Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の予定

2018年09月28日 23時00分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中から午後遅くまで実によく晴れ渡ったが、夕方から雲が多くなり始めた。本日の横浜の最高気温は25.6℃で平年よりも+1.5℃。平年は24℃位。そろそろ長袖が欲しい気温である。しかし台風の影響で、土・日・月と25℃から30℃になるらしい。火曜日からは22℃の予想。気温の差が大きい。

 明日は気温は本日と変わらないが、午後からは雨が降る予想。午前中にユックリではあるが、本日と同じように往復1時間ほど歩いてみる予定。昨日は人出の多い横浜駅を歩いて疲れたので、本日は近くの私鉄の駅の近くにある高血圧の薬を処方してもらっている内科までの往復だけで済ませた。明日は特に予定はないが、同じようなコースにしてみる。
 混雑する道ではないので、疲れはあまり感じない。杖を突かずともつまずく心配もなくなった。

 受診した医院では、市民病院の血液検査の写しを見て、たんぱく質が不足しているといわれた。3週間流動食、三分粥、五分粥が続いた為であろう。肉類は先日作ってもらった豚汁くらいしか喉を通らない。魚の方がずっと食べやすい。医師からは、無理して肉類を摂取するのではなく、魚で十分なので徐々に動物性タンパクを増やすように指導された。

「図書10月号」から  3

2018年09月28日 21時23分04秒 | 読書
・お肴歳時記 第1回 菊の盃      辰巳芳子

・大きな字でかくこと カズイスチカ   加藤典洋

・要・不要               齋藤亜矢
「人間の認知のしくみについて知れば知るほど、絶対的なものなど何もないという気持ちになる。自分の見ている世界がかなり偏ったものであることには自覚的でいたい。でも、見えていないものやゆがんでとらえているものがたくさんあるからこそ、芸術が生まれ、芸術を楽しむことができるのだと思う。」

・風土記博物誌 舟を編む        三浦佑之
「興味深いことに、ここでも村の名は枯野とある。たしかに、軽野や枯野がカヌー(カノ―)という語と通じているのではないかと想像して見たくもなる。」


「図書10月号」から  2

2018年09月28日 15時28分21秒 | 読書
・神々しい水晶の椅子の夢       司  修
「クラゲのような小さないきものに、手をひかれて行ったのです。‥私は天上界へ連れていかれたのです。‥その空間は限りがあるらしく、中央に、空間の青を吸い込んだ水晶の椅子があったのです。天上界の墓石のようでもありました。椅子に座っていたのは、縮小された仏塔のようでもあり、厳かな雰囲気を漂わせていたのです。私は「世界の中心」に立っている気分でした。」

・ショスターヴィッチの謎と仕掛け   亀山郁夫、吉松 隆
「吉松:五〇年代末には日本の作曲家の芥川也寸志さんが、ソ連に渡って、ショスタコーヴィチとお会いして話をしたそうですが、もう五十代で、(交響曲)11番を書いて、‥押しも押されもしない巨匠なのに蚊に蚊周りをキョロキョロ見回して神経質で気の弱い幹事だったと言うんですよ。一方で5番とか7番とかの交響曲を聴くと、非常に英雄的で芯の強い、そして反体制的な根性のある人というイメージがあります。‥その落差が謎ですね。」
「吉松:六〇年代の後、13番「バビ・ヤール」、14番「死者の歌」という問題作を発表し、西洋のショスタコーヴィチに対する見方が変わる。ユダヤ問題や死を題材にすることで「反体制的かつ前衛的な」顔を見せた。
「亀山:フルシチョフ体制末期そしてブレジネフ体制になってから、どんどん音楽が内面化していって、14番見たいな傑作が生まれる。」
「吉松:「人間、一番恥ずかしいことが、一番気持ちいい事なんだ。気持ちいいことは恥ずかしんだ」」

・スマートホンで撮る科学写真     伊知地国夫

・自然の「豊かさ」を描きだす     永幡嘉之
「「滅びゆく存在を記録とどめ、写真で後世に伝えたい」と傍観することはできない。絶滅の原因を人間がつくっている以上は、ささやかでも行動せねばと思う。わたしが心躍らせてきた自然環境の「豊かさ」を少しでも次代に引き継ぎたいのだ。」

・市川房枝の恋       進藤久美子
「「政治は国民のいのちと生活をまもるため」にあり、政治世界は、利権追求を旨とする「特殊な」価値観と行動様式がまかり通る場ではなく、「生活の場の常識が通用する」ところでなくてはならない。‥この政治観こそが、「安倍一興支配」の政治閉塞を打ち破る力となるはずである。」


嵐の前の静けさ

2018年09月28日 11時05分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日以降、横浜でも台風と秋雨前線の活動で雨が降り続くらしい。9月に入って雨ばかりのような気がする。
 嵐の前の静けさ、本日は実に気持ちのいい秋日和。団地の南側のベランダからは雲は一つも見えない。風も柔らかく微かである。菊日和というにはまだ少し早いかもしれない。園芸店でもまだ菊は蕾であった。

★野菊まで行くに四五人斃れけり    河原枇杷男

 作者は1930年生まれというから今年88歳なのだろうか。この句、わたしよりも高齢のときの作ではないかと思っている。ネットで検索すると作者の代表句としている解説が多い。

 さてこの句、野菊の咲くところが桃源郷のような理想郷と解して、たどり着く不可能性を言及しているのだろうか。あるいは若い頃の仲間を思い出しながら青年期から回想して今年の野菊の季節までに鬼籍に入ってしまった人びとを懐かしんでいるのか。または、一年ないし数年前、一緒に野菊を見た仲間が、立て続けに数名も亡くなった悲しみを詠んでいるのか。
 そんな3つの情景を思い浮かべた。私には最後の情景が思い浮かんだ。私ももう5年前に20代の頃の懐かしい仲間と40年ぶりに再会した。その時以来3名の仲間が突然のように亡くなった。自分がもうそんな年齢になっていることに愕然とした。同時に会える時に会うことの大切さ、これからの時間の大切さを実感した。

 しかし私の受け取り方だけではなく、「斃れけり」には単なる詠嘆ではなく、「斃れ」という漢字が当てられていることに重要な意味があるとも思える。
 「斃」は「疲弊してたおれ死ぬこと」「野たれ死する」(白川静、「字統」)とある。作者はアジア太平洋戦争敗戦時には15歳、直接の戦争だけでなく空襲や敗戦間際の混乱期に無念の死を迎えた仲間、敗戦後の混乱で息絶えた仲間、などが念頭にあったのかもしれない。

 情景が読む人によってさまざまに浮かんでくる。若くして亡くなった仲間は、高齢になって野菊の咲く情景を愛おしむということができずに亡くなった。そのことに痛切な当時への批判が含まれているのかもしれない。