ヴァイオリンソナタの次にはチェロソナタが聴きたくなった。いつものとおりチェロは堤剛、ピアノがウォルフガング・サヴァリッシュのCDをひっぱり出してきた。
チェロソナタ第1番(作品38)はブラームスが29歳から32歳頃にかけて、初期の頃に作った曲である。第2番(作品99)が交響曲第4番の直後の53歳という円熟期の作品であるので、二つのチェロソナタを聴き比べるのは、ブラームスの曲の変遷を知る上でも興味がある。
クラシック音楽というのは、演奏家の作品理解、作曲家理解というフィルターを通して、作品に接するというものである。得てしてそれは作品や作曲家の意図とは違うものがあるかもしれない。私は堤剛という優れた演奏家をとおしたブラームスの理解に、たとえそれが本来的な作品理解・作曲家理解とかけ離れていたとしても、それで満足と思える演奏家だと思える。ピアノのサヴァリッシュについてもそのようなことを思わせてくれる指揮者、ピアノ演奏家である。
このCDを聴くたびにそんなことをいつも思う演奏である。
第1番はなんといっても第1楽章が気に入っている。チェロの低音がことのほか美しく豊かな音に感じられる作品であり、演奏である。
冒頭からチェロの低音から高音まで並んだ音程でチェロの朗々とした音色を存分に聴かせてくれる。一気にチェロという楽器の魅力の世界に引き込まれる。この初めの20小節が聴きたくてこの曲を聴くといってもいい。
時には第2楽章、第3楽章は聴かずにこの第1楽章だけを数回聴いて終りにしてしまうこともある。
チェロソナタ第1番(作品38)はブラームスが29歳から32歳頃にかけて、初期の頃に作った曲である。第2番(作品99)が交響曲第4番の直後の53歳という円熟期の作品であるので、二つのチェロソナタを聴き比べるのは、ブラームスの曲の変遷を知る上でも興味がある。
クラシック音楽というのは、演奏家の作品理解、作曲家理解というフィルターを通して、作品に接するというものである。得てしてそれは作品や作曲家の意図とは違うものがあるかもしれない。私は堤剛という優れた演奏家をとおしたブラームスの理解に、たとえそれが本来的な作品理解・作曲家理解とかけ離れていたとしても、それで満足と思える演奏家だと思える。ピアノのサヴァリッシュについてもそのようなことを思わせてくれる指揮者、ピアノ演奏家である。
このCDを聴くたびにそんなことをいつも思う演奏である。
第1番はなんといっても第1楽章が気に入っている。チェロの低音がことのほか美しく豊かな音に感じられる作品であり、演奏である。
冒頭からチェロの低音から高音まで並んだ音程でチェロの朗々とした音色を存分に聴かせてくれる。一気にチェロという楽器の魅力の世界に引き込まれる。この初めの20小節が聴きたくてこの曲を聴くといってもいい。
時には第2楽章、第3楽章は聴かずにこの第1楽章だけを数回聴いて終りにしてしまうこともある。