Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

国会議員のヤジの品の無さ

2015年02月19日 23時25分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年になっていくつも「新春の集い」などの新年の行事が続いたが、本日はような集まりとしては最後の「新春の集い」に参加した。一見約500名ほどの立食パーティーだったが、あっという間に料理も無くなってしまい、一皿だけよそったツマミを肴にビールを3杯ほど飲んで退散してきた。

 今月は今度の日曜日に10名ほどで居酒屋で飲み会がある。また来週の25日は退職者会での日帰りバス旅行を実施する。大勢での飲み会はこの2回で2月は終了。

 個人的な好みではお酒は10名未満の少人数で好きな肴と好きなお酒を少しだけ、そして自分のペースで静かに飲みたいもの。肴の味もお酒の味もワイワイガヤガヤだと私は味わうことが出来ない。お酒に関してはどうもわがままである。「せめてお酒を飲むときくらい好きにさせてよ、わがまま言わせてよ」という気分である。

 しかし国会議員の質も落ちたものである。野次も品が無いし悪意に満ち満ちている。総理大臣までが野次を飛ばす。それも労働組合法上の合法的な労働組合を罵倒の言葉として用いる。労働組合そのものを否定する暴言である。
 知っているが「親の顔が見てみたい」ものである。どのような躾をされたのであろうか。自分の親の顔に泥を塗りたくる二世議員、世襲議員とは情けないものである。早々に国会からいなくなってもらいたいものである。
 ツイッター上ではこのひどい野次に多くの批判が飛び交っている。
 マスコミはどこがこれを報道して批判するのだろうか?

 こんな総理大臣が率いる与党が多数派の国会の体たらくでは、「この国に誇りを」などとこんな人間に云われたくないものである。

https://www.youtube.com/watch?v=PJKSJi5GSZg

通りがかり人様から「3.11に寄せて」

2015年02月19日 22時02分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いつもコメントをいただいている通りがかり人様から以下のような投稿をいただいた。
 私なりにいろいろと考えさせてもらった一文です。

 来月で4年ということですな。3.11はもうすぐなのですな。あの頃は氏も現役だったのですな。日本のどこにいても、あの時、現役であったかどうかは、ずいぶん違うと思います。幸か、不幸か、氏は、現役でした。毎日、うちでも、職場でも、落ち着かなかったことでしょう。私も、あの時は61.。今は65.。体力がずいぶん違います。
 寒い中、体育館の中で、着の身着のままの60代から、70代の人は、ひときわ、つらく寒い日々だったでしょう。80代はもう、そく、命引き換えも、あったでしょう。忘れてはいけませんな。つめ跡はなお深い。あれは傷ですな。えぐられて修復なき深い傷です。
 あの、路頭に迷って道へ出てきた牛さんたちは、えさももらえず息絶えたか。犬とか、猫とか、コケコッコーも、突然えさがもらえなくなり、飼い主がいなくなり、えさ箱にえさは入らず、首をかしげ、飢え死にしていったか。木は昨日までの木と違い、草も昨日の草とは違い、どこも昨日のままなのにと、首をかしげたことだろう。昨日まで野山であり、畑であったものが、森林であったものが、そこに流れる川も、清らかな水も、近づいてはならないものたちになってしまった。子供達は驚いたことだろう。触ってはいけないものたちばかりになってしまったのだから。
 大人たちは途方にくれ、夫婦喧嘩を繰り返し、お隣とも喧嘩になり、親戚同士はうまく行かなくなり、傷を負った職場は残っていても、荒び、うらみつらみをぶつけ合い、絶望を何度も見ただろう。自殺した人も少なくないはずだ。町どうしが、互いにいがみ合った。忘れてはいけないのだ。4年になろうとしてはいるが。

 考えてみれば、原子爆弾や、空襲でやけただれた人たちは、まるで立ち直れなかった人も多かったのではないか。その多くが、あの世へ、即か、それとも、本来の寿命よりも、よほど早くに、あの世への旅立ちをせまられたはずだ。3.11も、そうだ。テレビでは見せられない光景が山と繰り広げられたことだろう。同じ町に住む、普通ならただすれ違うだけの人々が、挨拶して、天候の話をして、過ぎてゆく人々同士が、ぶつかり合い、こじれあい、憎みあい、怒鳴りあい、そして命を縮めあう。やはり、あの出来事は、あってはいけないことだったのだ。
 3.11は静かに、テレビを見ます。国民の一人として‥。

16世紀の東西の同時代性

2015年02月19日 15時36分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「くらべて楽しむ美術鑑賞」という連続3回講座の2回目、「過激な表現:バロックと桃山文化(17世紀)」と内容で2時間。この講座を聞きながら昔から考えていたことをメモ風にしてみた。あくまでも独断と偏見かつ粗雑な思い付きの範囲で‥。
 折角の講師の話を牽強付会に捻じ曲げて想像の世界に遊ぶという、不出来な聴講生でしかないのは、申しわけないと謝るしかない。

 1543年のポルトガル船の種子島来航を画期として日本は直接西欧と接触することとなった。それ以降、広大なユーラシア大陸の東西の端の文化の同時代性というものが考察の対象になったと思う。むろん奈良時代以降にも中国大陸をとおしてだがこの列島にも国際性豊かな文化は流入していたことは間違いがない。平安朝以降は中国という狭い窓に絞られていたようだが、それでも中国文化もユーラシア大陸の西や南からの影響を排除しては語ることはできなかったはずだ。
 銃やキリスト教を媒介として西欧文明と直接接することで、大きな影響を受容しきれた背景には、この列島自体の内発的な文化的・政治的・経済的なポテンシャルエネルギーが十分に高まっていたことが想像される。暴力的ともいえる西欧文明の圧倒的な圧力に抗して、独自の受容の仕方を獲得したように見える。
 おそらく江戸時代末期の日本の社会も同様にかなりの成熟と、強靭さ・したたかさを獲得していたという判断ができると思う。
 16世紀後半から17世紀にかけて、西欧の絵画と日本の絵画の共通性は、政治的宗教的権力との関係から大規模絵画が要請され、工房という大規模な制作者集団を駆使した制作とそれを統括する「画家」の名が大きくクロースアップされたこと、そして質の高さや技能の水準の維持という観点からマニュアル化が進められたと思われる。マニエリスムといってしまうと西欧的な概念になってしまいそうなので敢えて現代的にマニュアル化という言葉を使ってみた。
 西洋絵画で云えばルネッサンス以降のマニエリスム・バロックの時代、日本でいえば長谷川等伯や狩野永徳などの時代のことを念頭に置いている。
 技法的には大画面・権力の誇示という点からの要請なのだろうが、ドラマチックで誇張された表現、そして別々の表現手段ではあるが奥行きへのこだわり、宗教性から世俗性への注目などが思い当たる。
 西欧では解剖学的に裏打ちされた人体表現だが、日本では動物や風神雷神などの表現でも誇張された筋肉表現として同時代性を感ずる。
 日本の場合、工房製作というと仏師集団があるが、人体表現の方法や個人名を冠した統括製作者の確立などが、絵画製作にそのまま移行したように思える。

 こんなことを考えながら講座を聞いていた。



 なお、本日の講座では3月3日~5月31日まで国立西洋美術館で開催される「よみがえるバロックの画家グエンチーノ」展を紹介してもらった。これは嬉しかった。紹介してもらえなかったら、名を聞いたことも無いのでパスしてしまったかもしれない。