ただ統計を取ったわけではないので、正確ではない。
 おそらく楽しい飲み会が忘年会の方が多かったという可能性がある。新年会や新春の集いというと公的な集まりの場合が多い。立食パーティーや参加者が100名を超すような集まりである。見知ったもの同士で一角に集まって懇談してもなんとなくせわしない。参加費が安くはないので二次会に行く費用もあまりなかった。企画する方、主催する方は苦労するのだが、このように公的・義務的に参加するような場合はあまり記憶に残らない。
 しかし退職後はこのような公的な新年会でないと会えない人が多くなり、それが楽しみとなることを実感してきた。忘年会は親族やごく限られた友人との場となり、回数もぐっと少なくなる。

 料理の質から言うと、公的な場面での会食はどうしても揚げ物や肉類が多くなる。お酒もあまり味わってじっくり飲むようなものは出てこない。
 親族や少数の友人との会食では好きなものや野菜を中心とした注文もできるし、お酒の種類や質もわがままがきく。そしてゆったりとした時間を過ごすことが出来る。

 さて2月には新春の集いやパーティーがあと6回ほどもある。体を壊さないように口にするものに注意をしながら参加しないといけない。現役時代よりも不健康な生活になってはまずい。その内1回はパーティー形式ではないので問題はないのだが‥。