Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

入院中の読書「苦海浄土」(石牟礼道子)

2018年09月21日 21時26分03秒 | 読書


 感想はすでに病室からスマホで次のような記事をアップした。

 「苦海浄土」(石牟礼道子)、読了。今回はあくまでも小説として読んだ。文章の力に吸い寄せられたから。詳細は後日。
 「山中九平少年」「舟の墓場」「第三章 ゆき女きき書き」「第四章 天の魚」「潮を吸う岬」「草の親」「満ち潮」など一見聞き書き風のところが秀逸である。作者のこの小さな沿岸地域の共同体へ共感・共鳴する感性と筆力に圧倒される。特に汚染される以前の海の内外の景観や小さな舟を操る漁のようすの美しさが印象的である。現在の「苦海」と対比されるのだが、あんちょこな半近代の匂いはしない。水俣病という状況の中に身をおくことで獲得した視点、発語による小説である。一筋縄では解けない世界が広がる。ルポルタージュやドキュメンタリーましてや政治的文章としてかかれたものではない。あるいは「聞き書き集」でもない。無論読み方は自由であろうが。
そして渡辺京二の解説が私の読解と通低するものがあった。

 詳細は後日、と記したが、やはり文章の圧倒的な力を前に、今はまだこれ以上の感想を書く気力も出てこない。




家に戻って昼寝から

2018年09月21日 17時37分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 家について、病院から持ち帰ったものや書類や薬を整理した後、自分のベッドに横になったらそのまま1時間ほど昼前の昼寝。大雨注意報の出ている強い雨が降り続いている。風も強い。窓の外のプラタナスの葉が大きく揺れている。そんな雨と風の音を聞きながら横になっているのが嬉しい。人は自然の音や景色などを感じていないと精神的にもつらくなる。自然の息吹を感じることが病気の回復にもいいのだとあらためて思った。
 空調の整った堅牢な建物は公的な病院には当然求められる。当然ではある。だが、果たしてそれだけでは病院として本当にいいことなのか、というとそうもいかない。矛盾する環境を同時に満たすわけにはいかない。人は最後は自然の息吹が感じられるところがいいのだと実感もした。回復にも必要なものだとも実感した。

 昼はネギを柔らかく煮込んだものを乗せたうどん、大根のおでん、お見舞いにいただいた大きな葡萄5粒。
 夜はお粥ではなく、いつも家で食べていた硬さのご飯と鮭を焼いたものと生野菜のサラダ。お酒は当分はお預けである。いつからにするかは未定。数か月か1カ月か、数週間か。妻の顔色をうかがいながら‥。

 しばらくは家の中で静かに。玄関の外に出るのは、ゴミ出しあるいは隣りの階段くらいまでにしておこう。月曜くらいには杖を突いて家の周りを歩いてみたい。来週25日はもう一度病院に行って血液検査でワーファリンが安定的に効いているかを診てもらう。その時にも杖を持参で行った方がよさそうである。
 家の周りとはいえ、病院内をいつもの歩幅の半分以下ですり足の歩くのとは違う。つまずいたり、こけたりしないようにしないと敷けない。

 

病院19日目 最後の食事

2018年09月21日 08時29分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
病院での最後の食事は朝食。プラスチックのスプーン1本と、割り箸2膳で53食。想定より長く、箸を購入ないし持参も考えた。長引かないよう、縁起担ぎみたいなことをしてしまった。

慌ただしい退院は、次の患者のために追い出されるような気分。それはそれでやむを得ない。
同じ病室も人の出入りは多かった。今では私が一番古くなってしまった。
皆、私より重症に見えるがかなり早く退院する。見た目より私が重症だったということなのだろうか。

着替えをしたら、ベルトがないとズボンが落ちてしまう。約5キロダウンしたので5センチほどだろうか。捨てないでとってあるはけなくなったズボンがはけそうである。半分うれしい。
しかし両手に荷物なので、手でズボンは支えられない。ベルトを持ってきてもらうしかない。
上着は半袖1枚、タクシーに乗るまでの数分とはいえ、寒そう。