Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

過去に学ばなければ、破たんする

2016年04月19日 22時19分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 結局本日は午後からニュースの原稿作り。小さな囲み記事などをつくり、表面の4割程度を埋めた。裏面はまだ手付かず。しかし遅れているわけではない。軌道に乗り始めたので最終稿の入稿予定日までには何とか間に合いそうである。
 午前中眠気に襲われて眠ってしまったのは予定外であった。午後からは眼科で緑内障の点眼薬をもらい、整形外科で治療をしてもらった。整形外科はそろそろ通わなくてもよさそうな状態になってきた。
 横浜駅の地下街の有隣堂で立ち読みをしているうちに、熊本の震度5強の地震の知らせが携帯に入ってきた。ちょうど家に戻る予定の時間であった。帰宅後、ネットの情報を見たら、これまでの震源域の最南端で発生したらしい。ちょっと気になる。
 しかし先ほども記載したが、丸5日経過して、この規模の余震が起きるとは想像もしていなかった。地元の方も救援に携わる方も同じであろう。
 東日本大震災の時の支援物資を届けるためのノウハウが継承されていないようである。いくらここの団体や個人が全力を傾けても、組織的な混乱をきたしていたり、ノウハウを無視して強引なやり方をすればするほど破たんする。過去に学ばない姿勢、こんな日本にしたのは誰か?


本日も夕刻に震度5強

2016年04月19日 21時31分59秒 | 天気と自然災害


 17時52分にマグニチュード5.5、最大深度5強の地震が熊本地方で発生した。さらにまったく同じ経・緯度で先ほど20時47分にマグニチュード4.9、最大深度5弱の地震が起きた。
 震源をみると日奈久断層・布田川断層地震のこれまでの震域の最南端で起きている。気象庁が震源が南下する傾向にある、といっていたがそれほど顕著に震源の移動がないので、不思議に思っていた。しかし今回の地震はその震源域の最南端で発生している。もっと南に移動していくのであろうか。
 14日の最大震度7の地震からもう丸5日、120時間も経っている。にも関わらず深度5弱の余震が発生となった。 本日の18時までに有感地震が627回。これは未だに11分に1回の余震が発生していることを意味している。10分未満に1度発生していた時期に比べると多少は少ないかもしれないが、それにしてもおさまる傾向を示していると、断言できる状況ではないと思われる。
 なんともわかりづらい地震である。

「奇想の図譜」(辻惟雄)を手に取ってみた

2016年04月19日 12時25分30秒 | 読書
 このところすっかり熊本の地震にのめり込んでしまった。気象庁やテレビの解説者の発言を聞いてもどうしても理解できないことが多い。コメンテーターもやはり理解できていないらしく、的を得た質問を解説者にしていない。地質学者や地震学者なりにわかりきったこととして説明していないことが、素人には前提となっていないことを踏まえた突込みをもっとしてもらいたいと思う。
 「断層の動き」「応力」「ズレ」「歪み」「力の方向」「地震波の伝播」「震源の移動」‥聴いていて45年前に多少聴き齧った私でもこれらの言葉が次々に繰り出されればわからなくなる。もっともあまりに不勉強であったし、その世界からまったく離れて半世紀近く別の仕事をしていたのだし、今更理解できることなどないのはわかっている。しかし中学生と高校生の知識程度を持つものにわかるような解説をしてもらいたいといつも思う。
 先ほどこれまでの報道や気象庁の会見を聞いて疑問に思ったことをまとめてみた。発震機構に対する疑問の投げかけはとりあえずここまでにしておこうと思う。

 本当は、美術館めぐりや絵画の感想、美術関係の読書の感想などの記事を書きつづけたいのだが‥。美術館に行きそびれて、しばらくはCDの感想ばかりだった時期もある。そろそろもとに戻りたくなっている。
 その手始めに昨日は伊藤若冲の水墨画から「果疏涅槃図」の感想を書きかけているうちに、緊急地震速報がなって、注意がそちらに向いてしまった。
 暫くは退職者会の総会やニュースの原稿作りに追われるが、美術関係の書籍でも読みながら頭の体操をしようと思う。
 ルネサンスの絵画の世界に色濃く残っている中世の世界観を少し理解しようとして阿部謹也の本をいくつか集めて読みつづけたいと思ったが、ちょっと中断して辻惟雄「奇想の図譜」に目をとおすことにした。「奇想の系譜」はなかなか優れた論考だと感心した。引き続き刺激的な書物であることを期待したい。明日からのさまざまな作業の合間の休憩時間を利用して頭の回復をはかりたい。

 手に取って15分ほど読んでから仕事をしようと思っていたが、5分もしないうちに寝てしまった。結局お昼過ぎの今まで1時間以上寝たことになる。外の気持ちのいい陽射しがもったいないと思いつつ、仕事もしなくてはと頭の中では抵抗しているうちに、いつの間にか自分の寝息で目が覚めた。


熊本・大分地震、疑問をまとめてみた

2016年04月19日 10時19分27秒 | 天気と自然災害
 熊本の中心の内陸地震の件、解説や気象庁の記者発表を聞いてもよくわからないことばかりである。恥ずかしながら、私に能力がないので理解できない点が多い。本当は私が自分で解明しなくてはいけないものでもあるが、何しろ45年前は不勉強の極みであった。別にその不勉強は悔やむことではないと思っているが‥。
 気象庁もこれまでの経験が当てはまらないということで、かなり混乱・当惑しているようである。

1.日奈久断層、布田川断層がそれぞれどのように動いたのかがまずよくわからない。報道を聞いている限りでは、最初に日奈久断層の南側が北へ右横ずれ断層をつくり、その力を受けた布田川断層の北側が右横ずれ断層をつくった、と理解している。
 それが南阿蘇村の断層に伝播し、大分の別府-万年山断層に伝播したということでよいのだろうか。
2.1によると中央構造線は北側が、東ないし九州では北に移動しているということと理解していいのだろうか。
3.布田川断層と別府-万年山断層が北に動いたということならば、地震の移動は北ないし西に移動するはずなので、佐多岬半島に向かうと思うが、気象庁の見解は震源域が南へ、八代湾に向かっていると述べている。

 上記の3つの疑問からさらに次の疑問が湧いてくる。

4.阿蘇山が断層を突き破って存在していることを考えると、布田川断層に働いた東ないし北東向きの力が阿蘇山を超えて大分側の断層に影響した、というのは無理があるのではないか。震源が10キロという浅い個所である点を考慮すると、阿蘇という火山で力は分散したのではないか。
 大分県側の地震と、熊本県側の地震とは別の要因によって引き起こされた別の地震ではないのか。解析には別のものとして扱う必要があるのではないか。
5.そもそも最初の日奈久断層を動かした力はどこに源泉があるのか。もしも日奈久断層、布田川断層が北や北東に動かした力が働いた後に、そこを埋めるように力はさらにドミノ倒しのように南からかかるのではないか。それはどの程度の領域で考えればいいのか。熊本と鹿児島の県境で活断層はとどまっているが、その先まで想定しなくてはいけないのか。
 尺度は数十年かかるかもしれないが、初動は北に向かうがそののちに震源は南ないし南西側に移動するのではないか。

 こんな疑問が解決されないまま、私の頭の中で混乱している。これはしばらくたってからの解析本、解説書を待つしかないのだろうか。
 疑問の設定自体に誤りはあるだろうし、前提がそもそもナンセンスなのかもしれないが、今はこんな水準でおたおたしている。