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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

節分

2015年02月03日 19時56分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 節分は本来は四季の始まる前日を指していたが、現在では立春の前日をいう。今の暦では2月3日頃になる。神社では邪鬼を追い払い春を迎えるための追儺式が行われる。家庭では豆を撒いたりする。鰯の頭や柊の枝を戸口に挿すこともあるが都会ではすっかり廃れてしまっている。

★節分と知ってや雀高飛んで   森 澄雄
★節分や内なる鬼に目をつぶり   中村恵如
★節分の宵の小門をくぐりけり   杉田久女
★節分や灰をならしてしづごころ   久保田万太郎
★節分の水ふくるるよ舟溜   村沢夏風

 1句目と5句目、季語が立春ではなく、前日の節分であるところに惹かれた。

 本日は十五夜だが、満月は明日。月の東側に明るく光っているのは木星。横浜では今は晴れわたり、とても鮮やかに見える。

喉に痛みと渇き感がひどかった

2015年02月03日 18時37分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 軽いウォーキングを兼ねて本日も昼食後にみなとみらい地区を通って桜木町駅まで出かけた。昨日よりも風が強く、ビル風の強いところでは手がかじかんだ。
 特に用事はなかったが、気持ちよくたどり着いて喫茶店で暖かい紅茶を注文して飲んでいるうちに、喉に痛みが出てきた。また渇き感がつのって注文した紅茶を飲み干しても止まらず、水を2杯立て続けに飲んだがあまり効果が無かった。
 帰路も同じコースを歩いて帰ろうとしたがあまり足が動かない。発熱はないし咳・クシャミも出ない。鼻水は2~3回出たが症状というほどではない。ゆっくり歩いてようやく横浜駅までたどり着いた。
 横浜駅から自宅まで歩いて帰る気力が萎えてしまったので一駅電車に乗った。降りた駅のすぐ横の、座るところのあるコンビニでコーヒーを飲みながらアンパンを食べていたら10分ほど寝入ってしまった。
これが良かったのか、目が覚めたらすっかり体調が戻っていた。のどの痛みも渇き感も消えていた。体を動かす気力も戻り、足早に歩ける。何か狐につままれたような感じである。しかし用心をしてすぐに家に戻った。

 調子が良ければ夕食時までの間に1時間少しウォーキングに出かけるつもりであったが急遽中止。
 しかしあの喉の痛みと異常ともいえる渇き感、足元のふらつき、体を動かす気力の萎えは何だったのだろう。朝食も昼食もちゃんと食べたので、エネルギー切れではない。微熱があるわけでもない。明日、いつもの血圧の薬をもらいに行く予定にしている病院で聞いてみるしかない。

 明日は久しぶりに講座が午前と午後に続けてある。講座の行われるみなとみらい地区の会場まで歩いていく気力があればいいのだが‥。 

ワイツゼッカー氏へ言及(東京新聞社説)

2015年02月03日 12時12分21秒 | 読書
 この記事もいろいろな示唆に富むものと考えた。私なりの判断の材料にしたいと思っている。

★貫いた過去への眼差し★
 ワイツゼッカー元独大統領が亡くなった。欧州連合(EU)の理念が揺らぐ今こそ、ドイツの負の歴史に常に向き合い、欧州の平和的統合を説き続けた象徴的指導者の言葉に耳を傾けたい。
 祖父は州首相、父は外務次官、兄は著名な物理学者というドイツの名門。それでいて身に付いた気さくさ。政治家というより言葉による伝道師を思わせた。
 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。よく知られる戦後四十周年の議会演説はその白眉だろう。政治活動の半面、生涯を通してドイツ福音主義信徒大会の指導的役割を担い続けた。数々の演説を貫く過去への眼差し、人道、平和主義に基づく現代社会への鋭い問いかけは、第二次大戦、冷戦体制崩壊という二つの「戦後」の復興を担ったキリスト教的価値観に立脚していた。
 回想録「四つの時代」の中で、「キリスト教」の名前を冠している政党に入ることの意味を、ルターの教えに言及しながら「欠陥があるわれわれへの戒め」と述べているのも、その表れだ。
 理想主義的な言動は、政治上の実質的な権限を担う政権内から折に触れて批判の対象となった。特に十六年の長期政権を通じ、絶大な権力を誇示したコール元首相とは度々衝突、大統領の退任後、党籍剥奪問題にまで発展したこともある。発覚したコール氏の金権体質を徹底して批判したのも大統領だった。
 退任後は、国連の機構改革の委員に名を連ねる一方、ドイツ連邦軍改革委員長として軍縮小の改革案をまとめるなど活躍。中日新聞社主催の戦後五十年企画で一九九五年訪日するなど度々来日した。
 九九年、二十世紀を総括する企画で本紙に登壇願った。ワイツゼッカー氏は、世界が今後直面する課題は政治的な民主主義、経済的な競争力、社会的な人間的紐帯の三つをいかに共存させるかという点にあると指摘、欧州統合の理念はそこに至る歴史的な実験、との思いを語っていた。
 「欧州が二十一世紀の世界にもたらし得る貢献の最大のものは、平和裏に統合を進めるプロセスとしてのEUだ」。すでに拡大、深化の大きな分岐点を迎えていたEUを語る口調には強い思いが込められていた。
 欧州統合の危機は、統合の理念を語る指導者の不在に起因するといわれる。ワイツゼッカー氏の死去により欧州が喪うものはあまりにも大きい。