Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

病院七日目 明日は月曜

2018年09月09日 22時15分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
「セザンヌ物語」全部で18節のうち最初の「まずゴーギャンに寄って」を読み終わった。
この本は活字が小さく、明るくない病棟での読書には不向きだったが別の本に変えるわけにもいかない。我慢するしかない。

明日は月曜日、病院の外来は再び多くの来院者で慌ただしくなりそう。病棟までその空気振動が伝わってきて、何となく慌ただしくなりそうである。その振動を主に運ぶのは、検査・手術などへ出向く入院者自身や医療従事者だけではない。ざわついた波として伝わってくる何ものかである。この何ものかを介して病棟内といえど、外界と密接に結び付いている。

私はその振動を避けるようにして、静かにしていたい。

明日は退職者会の幹事会。私の入院が36人の幹事に知れ渡ってしまう。本意ではないが致し方ない。

病院七日目 2冊目

2018年09月09日 18時03分25秒 | 読書
昼に妻に持ってきてもらったのが「セザンヌ物語」(吉田秀和、ちくま文庫)。古書店で500円。今晩から読む本は、これと昨晩地下のコンビニで購入した「月下の恋人」(浅田次郎、光文社文庫)。

浅田次郎は初めて手にした。半分は読了、「忘れじの宿」が印象に。
「セザンヌ物語」は序文に相当する部分で一旦中止。この序文の表題が「終わりにあたってのはしがき」なので最後に読むことにして本題から読み始めることにした。

退職者会の先輩がわざわざ見舞いに来てくれた。いつもこちらが世話になってばかりいるのに、恐縮してしまった。
妻はお返し(快気祝い)はどうするか、いまからもう悩んでいる。

病院七日目

2018年09月09日 13時36分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
日曜日の病院は土曜日よりも静かに時が流れる。その心地よい流れに寄り添ってみたくなり、広い院内を歩いてきた。
昨日も歩いたが、面会の人も、入院患者も歩いておりどこかそわそわとした雰囲気が漂ってきた。コンビニのある地下、出入り口のある1階、展望のあるエレベーターホールなど、金曜までの慌ただしい熱気がまだ残り、それぞれのフロアごとの空気の違いまで感じた。
日曜ともなると空気は一様に平坦に落ち着く。1階のメインの出入り口は鍵がかかり出入りは無論出来ない。ここから外を眺めていたら、外の空気を無性に吸いたくなった。

月曜の朝に家を出て以来、もう丸6日間も院内の空気しか吸っていなかった。
面会者用の出入口の内側で5分ほど立っていると10人ほどが出入りした。風が強く、扉の開閉のたびに外の空気が私の身を吹き抜けていった。
この風は、病院に隣接する運動公園内の森の木々を大きく揺らして来た風である。そのことがうれしい。
外気温は30℃近いので爽やかではないが、金属のフィルターや、暗く汚れたダクトを経ていない空気である。太陽光にあたり木々の葉の表面に触れてきた空気である。それだけでなにか価値があるような錯覚を受ける。

この空気を吸ってから1500歩ほど歩いて病室に戻った。

流動食でも、重湯と具のない味噌汁以外は同じにはならないような工夫をしている。昼には具のない味噌汁の代わりに豆腐のすり流し汁が出た。美味しかった。しかし小さな紙パックのジュースがどうも喉を通りにくい。次の食事までにやっとのことで飲んでいる。